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2NE1復活によせて|2NE1の物語

私の好きなもの。
2NE1(トゥエニーワン)だ。

2NE1(トゥエニーワン)

2NE1(トゥエニーワン)とは

2NE1(トゥエニーワン)とは何者か。

ガールクラッシュ(カッコイイ女の子)

K-POPに詳しくない人でも、BLACKPINK(ブラックピンク)は聞いたことがあるかもしれない。

BLACKPINK(ブラックピンク)

BLACKPINKは、TWICE(トゥワイス)と並び、世界で最も成功したK-POPガールズグループだ。

日本ではTWICEのほうが有名だが、世界ではBLACKPINKである。

そのBLACKPINKを生み出したYGエンターテインメントが、BLACKPINKの前に、自社初のガールズグループとして作ったのが2NE1だ。
つまり2NE1はBLACKPINKの姉貴分ということになる。

アイドルだからといってカワイイのではなく、
女子が憧れるカッコイイ女
それをK-POPではガールクラッシュと呼ぶ。

今でこそガールクラッシュをやるカッコイイ系のガールズグループは多い。
多いというか、無数にある。

先に挙げたBLACKPINKが代表格だが、

(G)I-DLE(ジー・アイドゥル)
aespa(エスパ)

ほかにも挙げていたらキリがない。

でも、2NE1がデビューした2009年は、アイドルといえばカワイイが当たり前

少女時代(2007年デビュー)
KARA(2007年デビュー)

アイドル=カワイイの常識を打ち破り、
カッコイイアイドルとして全世界全女子の前に現れた、
ガールクラッシュの先駆。それが2NE1である。

メンバー紹介

まずはリーダーのCL

CL

本名イ・チェリン。デビュー当時18歳
イ・チェリン(Lee Chaerin)のイニシャルをとってCLだそう。

ラップの腕前は、K-POPの女性アイドルとしては史上最高クラス。
謙虚に見積もっても5本の指には入る
歌詞を書く能力も高く、K-POP界最高の女性ラッパーだ。

CL

そしてダンス上手い作詞作曲もできるので一人で全部可能。

デビュー前に事務所から顔の整形を勧められたが断ったという。
10代の子供に整形を勧める事務所もアホだが。
しっかり断ったCLは若い頃から意思が強くてカッコイイ

CL

子供の頃、日本に住んでいたらしく、日本語が上手。
お父様が筑波大学で教授をなさっていたとか。
筑波のインターナショナルスクールに通ったそう。
中学生時代はフランスで過ごしたとかで、語学堪能。

あとめちゃくちゃファッショニスタ。おしゃれすぎる。

続いては、メインボーカルのボムことパク・ボム

パク・ボム

ボムはデビュー当時25歳

アメリカの音楽大学を出ているらしく、歌が上手い
上手いというか、声がめちゃくちゃ良い
泣いているような切ない感じで歌う。なのに声量めっちゃある。

パク・ボム

ラップは苦手とのことで、やっているのを見たことがない。
デビュー当時から独特の可愛らしさがある。お人形みたいな感じ。

パク・ボム

ダンスが苦手でも、一生懸命踊ってるのがカワイイ。

ボムの歌を聴けば、ボムの心がとても繊細なことが分かる。

アメリカにいた頃に友達を交通事故で亡くし、メンタルの薬を飲むようになったボム。
(そのことが、後に災難を生むことになってしまう。)
ほかにも持病といわれているリンパ節炎や、自ら明かしたADD(注意欠陥障害)など、ボムには戦うものが多かった。

ボムの歌声はとっても切なくて悲しくて、でも強い。ボムの生き方そのものだ。

続いては、爽やかボーカルのダラことサンダラ・パク

サンダラ・パク

ダラはデビュー当時25歳。2NE1の外交担当。

フィリピン育ちで、2NE1になる前にはフィリピンで芸能活動をしていた。
フィリピンでの人気はかなりのもので、
サンダラ・パクを知らない者はフィリピン人ではない
といわれるほどだとか。

