それでもいいと思えた恋だった


トラジャ担が坂道系の大所帯アイドルだとしたら、わたしは2期生だと思う。そう、新規なのよ。
トラジャ担としてのプレゾンなんて滑り込みだし、たまたま母親が黄金期からの屋良担というトラジャ担のエリートコースを、宮益坂経由で走ってきただけ。


「トラジャ担としてやり残したことをこの1ヶ月でなるべく叶えたい」

色んなことを共に乗り越えてきた友人にそう伝えたのは、2019年11月1日。 Travis Japan初主演舞台の初日前日だった。

線香花火が最後にバチバチと音を立てて静かに地面に落ちていくように、この夏を終えたわたしは静かに地面に落ちるタイミングを待っていた。

まずは、主演舞台の初日を見届けたい。
それから、自担の誕生日公演に入る。
同担と本人不在の誕生日会をする。
あと、広島遠征のついでに岡山に行く。
生き残った人たちと写真を撮りたいな。
卒業式の舞台は、上野学園ホールにしよう。

自分の中で勝手に決めた成仏のための儀式が、プログラム通りに進んでいく。

誕生日翌日の公演で何もなかったのは残念だったけど、その夜2人でやるには盛大すぎる規模で行われた誕生日会は最高に楽しかった。「Travis Japanの松倉海斗くん」を主役とすることを一緒に貫いてくれた松倉担に出会えただけでも、わたしは松倉くんを好きになって良かったと思う。

上野学園ホールに行くついでに岡山観光をしていたトラジャ担を見て、わたし達もあの子の地元に行けばよかったねと連番した梶山担と話したのが、4年前。
その梶山担こそが、冒頭でわたしの勝手な野望を聞いてくれた友人である。
それぞれ別のカイトに救いを求めたわたし達は、4年後、岡山から上野学園ホールに無事帰還した。

そこで待っていたのは、金色の刺繍が入った立派な衣装を着た人達の写真、7枚。わたし達が持ってきた2枚を当てがうと、4年前は確かにここに存在していた景色が幻みたいに浮かんだ。
圧巻の光景に歓声が上がる。もう写真の中でしか見られないその光景を、この目で見た自分だけが今もここにいる。

とっくの昔に気付いていた。剥がれてきたら接着剤でくっ付けて、破れたらセロテープで留めた。もうさすがに捨てようと乱暴に掴み、シワを伸ばすのを繰り返した。

「思い出が僕らを繋いでいる。」
わたしを繋いでいたのは、思い出だ。
沢山のすすり泣く声が響く上野学園ホールで、置いていかれるような寂しさを感じながら、そんなことを考えていた。


2020年1月4日、浅草橋ヒューリックホールで「ホールニューワールド」を聴いた。君の「ホールニューワールド」はこれが2回目だ。
1回目は、2013年9月28日の日生劇場。わたしのトラジャ担人生が始まった日。
そうか。最後のピースを持っていたのは、君だったか。

全部必要な時間だった、と今は思う。
初めての横浜アリーナ、初めての個人団扇、メンバーカラーに包まれたTDCホール、メンバー紹介曲、ずっとTravis Japanでやりたかったダンスの仕事、アイドル誌の表紙、朝の情報番組のゲスト出演、そして、満員御礼の初主演舞台。
汗だくの登山だけが希望で、舞台が終わるたびにこれが最後だと覚悟を決めていたあの頃のわたしに、今の状況を説明しても信じないと思う。夢のまた夢、想像すらしていなかった。

掴みかけた未来で見たかった夢の続きを、沢山見せてもらった。

勝手に色んなものを背負わせたし、背負ってくれましたね。Travis Japanの全てを誰よりも大切にしてくれてありがとう。頼りなくていつも誰かにもたれていたうみが、大切なひとを支えたいと思うようになったのだから、本当に、必要な時間だったね。

あなたの頑張りが、結果に繋がり大きく成長した2年だったね。ひとりで自己紹介すら十分にできなかった閑也が、グループのために先陣を切って前に出ていく姿に、いつも元気と笑いを貰っていたよ。ひとりで傷つかないで、自分のことも大切にしてね。

言い出しっぺのあなたがTravis Japanを意地でも成功させることは分かっているので、背負いすぎないでねとかは言いません。宮近が人生をかけて大切にしてきたTravis Japanが、今までもこれからもいちばん大好きだよ。

必要な時は沈黙を貫き、欲しい時に欲しい言葉をくれるあなたの強さに、何度も救われてきました。あなたが語るTravis Japanの夢が、いつだってみんなの希望でした。しめちゃんが願う夢は、これからも必ず叶うと信じてるからね。

わたしはあなたが一番心配で気がかりだったよ。素直で真っ直ぐで全ての言動が並外れているあまり誤解されやすいけれど、いつだってあなたの頑張りを理解し、愛してくれるひとを大切にしてね。ありのままの如恵留くんが、わたしはとても大好きです。

あなたが最年少であることが、Travis Japan最大の武器だと思っています。Travis Japanに大きな化学反応を起こしてくれてありがとう。好きなことに挑戦して、嫌なことは嫌だと言って、誰よりも大事にされて、愛されて、自由にのびのびと大きくなってね。

いちばん感謝しています。純粋な心で何事にも真っ直ぐに向き合う強さに、沢山救われてきました。どんなに広い会場でも、どんなに出演者が多くても、いちばん輝いて見えて、観たいステージに観たいひとがいる幸せを、もう一度教えてくれてありがとう。これからも、Travis Japanの常識を壊して、新しい世界に連れていってね。


トラジャ担が坂道系の大所帯アイドルだとしたら、わたしは「アイドルとしてやりきった」という理由で卒業した2期生だと思う。

最後のピースがはまり、線香花火がぽとりと落ちる。
宮益坂経由で走り抜けた6年間が、わたしにとっては永遠だ。