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シンデレラの心情がどうしても分からない



1.「舞踏会パターン」に困惑する


こんなの書いたってなぁ・・

でも、くそっ、負けるもんかっ!といういつものモードの方が安心だ。

もちろん、惨めなじぶんを見るのは嫌なんだけど、じゃあ、そこからどうやって立ち上がるのか。

坂の上を見上げ、また向かおうとする。

そんな「いつか不死鳥パターン」にこの身が慣れ親しんでいる。

ところが、”困ったこと”がたまに起こるのです。

わたしの記事を熱烈歓迎方してくれる方が現れる。

美味しいと、パクパク食べてくださる。

あっ、いや・・、そんな美味しいものではありませんほろほろ、

みたいな戸惑いがわたしにせり上がってくるのでございます。


もちろん、わたしの書いた子たちがウェルカムされてるんだから、嬉しいです。とても嬉しい。

でも、なぜか、こころが困惑もしてもいる。

さあ、あなた、今夜はかぼちゃの馬車に乗って王子様に会うのよっ、

ガラスの靴を履いてお姫様よっていわれるみたで、落ち着かない。

あれれ、いつもは台所の隅っこで、まま母や姉たちにいじめられてる召使なのにぃ。。。

じぶんの身に起きた変化が激し過ぎる。

わたしには、シンデレラの心情がどうしても分からないのです。

そんなに急激に心情って切り替えられるもんなん?

だって、わたし、いつも隅っこでポツポツ書いていたんだ。

悔しいけれど、いつか日の目を見るんだと坂の上を見上げてた。

それが急に晴れの舞台に上がる。おお・・・。

この「舞踏会パターン」は、限りなくわたしを落ち着かなくさせる。


そんなに、わたしの記事っておいしん?

いや、いつも、おまえは偉そうに言ってるんじゃろが!

いつも精魂込めて書いてると言ってたじゃないかっ!

読んで欲しいだろっ!!!

はい、いえ、でも、ほろほろ・・・。

こんな戸惑い、わかっていただけます?



2.自分への回帰と還流と


わたしたちがなぜ記事を書くかというと、想いを交換したいでしょう。

切なさや喜びを、自分だけではないんだと確認したい。

そうだよね、そうなんだよね、と言いあいたい。

また、他者の話を読めばインスピレーションも受ける。

あっ、わたしもこんなこと書きたいって。

あるいは、励ましもいただけます。

そうだっ、わたしもこんなふうに前に進みたいっ。

パクパク食べてくださる。

わたしも、素敵な記事があったら、ほかにどんなものを書いてるか、その方をパクパク食べます。

ただ、わたしに、そんなパターンがほとんど無いので戸惑ってる。

ただ戸惑ってるだけなんでしょうね。ええ、気にするようなことでも無いでしょう。

いや、でも、何かがひっかかる。


少なくとも、わたしが書いている話は、世界で初めての知見なわけはないのです。

他にもいっぱい同じような話ってあるはずです。

なぜ、これなの?と書き手自身が分からない。で、ちょっと考えてみた。


きっと、あなたが「そうかっ」とか、「そうだっ」と思う時、その考え方や感じ方は既にあなたのなかに在ったはずです。

知っていたはずです。

金星の伝統の漬物の苦労話を聞かされても、あなたは「そうかっ」とか、「そうだっ」とは思えないでしょ。

コウモリ社会のやり切れなさなんて、とても共感できそうにないわけです。

既にあなたの中にあったから、これを読んだ時、受け取れたと思います。

あなたに無いものを、あなたは受け取れないのです。


うまく言葉に出来なかった想いを、わたしという書き手がたまたま代弁したでしょう。

あなたは、それを見て、「そうかっ」とか、「そうだっ」と再認したのだと思う。

ずっと苦しんで追い込まれていた、今のあなたがそれを再確認したのだと思う。

もしそうだとすれば、3年前のあなたはわたしの記事にピンと来なかった。

3年後に、もし、はじめてわたしの記事を読んだのなら、そうねでただ過ぎ去るでしょう。

言いたいのは、わたしたちが「そうかっ」とか「そうだっ」とか思うのは、タイミングの話です。

極端にいえば、書き手はあまり関係ない。

ただ、たまたま、今のあなたが受け取り易い表現だったかもしれない。

それは、既にあなたの中にあった”善きこころ”の物語だったでしょう。

あなたも、だから、同列の、同類の物語の語り部になれるわけです。


タイミングが揃い、たまたま出会った記事であなたが自身を再発見したと、わたしは思うんです。

だから、わたしが記事をいつも書くのは、見たこと無いあなたへの励ましのつもりなんです。

ええ、それはかなり勝手な思い込みで、僭越なんですが。

いつかのあなたが、これを読んでくださった時、

ほろほろとすこし、あなたのこころが浄化されますようにという願いをわたしは込めている。

わたしも、多くの人のほろほろを頂いていて、

その「ほろほろ」はこんなふうにして、また人の間を流れて行く。。


熱烈歓迎された方は、すこし気が楽になったんですと書かれていた。

そうして、自分らしい素に戻られていた。

今度は、すこし気が晴れたあなたがその「ほろほろ」をまた他者に流しはじめたようにも思った。

わたしは、その姿が嬉しかった。

最初困惑が起こったのですが、ああ、熱烈歓迎されて良かったなと思った。


実は、熱烈歓迎する人は、それほど内に苦も抱えていました。

何人かそういう方に出会ってきたので、わたし、ハラハラしちゃうんです。

ええ、老婆心で書いております。

エネルギーを吸い取られ蹂躙されることほど、情けなく悔しいことはありません。

でも、あなたの記事を拝見すると、

軸を怒る自我から、本来の自分へと、そしてみんなの方へと動き出されていた。

そうやって自身を大切にされて行くのをわたしは見たと思う。

今度は、あなたがせっせとエネルギーをみんなに向けて与えていただけたら、書き手として望外の喜びですほろほろ。

言い過ぎていたら、ごめんなさい。

正直、嬉しかったし、戸惑いもありました。


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