祖父が死んだ

久しぶりに生鮮類を買って、ちゃんとした料理を作ろうと、スーパーに寄った。デザートでテンションをあげるために、ローソンにも寄った。

何故、海鮮サラダを作ったか。今日は、手伝っている球団がYouTubeで「テレ観戦」を行う日だったからだ。なんとなく「最強のテレ観戦選手権を開きたい」とTwitterで呟いたら、球団のファンの人が「拡散希望」してくれた。曲がりなりにも球団に関与している私は、私なりに最強のテレ観戦を行うしかなかったのだ。

最強のテレ観戦について考えて、野球場では提供出来なさそうなメニューを作ろうと思った。きっと、原価もリスクも高い食事がいいだろう。わざわざ野球場で提供する意味がない。海鮮類は、食中毒のリスクが高そうだ。リスクを冒してまで野球場での提供を目指すほどのキラーコンテンツでもない。だから、海鮮サラダにした。

球団のチャンネル登録者数は、今日1,000人を超えるかもしれない。そんな瀬戸際のタイミングだったから、お祝い気分に乗り遅れないように、予めご馳走(海鮮サラダ)を用意していたのだ。

どうでもいいけど私は海鮮サラダがとても好きだ。よくデパ地下に入っている、やたら高くてやたら美味しいサラダ屋さんで、うっかり買ってしまう。

テレ観戦をしていたら、母からLINEがきた。祖父が、一日だけ入院することになったという。祖父はこのところ入退院を繰り返している。明日には退院する見込みだが、念のため入院が必要らしい。

私はシンプルに「あら」と返信した。こういう時、必要以上に善良になってしまう人がいるけれども、私はシンプル派だ。

自分の発言が、相手に大きく作用してしまう場合、私は自分の発言に責任を持ってしまう。逆も然りで、相手の発言で、私が大きく揺らいでしまったら、好き勝手に物を言えなくなってしまう。それは窮屈だ。

明日には退院するのに、入院には手続きが必要で、大変らしい。明日には退院するのに入院手続きをするっていうのは、なかなか不毛な作業だと思った。母も疲れたのか、面倒くさそうにしていた。

私はといえば、テレ観戦がうまくいっていなさそうだったので、球団の方が気になっていた。新しいことをするのは大変だ。誰がどのくらいテレ観戦を必要としているかも分からないのに、時間や労力をかけるのは、正気の沙汰ではない。私はテレ観戦の担当ではなかったので、サラダの飾りとして茹でた「桜パスタ」で春を感じることしか出来なかった。

母がさっきと特に変わらぬテンションで「おじいちゃんが急変した」とLINEしてきた。「弟も呼んだほうがいい」と言われたらしい。急変の程度を表すのにこれ以上適切な日本語があるだろうか。

「弟も呼んだ方がいい」。

私は、有事の際に「兄も呼んだ方がいい」と言われたら、かなり大ごとだと判断するだろう。不謹慎だが、面倒な入院手続きをした甲斐があったなと思った。もしも祖父を車で老人ホームに連れて帰っている途中に祖父の容態が急変していたら、さすがの母もトラウマものである。容態が急変した場所が、病院でよかった。

そういえば、祖父が強引に始めて今は叔父(母の弟)が継いでいるマスの養殖業は、コロナウイルスの影響でキャンセルが相次いだという。損失額は数百万円になるという。昨年なんとか建て直して黒字化したものの、コロナウイルスの一件で完全に赤字に転落したらしい。

祖父が死ぬかもしれない。祖母は、祖父が死んだらどうなるのだろう。祖父の死を知らされるのか、もうボケてしまったのだから敢えて知らせることもせずナアナアにするのか、どっちだろう。

祖母は、祖父の死を理解できないかもしれない。曾祖母の死も、祖母は忘れてしまったようだった。誰かの死を、未来のある子どもに伝えるのと、未来のない老婆に伝えるのは、ニュアンスが違う気がした。祖母は、祖父の死を受け止める必要があるのだろうか。そもそも祖母は、葬儀に参列できるのだろうか。

「祖父の死」というコンテンツは、ラジオのネタになるかもしれないなと思った。別にプロでもないのに、私は自分の人生を切り売りしてラジオをやっている。それがどういうわけか「ポッドキャストアワード」なんて大層な賞にノミネートされている。

周防大島の釣りの話を、先に収録していてよかったと思った。死んだ後にいかに祖父が好きだったかを語っても、そんな商売じみた美談は「売れ筋」ではないと思った。売り物でもないのにバカバカしいことを言っている。

