靴を捨てた話


最近、一目惚れして買った靴を捨てた。
理由はサイズが合わなかったから。
サイズが合わないのは分かっていて買った。
ちょうどいいサイズがなくて、でもお店で試しに履いてみたら、少しきついけど履けなくはなかったし、何よりそれが可愛くて、今すぐ欲しかったから。これでいいですと言って買った。

結果、それを履いて丸一日過ごすには、両足20箇所くらい絆創膏を貼らないといけない靴になった。

それでも最初はその靴がお気に入りだったから、絆創膏を貼るのも苦にならなかった。それを履く自分の姿を鏡で見ては心が躍った。

でも次第に、その作業が億劫になり、絆創膏をしていても足が痛むようになり、気付けば1年以上も履かなくなってしまった。

似たような色と形の靴を探してみるけれど、そう簡単には見つからない。
今思い出しても、どんな靴より可愛いと思う。
だけど、きっともう履かないから、捨てた。


話は変わるけど、明日から虎者が始まるね。
6年前のわたしに、今の状況を説明しても信じないだろうなぁ。

ここからはおばあちゃんの昔話だから、お茶でも飲みながら話半分で聞いてくれるかい。

言い方が悪いけどね、わたしが好きになった頃は、10代にして舞台班街道まっしぐらみたいなグループだった。

同世代の他のグループがバラエティ番組でトークスキルを磨いたり、グループ単位で先輩のコンサートや舞台に出演して経験値を上げていく中、Travis Japanは、夏に閉じ込められたまま、取り残されていた。それも全員じゃないんだけどね。

グループ結成は早い方だけど、グループとしての活動は殆ど無くて、ダンス以外の技術を磨く機会なんて与えられなかったし、何より未来が見えなかったから、グループとして結束する必要がなかった。誰がつけたのか知らないけど、所謂「墓場」と呼ばれるところまで行ったこともあった。

舞台班ルートを回避したと思われるところまできてからも、他のグループと肩を並べたことにより、今まで不透明だったダンス以外のスキルの差が明白になった。彼らが青山劇場に閉じ込められていたことは間違いだったんじゃないかと、勝手に劣等感すら感じていた頃だった。

最初に2人抜けた頃かな。彼らがやけにプレゾンを掘り返すようになった。復活させたいと言うようになった。
他のグループがオリ曲で登場する中、何も持っていない彼らは、プレゾンの曲で勝負した。

原点回帰。
その頃から、いつか彼らのつくる舞台が観たいと思うようになった。

そこから更に2人減って2人増えた時の、最初のパフォーマンスを、わたしは今でも一番信用している。名前を残してくれたことを、今ではとても感謝してるよ。

だから今も、Travis Japanには、Travis Japanとして生き残って欲しいと思っている。

7人が望むなら、CDデビューでも何でもいい。けど、個人的にはデビューを懇願したことは一度もなくて。

派手な衣装も、豪華なセットも、決められた台詞もない。その身ひとつで、観客をハリウッドに連れて行ける。そんなの、君たちにしか出来ないから。

「夢のHollywood」が一番Travis Japanらしい曲だと言ってくれて、嬉しかったな。
わたしもそう思うから。この曲が最初に来てくれたことによって、曖昧だったグループの枠組みがしっかりと定まった気がするから。

でもそう言えるのは、その後に7曲も続いたから。夢ハリで終わっていたら、そんな言葉には出会えなかった。
だから、二幕からなんて言わないで。
一幕だって一緒に居てよ。

きっとこれからも、もしかしたら死ぬまで、好きかもしれないなぁと思う。
永遠なんて探してもないけど、それを信じてみたくなるよ。

Travis Japanがこれからも、Travis Japanでありますように。
初主演舞台の成功をお祈りしています。