やりがいって誰のもの?
この日のゼミでは、多様性と協調性の両方が実現できる社会にするためには「再現性のない活動(創造的な活動)かつ人の役に立つことを、自分ごとにする」ことが大切だということを学んだ。これを聞いた時、私は今バイトで感じている楽しさややりがいの理由が、この考え方に基づいていると感じたため、それを共有しようと思う。
私は個人経営のカフェでバイトをしている。バイトを始めた当初は、マニュアルがないことへの不安や接客への苦手意識みたいなものがあった。たかがバイトだからこの時間を上手く乗り過ごせばよいとすら考えていた。だから、全然楽しんで仕事が出来なかった。
よくオーナーからは「〇〇さん(私)、楽しんでる?」と聞かれていたが、きっと楽しんでいないことがばれていたんだろう。
理念に魅かれて入ってみたものの、受け身な姿勢でいたあの頃の私はその理念に反する考え方で仕事に取り組んでいたのだ。
しかし、他のスタッフの仕事へ向かう姿勢に刺激を受けたり、ご近所さんや色んな人に愛されるこのお店で働いているうちに、私の中での意識に変化が起きるようになった。
「こうした方がお客さんにとって受け取りやすいんじゃないか?」
「このときはこうした方がお互いに作業効率があがるのではないか?」
このように、サービスの仕方やスタッフがより立ち回りやすい方法を自ら考えて動くようになった。
また、苦手意識があった接客も、自らお客さんに声をかけたり、笑顔で接客ができるようになった。
そうするようになってから、自然に仕事を楽しんでいる自分がいることに気づいた。
接客でのサービスや、自らで考えて仕事を見つけることも、結果的に「誰かのために」なることだから頑張れることではある。
しかし、それだけでなく、自分が楽しんでいること=自分ごとにすることも大切であることに気づいた。
私が求めてたやりがいは、与えられたものではない。自らで考えて動いて、初めて感じることができるものだった。
まとめ
世の中には、社畜という、やりがいを見つけられずにただ世の中のためだけに働いている人を指す言葉がある。しかし、私が長岡ゼミに入ってから出会った人々は、自らの興味関心と社会に目を向けて楽しんで働いている人ばかりだった。
私自身も、たかがバイトかもしれないが、考え方が変わったことで動き方が変わり、動き方が変わったことで、「楽しさ」の捉え方が変わった。私の場合、自分のなかでの「仕事の楽しさ=社会と関わる楽しさ」に変化した。
あなたにとっての仕事の楽しさは、どこにあるだろうか?
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