サンダラ・パク

昔の映像(2NE1 TV)で、YGエンターテインメントの社長が、
「ダラは天然美人だな〜。化粧しなくてもカワイイ」
とダラに話しかける映像があり…
つまり美人ってこと。

おそらくビジュアル担当という想定でチームに入ったのだろう。
ボーカルの腕前は、2NE1の中では四番目。
ダラも上手いけど、ほかの三人が上手すぎる。
ダラは声が細く、声量が少し小さい。でも音は外さない!
死ぬほど練習したんだろうなって感じなのはダラ。

ダラは最近、2NE1時代について、
ほかの三人より実力が劣っていたので、自分はチームに必要ないと思っていた。
自分の声は必要ない気がしていた。」
と語っていた。

いやいや、そんなわけない!
ダラちゃん!そんなこと言わないで。

ほかの三人は上手いけど、三人ともこってりした歌い方をするので、
ダラのさっぱりした歌声が所々に入ることで楽曲が聴きやすくなっている。

ビジュアルよりもパフォーマンスを売りにしている2NE1の中で、
ダラだけはパッと見で分かるほどの美人だが、

サンダラ・パク(2012年)

髪を刈り上げたり、

サンダラ・パク(2009年)

ヤシの木みたいな髪型をしたり、

とにかく美貌を隠すためならどんな髪型でもする。サイコー。

最後は末っ子のミンジ

コン・ミンジ

ダンスが得意なミンジことコン・ミンジ。デビュー当時15歳

先祖に無形文化財の舞踏家がいらっしゃるとかで、ダンスめっちゃ上手い
間違いなくK-POP史上最高クラスのダンサー。
活動当時は10代だったのにセクシーな動きも大得意。

ダンスだけじゃなく、歌もめっちゃ上手い

コン・ミンジ

ミンジの歌声は太くて渋い
安定感があるので、楽曲でも難しいパートを任されている。
音響事故で演奏が止まっても、難なく歌い続けられる実力の持ち主。

なんでも先祖に舞踏家だけじゃなくてパンソリ(韓国の伝統歌唱)の歌い手もいるらしい。最強DNA、K-POPの申し子ミンジ。

練習生期間が一番長いからか、日本語も上手

コン・ミンジ

ちょっとハスキーな声笑顔がカワイイ

最後に復習。

左からCL、ダラ、ボム、ミンジ

左から、CL、ダラ、ボム、ミンジ。

個人的には、カリスマ溢れるリーダーCLに、
頑張って付いていくちょっと頼りないお姉さんダラボム
自由奔放なお姉さん三人に振り回されるしっかり者な妹ミンジ
そんな四人の関係性(私から見たイメージだが)も好きだ。

2NE1の物語

デビューするなり人気絶頂

2009年にFire(ファイヤー)で鮮烈デビュー。
冒頭からカッコイイので見てほしい。

同じ2009年には I Don't Care が大ヒット。
2010年には Can't Nobody が大ヒット。
とにかく出す曲が全部ヒットする。出せば全部売れる状態。
最大のヒット曲は2011年の I AM THE BEST(私が一番イケてる)。

I AM THE BEST(私が一番イケてる)は、
BIGBANG(ビッグバン)の FANTASTIC BABY とともに、
『世界にK-POPを知らしめた二曲』
といわれている。
I AM THE BEST を知らない人は、
K-POPが好きとは口が裂けても言ってはいけない。禁止である。
それくらいのK-POPを代表する名曲といっていい。

こんな感じで2NE1は当時めちゃくちゃ人気があった。
でも2013年の末あたりから、不穏な空気が漂い始める。

まだ人気あるのに事務所は解散ムード

2013年夏、シングル『Do You Love Me』が発売される。
このシングルの売上が、以前よりは振るわず、予想を下回ったという。
たった1曲コケただけだ。(大コケというほどでもない。)
だがこのとき、メンバーは事務所の社員に、
もう2NE1は終わりだな
と冗談混じりに言われたそうだ。(ひどすぎるよ〜)