私のようにお口がペラペラな人間は、嘘を簡単についてしまうから、本当のことは率先して口に出していかなければいけない。そうしないと、待ちきれなかった嘘が、ヒョイヒョイと口をついて出てしまう。

祖父が死ぬ前から、録らぬトークの皮算用をしていたら、母からしばらく連絡が途絶えていることに気がついた。「もしかしたらもしかするかもしれない」と嫌な予感がした。「祖父が死んだらどんな気持ちになるのか、よく分からないな」と、祖父が死ぬと決まる前から思った。

母からLINEがきた。「おじいちゃん、急変してさっき亡くなりました」。私は「そっか」「おじちゃんは間に合った?」と返信した。母は「ギリギリ間に合わなかった」と言って、私は「そっか」と返した。相変わらずの塩対応である。

母との会話が、母との個人LINEではなく、家族LINEになっていることに、しばらく気がつかなかった。さて、祖父が死んだ。どんな気持ちなのか、祖父が死んだと決まっても、よく分からないと思った。

どうしたらいいだろう。よく知らないが、葬式は大変だとよく聞くから、手伝いに行った方がいいと思った。母は「遠いよ」と言ったけど、何もしなかったら、私は「祖父の死」の後を追ってフラフラと付いていってしまうだろう。行く以外の選択肢はないと思った。

葬式は、生きている人間のためにある。

母は「初めて葬儀屋に電話をかけた」と言った。母にとって、父親が亡くなるのは初めての体験だ。母は家族LINEで「おじいちゃんが亡くなった」と言ったけど、家族LINEで反応したのは私だけだった。

もしかしたら父や兄も、それぞれに母と連絡を取っているのかもしれない。しかし、その連絡の多寡や性質について、何事も父や兄に強制してはならないと感じた。家族という線で繋がっていようと、それぞれに一人の人間だから、感じ方やその行動について言及するのは「イマドキ」ではない気がした。

いち早く岩手行きを決めて母に報告した私に、母は「喪服や数珠を持ってきてほしい」と言った。その時、葬式には喪服が必要だと気づいた。かつては営業だったので、お得意先のご葬儀には度々参列してきた。その度に喪服と香典を用意してきたのに、案外忘れるものだなと思った。

私には常備薬があるけれども、抗精神薬はオーバードーズする人が多いから、気さくに多めにもらうことはできない。翌日の15時に通院する予定だったから、「ちょうどよかったな」と思った。人の生き死にに「ちょうどいい」も何もないと、今、文章を書きながら思った。

会社に連絡するかどうか迷った。もともと休養中なのだから、そっと岩手に数日間戻ったとしても、誰も気付きやしない。しかし、連絡をすることにした。コロナウイルスで原則出張禁止になっているのは、休養中でも社員に適用されるべきルールだ。ルールを破るのだから報告が必要だ。

そう言い聞かせるように「祖父が死んだ」とメールを打ったけれども、正直誰かにお悔やみを申し上げられたかっただけだ。別に多少予定が狂ったとしても「すみません」で済む。それでも「祖父が死んだ」とわざわざ言ったのは、「すみません」で済まない程度の影響を、祖父の死から受けると思ったからだ。

ついでに友人との約束を二つ反故にした。
どちらも「祖父が死んだ」と言った。

ほとんど動かしていない高校生の頃からのTwitterのアカウントでも「祖父が急変して死ぬかもしれないという報せが入った。岩手は遠い。千葉も。」と呟いたあと、「亡くなった。」と呟いた。何故か私のそのアカウントは、友人達に必要十分なメッセージが伝わる機能が搭載されている。私が死んだ時も、必要十分に友人に連絡したい場合は、そのアカウントが好ましいと思う。いつか遺言を書く時には、そのアカウントのIDとパスワードを記しておきたい。

冷蔵庫に海鮮サラダをしまいながら、これを明日までに食べ切らないといけないのは大変だと思った。「コンビニ飯ばかりは体に悪いから」と買ってきた生鮮類が、今は恨めしい。岩手に行って、帰ってきたら、確実に腐ってしまうだろう。私はこう見えてフードロスに心を痛めるタイプの女なので、海鮮サラダを余らせないように多めに食べた。

