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幸福論


本当は3月1日に更新するべきだったお話を今書きたくなったので書く。

当時勤めていた会社は、昼休憩が12時からだった。

12時のチャイムが鳴り終わるより先に、ロッカーを目指した。震える手でスマホを取り出し、祈るようにジャニーズウェブを開く。
不自然に切り取られ、ぽっかり穴の空いた写真。あまりの雑な仕事に思わず笑いが込み上げ、とりあえずスクショした。

君の9年間が、今日で終わった。

それから1時間、いつも通り同僚とたわいもない会話をしながらお昼ご飯を食べ、何食わぬ顔で過ごした。
夕方に仕事が終わり、その足で日本橋の映画館に向かう。何もない日なら良かったのに、今日は前から約束していて楽しみだった映画を観る日。
よりによってなんで映画が1000円で観られる1日に辞めてくれたんだよ。主題歌を聴くたびに、今日のことを思い出してしまうじゃないか。
平然を装って同僚とお昼ご飯を食べた今日の私の演技力は、アカデミー賞主演女優賞にノミネートされてもいいと思う、エマ・ストーンと並んだなこれは、なんて考えながら、映画館の暗闇に紛れて泣いた。

「夢を、見ていた」

今いる場所が、君の人生の全てではない。
そんなことは分かっていたはずなのに、悲しくて、寂しくて、どうしたらいいか分からなかった。

こんな理不尽な別れは初めてだ。
転校、卒業、引っ越し、転職、恋人との別れ、死別。
別れにも色々種類はあるけれど、どれとも例えられない。
人に相談しようにも他の経験で例えられないし、きっと該当者にならない限り理解されないだろう。
今思うと馬鹿みたいだけれど、あの時は藁にもすがる思いで、悲しみとの折り合いのつけ方をYahoo知恵袋で検索したり、何か共感できる感情はないものかと別れに纏わるタイトルの小説を読み漁ったりした。
私だっていつまでもメソメソしていたくない、前に進みたいのに、どこが前なのかが分からなかった。

そんな時、表紙の東京タワーに惹かれて手に取った一冊の文庫本。東京タワーが見える夜景は、私が上京するための道標だったから、きっと導かれたんだと思う。
あの小説に書いてあることが、私にとっての君の、全てに近い。

私の世界で絶対的に正しいものがあるとすれば、それは君の人生だ。あの本に出会ってから今も、ずっとそう思っている。
君はいつだって正しい選択をする。君の通った足跡がいつだって正しい道になる。

「君はいつだって わたしの真ん中で」

君はいつだって舞台の上で、沢山の人と出会い、色んな人の人生を生きる。私はそんな君の姿を、客席から眺め続ける。

君には君の人生があって、私には私の人生がある。これらが交わることは永遠になくても、君は私の人生に存在するし、私も観客として君の人生のミジンコより小さいほんの一部になることができる。

私は自分の人生を強く生きるために、頑張らなきゃいけないことが山ほどある。何度も押し潰され、その度に奮い立たせてみるけれど、それでも時々もう頑張れないと思うことがある。
そういう時、私の人生には君の存在があることを思い出す。たったそれだけのことで、案外もう一度立ち上がれたりする。

私は、何か少しでも与えられているのだろうか。分からないけれど、君と、君の生きる世界が、正しく美しいものであることを祈っている。


時の流れと空の色に 何も望みはしない様に
素顔で泣いて笑う君の そのままを愛している故に
あたしは君のメロディーやその
哲学や言葉、全てを守り通します。
君が其処に生きているという真実だけで
幸福なのです。