真偽は不明だが、当時は事務所の幹部が、
2NE1は広告費が取れない
と漏らした、という報道があった。
まだまだ人気はあったが、会社としての将来性を考えると、YGエンターテインメントとしては2NE1の成長に限界を感じる部分があったのかもしれない。

2NE1が人気を獲得したぶん、
「2NE1の美人バージョンを作ればもっと儲けられるかも?」
と事務所も考えたのかもしれない。
とにかく2NE1を解散させて、若いガールズグループをデビューさせようという話が、事務所の中で持ち上がった。

そんなときに事務所が2NE1に渡した楽曲が、
As If It's Your Last(最後のように)

さ、さ、最後のように……!?
タイトルからして不穏すぎる!!
解散させる気満々じゃねえか!
ところが2NE1のメンバーは、この『最後のように』の歌唱を拒否

後にメンバーのミンジが語ったところによれば、
最後のように』を歌ったら、最後になってしまう気がした。私たちは、まだ終わりたくなかった

メンバーのダラは当時について、
「解散しないと信じていたけど、レコーディング室で(メンバーの)ボムと目が腫れるまで泣いた
と後に語っている。

そして彼女たちが選んだ楽曲が、
Come back home だ。

"冷たい世界に置き去りにしないで。
苦しみを越えてあなたを待ち続けるよ。"

そんな歌詞。

この楽曲が発表されたのが2014年3月。
同年4月に韓国ではセウォル号沈没事故が発生した。

韓国の人々は、当時ヒットしていた Come back home の歌詞を、セウォル号沈没事故の犠牲者や遺族の気持ちに重ね、涙したという。

この Come back home の大ヒットで、2NE1のメンバーは、
これで解散しなくて済むと思った
と語っている。

ところで、2NE1が歌わなかった『最後のように』は、
後に妹分BLACKPINKの楽曲になった。

これ、曲調は明るいのに、どことなく切ないメロディで、ぶっちゃけ超イイ。

私はこの楽曲を初めて聴いたとき、

まだデビューしてまもないのに、なんか切ないし、
しかも『最後のように』ってどういうこと?

と思ったのだが、もともと2NE1の楽曲だったと知って納得した。
ヒット曲が多いBLACKPINKの楽曲の中でも、特に人気の高い一曲。

ワールドツアーと麻薬スキャンダル

そして2014年夏、2NE1は2回目のワールドツアーを行う。
もちろん日本にも来ている。
私は子供だったので行ってないが、
横浜アリーナでのコンサートはDVDで20回くらい視聴した。

このコンサートの数日前、メンバーのボムの過去の麻薬密輸疑惑が報じられた。
麻薬疑惑に関しては、昔アメリカで暮らしていたボムが、アメリカで合法的に使われている薬を輸入したところ、韓国では違法だったので通報されてしまった事件。
結局は故意でなかったことが認められてお咎めなしに終わるが、
ここから一気に2NE1への逆風が吹き荒れる。

そんな中で行われた来日コンサート
事務所の中で解散の空気があったことなどファンは知るよしもなく。
メンバーたちはつらかったはずだが、そんな様子はみじんも見せず。

2014年ワールドツアー

全身全霊のパフォーマンスを汗だくだくで披露。
しかも日本語歌詞!

メンバー全員めっちゃくちゃ楽しそうなので、事務所内での不穏な空気なんて、みじんも感じられない。

横浜アリーナでダラは言った。
またここでコンサートできるように、これからも頑張ります!

当時、疑惑の渦中にあったボムも言った。
またすぐ日本に来るからね

どんな思いで言っていたのか。
考えるだけで胸が張り裂けそう…

アンコールステージでリーダーのCLは、
「つらいことがあっても、皆さんの顔を見ると元気が出ます」
ミンジは、
日本のブラックジャック(ファンのこと)が一番大好き!
と叫んでくれた。
(私もミンジが一番いっちばん大好きだよ!)