この話はラジオにならないな。

私のラジオは、私と同レベルに弱い人間向けに作っているのだ。私は、他人にとって重要な人間の生き死にまで、受け止めることはできない。まあ、要するにこの話は、番組の定義に反する。祖父が死んだところで、世界は小さく平和になったりなどしない。だから私は、祖父が死んだ話を、「忘れてみたい夜だから」では話さない。

人間が生まれた時の正解は、「喜ぶ」だと思う。
人間が死んだ時の正解は、ないのだろうか。

球団のYouTubeチャンネル登録者数が1,000人を突破した。登録者数は、収益化できるか否かのボーダーラインの一つだ。球団にとって、重大でハッピーなニュースだ。球団のYouTubeチャンネルには、私が編集した動画も何本かある。

浮かれたグループLINEに、私は「やったー!おめでとう!」とクラッカーの絵文字付きでメッセージを送った。お祝いムードに乗り遅れないようにと作った海鮮サラダは、冷蔵庫の中でひんやりしている。もしかしたらお祝いムードが続くかもしれないと思って、ビールは500ml缶で十分なのに、350ml缶も補欠で買っていた。350ml缶の出番は来なかったし、「やったー!おめでとう!」とは、2ミリくらいしか思っていない。

しかし1ミリでも思っていれば嘘なんて容易につけるのだから、私のペラペラな口は便利である。2ミリも思っていれば、原稿用紙2枚は「やったー!おめでとう!」という感情だけで埋められるだろう。まったく都合の良い頭をしている。

そういえば祖父に花嫁姿を見せることやひ孫の顔を見せることはもう叶わなくなった。そのことに気付いて少しだけ涙ぐむ。祖父は一度たりとも花嫁姿もひ孫の顔も私に要求しなかった。正確には祖父から何かを要求されたことは一度もない。そんなことに今更気付いた。

「違国日記」という漫画で、母親を亡くした主人公・朝に、母親の妹、朝にとっては叔母にあたる槇生が、こう告げるシーンがある。

日記を …つけはじめるといいかも知れない
この先 誰が あなたに何を言って 
…誰が 何を 言わなかったか 
あなたが 今… 何を感じて 何を感じないのか 
例え二度と開かなくても 
いつか悲しくなったとき 
それがあなたの灯台になる

私は、「違国日記」のこの台詞が大好きだ。読み返して、そういえばこの台詞は主人公・朝が母を亡くした時に槇生にかけられた台詞であったことと、主人公の名前が「朝」であったことに気がつく。

誰が 何を言って
誰が 何を言わなかったか
あなたが今
何を感じて
何を感じないのか

祖父は 私に何も要求しなかったから、
私に今 明確な後悔はない。

祖父は、年末に帰った時に「もうすぐ死ぬから孫が会いにきてくれた」と言った。私はむきになって、「毎年年末には会いに来ているでしょ」「ゴールデンウィークにもまた来るよ」と反論した。本当は、衰弱した祖父を見て「これが最後になるかもしれない」「そう思うのも大袈裟だろうか」とぼんやり思っていた。

ろくにプレゼントなんてしたこともないのに、レッグウォーマーをプレゼントした。ボケてしまった祖母は、「これは要らない」とはっきり言った。ボケていない祖父は、私に「履かせてほしい」と言った。今際の際に、脚が暖かろうが寒かろうが、正直本当にどうでもよかったと思う。祖母が正しい。

今となってはどうでもいいけれど、年末に、祖父が好きな釣りの話をするために、周防大島に釣りに行った話をした。衰弱した祖父は、釣りの話でも別に盛り上がらなかった。ラジオではあの話はそこそこウケたけれども、祖父相手には完全にスベッた。釣れた魚の写真も沢山撮ったのに、私が釣った魚の種類よりも、孫の登場の方がビッグニュースだったらしい。二年前は、会いに行っても、私のことを覚えているんだかいないんだか、よく分からなかったのに。

今となってはどうでもいいけれど、正直、年末年始に岩手に帰るのは、今の私にとって、とても大変だった。主治医と産業医と会社には「ゆっくり休め」と言われていた。私は「無理のしどころなんです」と突っぱねた。

あの時、無理をして岩手に帰らなければ、私は年末年始の十連休をしっかり休んで、回復できていたかもしれない。現在のように、「要休養」の診断を受けて会社を休むことはなかったかもしれない。

