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わたしはあなたと結ばれたいのです ― 自由のこと


安全、安心、お金、友だち、家族、健康、名誉、地位は、旅の手段でしかない。

なぜそれを欲しがるん?問い続けると答えはいつも1つに収束する。

さいきん、自由ということを考えています。



1.馬券を買って来てくれるおじちゃん


かのじょの福岡の実家。

そこで、お義母さんはずっーと暮らして来ました。

わたしたちは、年に2回ほど福岡にご挨拶に行っていた。

姑とやってた駅前食堂はとうに締め、ガスの配送、水道の設置をかのじょの兄夫婦がしている。

事務所には、老若男女が入れ替わり立ち替わり来る。青年も来る。

みんな、お茶のみに寄っては話して行く。

お義母さんは誰が来てもお茶を出す。

来た理由なんか聞かない。お義母さんは世間話をただ聞く。


お義母さんは年取って、事務所の店番と店先のタバコのかんばん娘に専念した。

美貌はかなり以前にどこかに置き忘れた。

自販機も置いてあるが、なぜかみんなはこの娘にちょっかい出してタバコを買って行く。

この娘は、「わたしゃ、もうよう覚えん、これはいくらだったかね?」と客に聞く。

客は値段を申告してはお金を置き、タバコを買って行く。


当時、お義母さんの楽しみは、日曜日の競馬にかけることでした。

思案し、寄ってくれる競馬好きのおじちゃんに馬券の手配を頼んだ。

おじちゃんは、はいはいと鉛筆なめ、誰がどの番号を何枚欲しいかを紙に書く。

街の馬券売り場まで行って買って来てくれる。

テレビの中継が始まる。

お義母さんもおじちゃんも釘付けになる。

当たれば大喜び、ハズレれば仕方無いねとさばさばしてる。

じぶんのお小遣い程度を掛けるので、当たってもたいしたことない。


で、この競馬の馬券を買って来てくれるおじちゃんには、不思議な魅力があった。

優しくて、包み込むようなオーラ。

相手をふわっと見つめる。ほろほろとこちらが引き寄せられる・・みたいな。

視線はナチュラルで気持ちいい。ゆっくりとしたソフトな声。

控えめだけど朗らかな冗談をいう。

気負いも虚栄も怒りも躊躇も欲も、禅坊主以上に脱落してた。

話せば、ひどく知性が高いことが分かる。

おじちゃんは、性別、年齢を超えた不思議な魅力をもっていた。


数年前、おじちゃんは既に70才ほどだった。まだ若い奥さんがいるんだそうだ。

わたしは、お義母さんに会いに行くたびにおじちゃんに会う。

いつの間にか、わたしはおじちゃんに会うことを楽しみにしていた。

わたしは、”好き”という感じに近い。愛のビームがおじちゃんから放射されていたんだろう。



2.わたしは、あなたのお嫁さんに成りたいのです


やっぱり、おじちゃんが不思議でならない。

あるとき、お義母さんにおじちゃんはどんな人なのかと踏み込んで聞いてみた。

いろいろ苦労されてきた方だった。

奥さんは精神の病となり、おじちゃんを責めつづけた。ついに離婚に。。

で、驚くような話をお義母さんが、淡々としてくれた。


「おじちゃんには息子さんがいてね、お見合いの席が設けられたんだよ。

後日、仲人さんがいかがでしょうか?と相手の娘さん宅に行ってね、意向を確認したんだ。

娘さんは、残念ですが、お見合いの話は無かったことにしてくださいと断わった。」


「ああ、そうですか、残念ですがこればっかりはご縁ですからね、と仲人さんは帰ろうとした。

するとね、娘さんが言いにくそうに言ったんだ。

わたし、、お父さんと結婚したいんです。

強い決意を仲人さんに伝えたんだそうだよ」。


ええーっ! おじちゃん、息子の嫁さん候補と結ばれのか・・。

30才以上も年の差があった。

しかも、ふたり一緒にいれるのはあと10年ほど。

仮に子どもが出来ても、成人する我が子は見れない。

現役引退したおじちゃんの収入も微々たるもの。

当然、仲人さんは腰抜かした。

娘さんの両親も地球の裏まで腰抜かした。

息子さんも超絶、腰抜かした。

おじちゃんも完全に腰抜かした。ぴくぴくっ。

だろう。


でも、わたしには娘さんの気持ちも分かる気がした。

愛のビームって、暖かく懐かしい、貫通力がある。

愛は地球を救えないかもしれないけど、息子の縁談ぐらいなら軽くご破算にできる。



3.愛の十字架背負ったおじちゃんの事情


育成史によっては、荒ぶる若いオスは受け付けられない。

深い包容力を相手が持たないとすぐ壊れてしまうというような女性もいるだろう。

いや、そもそも武骨なわたしでさえおじちゃんに好感度になったぐらいだ。

性別、年齢を超えた人間の魅力というのは、この世に存在していたのだろう。

このビーム、とても珍しいので普段はなかなかお目にかかれない。

なので、実際、その目に気づくとそりゃもうびっくりする。


おじちゃんは家庭を持ち、苦労した経緯があった。

もう奥さんをもらうのはこりごりだっただろうし、”いい年”だ。

息子の候補を奪うカタチになる。

そこまでして息子をガッカリさせたくもない。世間の好奇な目もある。

自分の肉体や意識はあと10年ほどだ。まったくどんな責任も持てない。

おじちゃんは、好き嫌いの季節はとうに過ぎていた。

悩んだだろう。


いや、そういう次元でふたりは夫婦に成ったのでは無いような気がする。