でも、このコンサートの後、2NE1とファンは長い別れを迎えることになる。

2015年、MAMAでのサプライズ復活

ボムの麻薬疑惑を受けて2NE1は無期限活動休止
2014年下半期の活動はなく、2015年にも活動なし。

このときのYGエンターテインメントの対応は、あまり良くない印象だ。
ボムの麻薬疑惑に関して、きちんと説明することなく、
ただ2NE1を沈黙させて、時間が経つのを待ってる感じだった。

その間、CLはソロ歌手として活動し、ダラはタレントとして活動した。
でもボムとミンジは何もなし
ボムはともかく、ミンジは何も悪くないのに全く活動できない状況。

2015年の年末に、CLがソロ歌手としてMAMA(音楽授賞式)に招待された。
このときCLは、一人でソロ曲をパフォーマンスする予定だった。
ところが、CLがソロ曲を披露した後、ほかの三人(ダラ、ボム、ミンジ)が、
ステージの下から突然上がってきていきなり登場

会場ビックリ。

竜巻のように FireI AM THE BEST を披露して帰っていった。
活動休止中の突然の復活劇に、世間は超ビックリ。

ファンは「また2NE1が活動を再開するんじゃないか?」と期待し、

ファンでない人々からは猛バッシングされてしまった。
「活動休止中なんだからおとなしくしとけよ」
「麻薬疑惑はどうなったんだよ?」
「いきなり現れて全部もってくって何なんだよ」
みたいな感じで。
いいじゃないかよお〜それくらい

このサプライズ登場に関しては、
2NE1メンバーとMAMAのPDしか知らなかった
と言われている。

このサプライズ・ステージについて、
メンバーのダラは後にこう語った。

「あれが四人でやる最後のパフォーマンスになるとは思っていなかった。でも、心のどこかで最後だと分かっていたようにも思う。みんな分かっていたんじゃないか。結局、あれが最後になった

突然の解散

MAMAでのサプライズ登場の後、再び2NE1は長い沈黙期に入り、
2016年に、それまで二年近く何の活動もさせてもらえなかったミンジが、YGエンターテインメントとの契約を終了し、2NE1を脱退することが報じられた。
2NE1はそのまま新曲を出すことなく、2016年に解散が発表された。

当時について、メンバーのダラは、
「家から出られないほど悲しかった。毎日泣いた。」
と語っている。

そして2021年には、リーダーのCLが、
解散を報道で知った
と衝撃の事実を明らかにした。
なんと、解散を事務所から直接知らされるのではなく、報道で知ったと。
ディナー中に報道記事を読んだ知人から電話がかかってきて知ったという。

は? 事務所ひどすぎるだろ。

当時のファンはそんなことを知るよしもなく、
「皆が納得してそれぞれの道に進むことにしたんだ」
と信じようとしたし、
解散に納得できない人々からは、リーダーのCLのせいにされたり、
直前に脱退したミンジのせいにされたり、メンバーの不和ってことにされたり。

当時についてミンジは、
「世間に裏切り者と言われ、つらかった。ネットを見ないようにしていた。」
と語っている。

2020年のダラ(左)とミンジ(右)
それを聞いて号泣するダラ。

そしてYGエンターテインメントが、2NE1と入れ替わりにデビューさせたのが、

BLACKPINK

BLACKPINK(ブラックピンク)!
当時は「2NE1のカワイイバージョン」と言われていた。
だって四人とも美人だものね。

YGエンターテインメントの社長も公式にこんなこと言っている

「今までは、ルックスを重要視しなかった。
美しいものよりは、素晴らしいものを望んだ。
しかし会社内で、美しければなお良いだろうという話になった。
今度のガールズグループ(BLACKPINK)はビジュアルもこだわった

うるせえ黙れ。
露骨すぎるんだよ、やることが!

