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寺山修司をたずねて 青森ライヴ旅行2018その1

2018.06.30

 BUCK-TICKのホールツアーのチケットが取れず、やむなく地方へ行くことにして、青森の公演を取った。
 日にちとの兼ね合いや、ホールの席数が千人以下だからより近くで観られるという下心だけでなく、単純に青森に行きたいという気持ちもかなりあった。

 青森に行くのは十二年ぶりだ。
 一度目は、一人旅というものをしてみたくて、行きたがりそうな知り合いがいないところがいいと思い、目的地に寺山修司記念館を選んだ(当時は寺山修司が好き! と公言しているひとが周囲にあまりいなかった)。
 そのときは、記念館を見学したあとすぐに三陸鉄道で岩手へ移動してしまった。映画『田園に死す』を旅行のだいぶあとで見てはじめて恐山にも興味が湧き、以来、いつか行きたい場所リストに入っていたので、この機会についでに行くことにした。この頃から私は、いつか行きたい場所にはいつかなどと言っていないで今、積極的に行こう、という気分が強くなっていた。数年後に、思うように旅行できなくなることを予感していたわけではもちろんなかったけれど。

 ただ、下北半島の恐山に、青森市内で行われるライヴの「ついでに寄る」のはそこそこハードで、さらに三沢の寺山修司記念館も再訪するとなると移動にだいぶ時間をとられそうだった。これは無理なのでは……と思いつつ、当初の目的を見失いそうになりつつ、寺山修司オタクとしてはどちらも諦めきれない。なんとか、一日目・恐山、二日目・寺山修司記念館とライヴ、三日目・帰る、という旅程を組んだ。

 そういうわけで行きの新幹線はかなり早い時間をとった。無事に乗りこんでホッとしたのも束の間、八戸から乗るつもりでいた特急「リゾートあすなろ下北」には事前に指定席の予約が必要なのでは? という可能性に急に思い至った。むしろなぜ出発前に思い至らなかったのか謎すぎるが、あわてて確認するとやはり全席指定、そして全席完売だった。
 真っ青になりつつ、急遽予定を入れ替えて先に寺山修司記念館に行くことにする。

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 以前に訪れたのは十一月の終わりで、三沢駅から記念館まではタクシー以外の交通手段がなく、片道三千円くらいかけて往復して、館内に来訪者は私ひとりしかいなかった。今回は夏場だったので、土日だけ運行している三沢市内の巡回バスを使えた。
 お客さんもそれなりにいたけれど、やはりひとりになれる場所だと感じた。まっさきに記念館の裏手へ出て林のなかの遊歩道を歩き、歌碑の前まで行った。

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 十二年前にここに来たときは、まだ『ロータス』を書き始めてもいなかったなあ、とか、寺山修司に出会っていなかったらあんなふうに短歌に関わることもなかっただろうなあ、とか、いろいろなことがこみあげてきて泣けてしまった。十代のころに貪るように読み、憧れを通り越して自分の血肉になっている作家のふるさとに立って、原点に帰ってきたような懐かしさもあった。十二年前の初冬とはもちろん見える景色が違ったけれど、小田内沼を見晴らすあの静かな場所に何度でも帰りたいと思う。

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 常設の劇場を模した展示も面白かった。寺山がえんえん質問に答え続けている映像をえんえん見てしまった、「全てにただ一つの名前をつけるとしたら」の答えの「名前という名前」とかよかった。「地図にない国の名前を三つ言えるか」といわれてスラスラあげてたのは競走馬の名前かな? 「理由があれば人肉を食べられるか」という問いに「理由なんかなくても、気づかないうちに我々は人肉を食べている(弱者を搾取している)」と答えていたのが印象深かった。

 竹宮惠子の企画展も見られてラッキーだった。肉筆の原稿がほんとうに美しかった……

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 時間があったので寺山修司記念館からバスで五分ほどの市民の森温泉浴場にも行ってみた。三沢は温泉地らしくて、あとおなかがすいていたので、そこなら食事処があるのでは? と思い……実際行ってみると限りなく観光要素の薄い市民のための施設で、食堂はあったものの、タッチの差で営業時間が終わっていた……。
 仕方なく温泉にだけ入った。景色がよく見えるきれいな浴場で、お湯もとてもよかった。広い休憩所で、持ってきた『青少年のための自殺学入門』を読みつつしばらくぼんやりした。すごく面白いんだけど、さすがにその女性観は古いような……とツッコミを入れたくなる箇所もあり、もう十代のころのように書かれていることを丸呑みするいきおいでは読めないのだな、ということが少し悲しくなる。あたりまえなんだけれども。

 その後もごはんを食べられそうな店を見つけられないまま三沢駅へ戻った。駅の自販機でなぜかセットで売られていたばかうけと栄養バーで食いつなぎ、八戸から青い森鉄道で青森駅へ。八戸駅で買ったイクラととろサーモンの駅弁をホテルで食べたのがこの日のまともな第一食だった。

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