あの時、それでも「無理」をしたのは、今の私のためだった。会いにいかなかったことを悔やまぬために、今の自分のために、会いに行ったのだ。

Radiotalkから通知が来ている。
『#48 「高校野球だけが特別」ではなくなってしまった話』に、リアクションが26件と53件、ほとんど同時に届いた。Radiotalkは、どういう仕様で通知が来るのか、正直よくわからない。ものすごく共感した人が、一気に押したのだろうか。#48の放送回は、我ながら言いたいことを言えたな、と振り返っている。

私が野球に興味を持ったきっかけは、夏休みに祖父母の家に行くと、必ず祖父がテレビで甲子園を観ているからだった。どういうわけか全員坊主で色黒の高校生が、汗を流して泥をかぶって、炎天下で野球をして、涙を流している。それを飽きることなく、毎日見ている祖父がいる。

はっきり言って意味がわからなかった。高校野球のようなものを美しいと感じる価値観を持たなければ、人間として、どこか欠陥があるのではないかと感じていた。毎年、別に好きでもない高校野球を眺める、窮屈な夏休みだった。

中学二年生の時、「おおきく振りかぶって」という漫画に出会って、「面白い」と感じた。私は野球を好きになれるかもしれないと思った。チャンスだった。だから、好きでもない高校野球を、好きになるまで努力した。

選手のことを雑誌で調べて、実際に球場に足を運んで、知らない単語を一生懸命調べた。野球中継で「今のはスライダーですね」と実況の人が言うのを聞いて、「だからどうした」と思わなくなるまで努力した。

夏休みに、祖父が簡単にチャンネルを譲ってくれていたら、私が高校野球を好きになることも、高校野球のマネージャーになろうとして失敗することも、野球応援目当てでダンス部に入ることも、ろくな運動神経もないのにダンス部で日本一になることも、大学で野球部のマネージャーになることも、野球部のマネージャーを辞めた後にもう一度ダンスを始めることも、そこまでゆかりのない球団の手伝いをすることも、なかっただろう。

今年、センバツ甲子園がなくなった。
祖父も亡くなった。

私は高校大学で野球を題材に論文を計3本書いて、大学で野球部のマネージャーをして、わりと散々野球と向き合った。だからなのか、自分の野球に対する執着の正体にも薄ら気がついている。実は野球がもう好きではなくなったことにも、気がついている。

しかし、野球が好きではなくなったことが、自分にとっては大きな出来事であると知っている。そして、祖父が亡くなったことが、自分にとって大きな出来事であることも知っている。

ただ、どうリアクションをとるのが正解なのか分からないだけだ。内海は、リアクションだけで他人と差別化しようと目論む、ちっぽけな存在だ。

筆が止まった。
祖父が死んだ。
どうしたらいいんだろう。

――遡って、これよりも前に書いた文章の推敲をしてきた。私はどう考えても話を盛るくせがある。言葉を選べるというのは、贅沢なことだ。

何が起きても決まって「クソ」「ゴミ」と言っている人を見ると、その乏しい語彙でよく感情の整理がつくなぁと感心する。しかし環境にはあまりよろしくなさそうなので、心の中で「ディーゼルエンジン」と勝手に呼んでいるのはここだけの秘密だ。

勿論嘘である。

今唐突に「ディーゼルエンジンっぽいな」と思ったから、前から思っていたみたいに言ってみただけだ。「上手いこと言いたい病気」に罹っていると思ってほしい。そして私は、どうやらこの文章をnoteに投稿することを決めたらしい。

切実っぽい文章を打ちながらも、頭ではいつ投稿するかどうかだけ考えている。葬儀やら何やら終えて岩手から帰ってきた時か、岩手に行くまでの新幹線の中か。現在の文章の量と文章を書くペースとしては、行きの新幹線の時点で、人間が読める文章の量を超えてしまうだろう。

そういえば祖父が亡くなったと聞いてから、以前から熱心に弊社に入りたがっている大学の後輩の、エントリーシートの添削依頼に手癖で対応した。対応したといっても、「これでだめなら単純にあなたの実力不足です」と遠回しに言っただけだ。

添削自体は、これまでに何往復と行ってきた。私は、就活生からのエントリーシート添削依頼を、断ったことがない。

就活生が添削を依頼してくる文章は、いつも設問にすら答えていない。細かな日本語の狂いを指摘し始めるとキリがないし、要約すると一行にしかならない文章を五行もかけて書いている。まずは落ち着いて、設問を読んでほしい。