(実際、その後BLACKPINKは歴史的な大成功を収めることになる)

解散後の四人の受難

こうして引き裂かれた2NE1のメンバーのその後。

リーダーのCLは事務所に残ったが、
歌手としては1曲も出させてもらえず、バラエティ出演などの仕事ばかり。
歌手としては、完全に飼い殺し状態。

CLが作曲しても、事務所が取り合ってくれず、
CLが曲をリリースしたいと、社長にメールしても返ってこない。
いくらメールしても電話しても無視され、ついに、
社長のインスタのコメント欄に、

社長、私は? メールの返事を下さい
とコメントするまでに追い詰められていた。
歌手活動をさせてもらえないストレスのためか、激太りが報じられたりも。

2018年シンガポール公演のCL

社長に無視されているストレスじゃないのか?
ファンたちはめっちゃ心配した。

ついに2019年YGエンターテインメントを退社
1曲も出さないまま!
飼い殺しにされるために残ったのか!
歌手として貴重な20代の数年間を失うことになった。

YGエンターテインメント時代、CLが作った曲は、
最近、新しい会社からリリースされたものもあるし、
ネット上になぜか流出したものもある。
全部めっちゃ良い曲。もったいないな。

続いて、ボムことパク・ボム
2NE1の解散と同時にYGエンターテインメントを追い出され、
長く表舞台に出てくることはなかった。

2019年、クイーンダムという対戦式の番組で復帰。

それから徐々に音楽活動を再開しているが、
ボムもときどき激太りが報じられ、健康状態を心配されている。
とくに心配されるのは精神的な健康
過去の麻薬疑惑と整形疑惑によるバッシングで、激しいストレスを受けたとボム自身も明かしている。

続いて、ダラことサンダラ・パク

女優になったサンダラ・パク

ダラもCLと同様、2NE1解散後もYGエンターテインメントに残ったが、
歌手活動はさせてもらえず、テレビショッピングバラエティドラマ出演などの仕事を続けていた。

ダラは当時について、
「2NE1という家を失って、これからどうやって生きていくのか」
「周囲からの待遇がガラッと変わった
「親しいと思っていた友人が、一斉に去っていった
と語っている。(友人たち、ひどすぎないか)

ダラも2021年にYGエンターテインメントを去った。
やはり歌手活動がしたかったのだろうか。
退社後の2023年にソロ曲を出し、9年ぶりに歌手活動を再開した。

2NE1時代は、カッコイイ仲間に合わせて変な髪型ばかりしていたダラ。
このソロ曲ではダラの可愛らしさが存分に活かされている。

最後に、コン・ミンジはどうなったか。
まずはミンジが一足先にYGエンターテインメントをやめた理由。

当時22歳だったミンジは、二年近くも歌手活動をさせてもらえないこと、
今後もさせてもらえる見通しが立たないことに、ひどく焦っていた。

また、後になって明かされたことだが、当時ミンジの自作曲が入ったソロアルバムを準備していて、レコーディングも済ませたのに、結局アルバムの話自体が白紙になったそう。

20代の貴重な時期をひたすら待つことに費やし、やっと完成したソロアルバムも白紙。ミンジはさぞ苦しかったにちがいない。

そこでミンジに接触してきたのが新しい会社MUSIC WORKSだった。
MUSIC WORKSはミンジに、
「自分の会社に移籍すれば、1年に4回カムバックさせる」
と約束したそうだ。(カムバック=新曲発売)
しかし実際は、MUSIC WORKSは約束を守ってくれなかった。
2017年にソロ曲を出したきり、
1年に4回どころか、4年に1回しかカムバックさせてくれなかった」
とミンジは明かしている。
しかも収益金は1ウォンも配分されなかったという。
ミンジはMUSIC WORKSと契約を停止するために裁判まで起こすことに。

裁判の時期のミンジ

歌手としての実力は申し分ないのに、不運ばかりのミンジ。

2018年には、2NE1の活動当時からうつ病に苦しんでいたことを明かした。
15歳のデビュー当時から受けた容姿に対するバッシング、社長から何度も「ブサイクだ」といわれたこと。長い空白期間に味わった底の見えない不安。
自殺まで考えたと語り、ファンを泣かせた。