その女性は、形式や立場や何かの保証が欲しかったのではない。

お嫁さんは、おじちゃんを一目見て、何かに気が付いたのかもしれない。

ああ、、わたしもあなたと夫婦と成り、こころ晴れ晴れと生きてみたいって。

お嫁さんは、一瞬にしておじちゃんに”自由”あるいは”解放”ということの意味を理解したのかもしれない。


おじちゃんを見ていると、不幸なことしか無かったし、お金も無いんだけど、

今を受容し楽しむ生き方ってあるんだなとわたしは気づく。

不足が満たされれば、しあわせに成れるという信仰はウソだった。

身の回りの環境、境遇に寄らず、人はこころに願う気持ちのままに今を生きれるのだ。

ほろほろと、胸が軽くなりお空に開いて行く・・みたいな自由だ。

すべてが揃ってから来る幸福なんてことじゃなくて、今ここにあるんだという気づき。

苦痛や悲しみと同時に、しかし、喜びも今に共存し得るのだと。



4.お嫁さんと結ばれる


「わたしは息子さんではなく、あなたと結ばれたいのです。」

そうお嫁さんは何度もおじちゃんに言ったことでしょう。

おじちゃんは女性の思い込みを解こうとしたでしょう。

しかし、娘さんの熱意と覚悟に、、承諾した。

いや、お嫁さんの想いに答えてあげたくなったのかもしれない。

おじちゃんは、他者を利用するような人じゃなかった。


ほんとに短い間しか、キミとは居れないんだよ。

僕はもっと老い、もっと醜くなり、寝たきりになるだろう。

収入も無い。キミを養ってあげれない。

僕には、キミにあげれることなんて何1つ無いんだよ。

いいかい、キミは絶対、苦労するんだ。


キミは熱病に罹ってるんだ。病だから、すぐに治る。

若い人の中にきっとキミに会う人がいるよ。探しなさい。

子どもをもって、一緒に同じ時を過ごして行くんだ。

笑ったり泣いたりし、供にずっと生きて行けるんだ。

それが自然なことだ。

こんなことしたら、キミは後悔する。必ず後悔する。


いいえ、あなたと居たいのです。わたしはあなたと結ばれたいのです。


きっと、そんなやり取りがなんべんも繰り返されただろう。

おじちゃんは、結婚ということより、その子の想いを叶えてあげたくなったんだと思う。

おじちゃんは、男気というようなものを見せたんだろう。

彼は、他者を裁かない、究極の受容者だった。



5.不思議なこと


こんなことがこの世にあるん?

わずかな間しか生活できないことを覚悟して結ばれるなんてことがあるん?

男には、体力もお金も健康も何にも無いのに・・。

そもそも、たった2時間ほどのお見合いの席で人は確信できるものなの?

答えは、やっぱりおじちゃんの放つビームにあると思う。


おじちゃんは洒脱で、ひじょうに機転が効き、ユーモアがある。

一緒にいるだけで、こちらも胸がほかほかする。

自分をある種捨てていて、みなのことをいつも考えている人。

でしゃばらず、飄々としている。

笑うと、笑顔がかわいい。

目は笑っているけれど、はにかんだような、照れたような、すこし悲しみ色なのです。

こういう人にわたしは会ったことがない。


いつも実家のあの店を想うと、いろんな人たちが寄って来る姿が浮かぶ。

別段用も無いのに顔を出し声を掛けて行く人たち。

不思議な空間だなぁ~ってわたしは思う。

不思議な人たちが来る。

お義母さんがぐいって引き寄せていたの?



P.S.


書きながら、人はいつでも生き直せる、ということだと思った。

法制度のために、わたしたちは結婚するわけじゃない。

あなたという魂と居たいと願ったのだ。

体はいつか朽ちるけれど、ウワサでは魂は永遠なんだそうな。

もう年寄りだから断念するのが当然なんだろうか。

いや、わたしたちは死ぬために、生きてるんじゃない。


わたしは肉体や社会の制約を受ける。

けれど、今をもっと味わっていいのかもしれない。

いえ、年取っても若い子を嫁にということではないんです。

それはやっぱり自然、ではないのです。

わたしの日々を、いかに常識で縛っているかということをわたしは言いたいのです。

たった数年しか心を通わせ会えないとしたら、キミは諦めるのか?という命題です。

数年はしかし、永遠と等価なことだってある。

自分のこの手のひらに宇宙を見、この一瞬に永遠を知るというようなことがあるのです。


こころが喜ぶ時。

それはこころが自由に動く時です。

それがもっとも大切なんだとすれば、それをじぶんに認めてあげないと可哀そうだ。

いつも、今度ね、今度ねといつまでたっても満たされずに過ぎて行く。

終いには、もう年寄りだからと自分自身が言って来る。おお。。。

失敗したら、それをずっと背負って生きないといけない。ああ・・・

こんな茶番をするためにここに来たのだなんて、勘弁してほしい。


おじちゃんは、今という瞬間を逃げずに味わって生きてた気がする。

良いことも悪いことも、苦しみも喜びも、この手に載せて味わって来たんじゃないか。

逃げずに受け取った。

そうして、やっと人はいつでも生き直せる。

その証が、あの眼差しなんだろう。

笑うと、笑顔がかわいい。

目は笑っているけれど、はにかんだような、照れたような、すこし悲しみ色なのです。


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