Google翻訳で一度日本語から英語にした文章を、再度日本語にしたとしか思えないような日本語を、母校の後輩が送ってくる。この世の不思議としか言いようがない。入試で一体何を試されて、普段何語を喋って生きているのだろうか。卒業論文を、一体何語で書いたのだろうか。私は英語だ。恐らくゼミの教授は、こんな気持ちで私の拙い英語の論文を読んだのだろうと、常々思う。

遠回しに「お前は日本語すら理解していない」と指摘したのに、就活生はせっせと日本語を日本語に修正しては送ってくる。熱心だ。見上げた根性と言わざるを得ない。

思わず人事部の新卒採用担当になった元彼、私を俺色に染めたかったらしい元彼にも、「この子は少なくとも熱心ですよ」と耳打ちした。はっきり言って、「俺色に染めたかった」という面白ワードを残した以上の価値が、元彼と過ごした時間にあったとは思えない。見知らぬ就活生のために、胸糞悪い元彼にLINEする必要などなかった。

しかしコロナウイルスの影響で就活イベントは軒並み中止になり、新卒採用担当の元彼も、就職活動中の大学の後輩も、程度こそ知る由もないが、大変だろうと察しはついた。「世のため人のため」と大義を得て、何かしておかないと、私はすぐに自分の存在意義を見失ってしまう。「ありがとう」を簡単に獲得できそうな時には、手なり足なり口なり動かしておいた方が得策だ。

誰色にでも染まってしまいそうな文章は、悲しい。自分自身のこれまでの人生について綴った文章を、会ったこともない女に添削されて、それ以上の日本語が出てこないのは、どんな気分だろう。他の誰かに語らせた方が饒舌な人生なんて、胸糞悪くて受け入れがたい。

全然関係ないけれども、こういう人間がボランティアをして、プロフェッショナルを殺すのだと覚えておいた方がいい。

「ありがとう」欲しさに自分を安売りすることで、私はプロフェッショナルを殺している。本来生まれるべき雇用を殺している。私は私の「出来ること」を生業にしている人たちが、そのプロフェッショナリズムを買い叩かれて紛糾しているのを、しばしば見殺しにする。

「ありがとう」欲しさの犯行だ。私は意外と「出来ること」の量や質に不自由していない。幼少の頃からの積み重ねで「出来るようになったこと」を無償で提供することで、「ありがとう」を得る代わりに、その道のプロフェッショナルを殺している。

ボランティア活動を、たまに褒めてくる人間がいる。そんなお気楽な人間とは、本質的には分かり合えない気がする。誰かボランティア活動を本気で叱る人間が現れたら、私はその人間を強く信頼するかもしれない。

祖父が死んだだけなのに、どうしてボランティアについて語っているのだろう。恐らくはプロフェッショナルを殺してきた自負が、生死に関する何かしらの要素と、頭の中でリンクされたのだろう。我ながらめちゃくちゃなこじつけである。

もう2時だ。寝なければならない。

しかし、書くモードというか、アウトプットモードに入った私は、基本的に何をされても眠ることはない。それこそ睡眠薬を飲んでもだ。睡眠薬の無念を感じながら、aikoの「二時頃」でも聴こう。「メロンソーダ」でもいい。音楽が必要だ。

誰か私の、不必要によく回る頭を止めてくれ。そこの睡眠薬、お前でもいい。出来ればaikoがいい。aikoの中で選べるなら、「ストロー」がいい。

君にいいことがあるように
今日は赤いストロー刺してあげる

それくらいがいい。
言葉なんて、こんな風にペラペラに紡がれるものだから、何も言わずに赤いストローを刺してほしい。

「なんで赤いの?」とか そんな話をしたい。
「なんでストロー?」とか そんな話をしたい。

お悔やみ申し上げられるのも悪くはないけど、欲を言うなら赤いストローをさしてほしい。

君にいいことがあるように
今日は赤いストロー刺してあげる

やっぱりaikoは天才だ。
岩手には赤いストローを持っていこう。

私は母ではないので知らないけれども、多分母は疲れているだろうし、「父の死」について話すのはエネルギーがいるだろう。

私だって、そうだ。「祖父が死んだ」という文章なのに、「祖父の死」について、ほとんど語っていない。

母だって、「父の死」について必要十分な量を話したら、あとはどうでもいいことを話したいのではないだろうか。

やっぱりaikoは天才だ。
岩手には、喪服と赤いストローを持っていこう。


OLとバリキャリとオタクの中間地点にいます。 「忘れてみたい夜だから」という番組をRadiotalkとPodcastでお届けしています。 【Radiotalk】 radiotalk.jp/program/31133