ミンジとMUSIC WORKSとの裁判は2019年から2020年まで続き、やっとミンジは事務所を辞めることができた。

その後はお父さんと個人事務所を設立し、音楽活動を少しずつ再開

ミンジは2023年の12月に日本に来て小さなコンサートをしてくれた。
そこで中島みゆきの『糸』を歌ってくれた。
そのあとに、ミンジが日本語で一言。

私は今、幸せです

その言葉を聞いて、もうぐしょぐしょに泣いた私。
色々あったけど、良かった。
ミンジは今、幸せなんだ。
生きててくれてありがとう、ミンジ。

解散後、苦しみ続けた2NE1の四人
悲しみ続けるブラックジャック(ファン)。

四人それぞれが音楽活動を再開しても、四人揃った「2NE1」としての姿を見ることはできなかった。
「2NE1」の商標権はYGエンターテインメントが持っていて、四人で活動することはできないからだ。

それぞれ、ソロ歌手として活動するときは、
ダラは2NE1時代に使っていたオレンジ色🟠のマイク、
ミンジは2NE1時代に使っていた紫色🟣のマイクで2NE1への愛情を示し、
インスタグラムでも四人で集まって誕生日会とかはしていたが、
肝心の「2NE1のステージ」はない

2022年、コーチェラでの復活

何よりも見たいのは、四人揃って歌う姿

もう二度と見られないのかな…

諦め半分だったかもしれない。
それでもファンたちは待ち続けた。
そこにサプライズが訪れる。

2022年のコーチェラ・フェスティバル
ここにCLはソロ歌手として出場予定だった。

予定通りソロ曲を披露するCL。
そして彼女が舞台裏に去った後……

……ん?

煙の中から現れる四人の影

流れ始める I AM THE BEST(私が一番イケてる)

ええっ!? まさかーっ!

とぅ、2NE1だーーーっ!

盛り上がる会場。

観客は全員が2NE1のファンではないはずだけど、
大盛り上がりでした。
みんな I AM THE BEST(私が一番イケてる)は知ってるもんね。
やっぱり1曲メガヒットがあると、こういう時いいね。

てか、ミンジがキレッキレすぎる!
まだ全盛期いけるよこんなん!

おまいがーっっ!!

事前に「2NE1」と宣伝するとYGエンターテインメントの商標権を侵害するとかで、復活は事前には知らされず、電撃復活だった。

この復活劇についてリーダーのCLはこう語っている。
コーチェラの話が来たとき、『今だ』と思った
「誰のためでもない。私のため再結成したかった。私が『』というとき、それはまず、そしてメンバーチームの人々、そしてファンを含みます」

ありがとうCL。最高のリーダー
解散後、空白期間を経て、ソロ歌手として再び上り詰め、
やっと手にしたコーチェラのステージ。
そこでチームを復活させる。こんな良いリーダーはなかなかいないだろう。

世界のブラックジャック(2NE1のファン)にとって、間違いなく最高の夜になった。

でも。
ちょっと寂しい気持ちもあった。

コーチェラ・フェスティバルは一夜限りの復活だし、多くのファンは2NE1が電撃復活するなんて知らないわけだから、その場にはいなかったわけだ。

ファンとしても、ちょっと欲が出てきた。

ファンの前で復活するところも、見たいなあ。
できれば自分の目で四人のパフォーマンスを見たいなあ。
もう一度だけでいいから、見たいなあ。

つまり、一言で言えば、
正式に復活してくれ
ってこと。

私は2NE1最後のタイトル曲 Come back home を聞いて待ち続けた。

"冷たい世界に置き去りにしないで。
苦しみを越えてあなたを待ち続けるよ。"

いつか Come back home してくれると信じて。

2024年、奇跡が起きる

最後のコンサートから10年
子供だった私はすっかり大人になっちゃった。
いつまで待てば良いのよ(泣)

ダラちゃん、また日本に来られるように頑張りますって言ったじゃない。
ボムちゃん、またすぐ来るって言ったじゃない!
10年経ったから全然すぐじゃないけど、でもまた来てくれるって信じてる。
だって約束したじゃん

それがファンたちの(というか私の)思いだった。

そして、そして。
2024年7月22日

YGエンターテインメントから奇跡の告知がなされる。

お久しぶりです、社長(正確には今は辞任してますが)。

なに、なに、まさかまさか!?

とぅ、2NE1 !?

しらじらしいわ。

って……

コンサートツアー!?

大阪と東京!!

もう会場、おさえてるって。
来るって日本に。2NE1が。
10年ぶりに

復活コンサートだ!!

泣いたよ私は。
何もかも忘れて泣いた。
号泣した。
やっぱり約束、忘れてなかったんだ。

K-POP界において、2NE1はワールドツアーをした初めてのガールズグループだ。
そして、解散後にツアーを行う初めてのグループになるそうだ。(そりゃそうだろ)

活動停止から10年解散から8年
四人とも本当に、ほんっとうに色々あった。
それぞれ辛いことがたくさんあった。
でも四人は、再結成するんだという意志を持ち続けた。

おかえり😭

執念の復活

現在ダラとボムは40歳、CLは33歳、ミンジは30歳
最高じゃないか!
全員が30歳を過ぎても、多少太ったメンバーがいても、
I AM THE BEST(私が一番イケてる)
と世界に叫べる女たちが帰ってきた!!!

おかえり2NE1。
ずっとずっとずっとずーっと、待ってたよ。

私のおすすめ2NE1ソング

2NE1は一年に一度もカムバックしなかった上、実質的な活動期間が五年と短いので、楽曲の総数が少ない
でもそのぶん、全部の質が高い。量より質である。
だから名曲の数でいったら多い。
楽曲のほとんどを手がけるプロデューサーのTEDDYが天才なのだ。
その中でも私のおすすめを紹介したい。

ugly

2011年に発表された『ugly』。
これは2NE1が好きな人なら、必ずおすすめに挙げるだろう名曲である。

私は醜くて、誰にも愛されてない
と嘆く歌詞だが、グッとくるのは、
「私の顔に嘘をつかないで」
「私のひねくれた心が、きれいなあなたを憎むかもしれない」
と、容姿の醜さによって心まで醜くなってしまう悲しみを歌っているところだ。

この歌詞を書いたのが男性ラッパーのTEDDYだということがちょっと信じられない。とてつもない想像力である。

HATE YOU

2012年に発表された『HATE YOU』。
大文字で大きく「おまえが嫌い」と書かれたタイトルからして良い。

これは失恋ソングである。私はこの楽曲で失恋を完全に振り切れたと思う。

K-POPファンは日本語バージョンをきらう人が多いが、2NE1の楽曲を聴けば考えが変わる人も多いだろう。
2NE1の日本語版は日本語の質も高く、メンバーの発音も良いので聴きやすい。

特に『HATE YOU』は日本語歌詞が圧巻なので、ぜひ日本語でお楽しみいただきたい。

" You are so 情けない マジであり得ない
オマエなんかこの世にいらない
だから触らないでよ、キモイから”

で始まる。

その後は
キモチワルイ"
の連呼である。

内容は大して深いわけではないが、とにかく、
「オマエなんかと付き合ったこと自体が最悪なので、記憶から消してほしい
「こっちくんな。さわんなキモい
という歌詞である。

コンサート映像では、
「触らないでよ、キモいから!」
絶叫するCLを見ることができる。最高だ。

CRUSH

これはリーダーのCLが作った曲だ。
サウンドもノリが良くてブチ上がるが、歌詞も良い。

まず最初はCLのパートで始まる。

"世界中すべての女子をcrush
ドキドキさせるこのrush
あたしを手本にすればみんなかわいくなれるわ" ←サイコー!

何十回何百回聴いても良い。
CLを手本にすれば本当に強く美しくなれるだろう。
そう心から思える楽曲だ。

CLが作った楽曲は、ほかにも『If I Were You』という名曲があるし、
ソロになってからも『Spicy』など素敵な曲が多い。

追記

なるべく『2NE1の物語』を重視して書いた。
私の想いを全て書くことはできなかった。
私の個人的な想い、2NE1への想い、YGへの想い。
また別の記事で書きたい。

読んでくれてありがとう!

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