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ぱぺまる9月号


今月は、まぁトラウマになるよりいいよね。という話。


先日実家で(実家は家から近いので許して)、母親と卒アルを見ながら私の学生時代の話で盛り上がった。
小学校の時あんなことがあったよね、そうそう、あと中学でこんなこともあった、あったあった懐かしい。
互いの記憶を手繰り寄せ、やはり同じように覚えているものだなと感心していると、突然母に「でも高校生の時は病んでたよね」と言われた。
 
勢いで「そうだったね」と言いかけて不思議に思った。
 
調理実習できゅうりを切っているつもりが自分の指を切っていたこと。
いつめんで仲良しの証拠にお揃いの髪飾りを買おうとしたら好みが合わず喧嘩したこと。
闇ショで買った藤ヶ谷のプラスチックのキーホルダーを紛失したが、‪後日‬誰かに中身を拾われ「こんなのを落とすのはあいつしかいない」という仲間内の共通認識により、人々の手を渡り歩いて無事に笑顔の藤ヶ谷だけが手元に帰ってきたこと(いらなすぎた)
思いつく限り負の記憶を辿ったが、高校生活のどこを切り取っても、友達といるのが楽しくて好きな人のことが好きで部活が大好きだった私はその言葉に心当たりがなく、そうだっけ?と軽く聞いた。
 
母によると、高校生の私は母と口を利かない時期があった。
とある学期末の通知表に心当たりのない欠席が数日あり、毎朝普通に家を出ていったのに…と不信に思ったが口を利かない時期だったので何も言わなかった。
後々、その時期に、交通事故に遭い足に大きな傷をつくったが、それを隠していたことを打ち明けてきた。
 
私はその話を初めて聞いた。
母と口を利かない時期があったことも、学校を無許可で休んだことも、交通事故に遭ったことも、のちにそれを打ち明けたことも、「それ本当に私の話?」と聞き返したほど、全く身に覚えがなかった。
 
ちなみに私は一人っ子で、当時は母と2人暮らし。
母が誰かの話と間違えているとは考えにくいが、証拠は何ひとつ残っていない。
母の記憶が正しいとして、当時の私が黙って学校を休んだ理由も、どこで何をしていたのかも、心当たりがない。
事故を隠していたのなら、それがどの程度の傷だったのか、本当に事故による傷だったのか、誰も分からない。

小学生の時、友達の家のベッドで飛び跳ねて暴れていたら顔面を強打し、大きな痣ができた。母にその理由を聞かれ、ベッドでふざけていたことがバレたら怒られると思った私は「学校の一輪車で転けた」としょうもない嘘をついたことがある。
要は母に本当のことを話していない可能性もある。
 
それにしてもいくら人の記憶が曖昧とはいえ、もう1人の自分がいるのではないかと疑うほど断片的に抜け落ちているように感じたのは初めてだった。
 
調べてみたら、過度のストレスを感じた場合、そういうこともあるらしい。
私は昔から人に悩みを相談するタイプではないし、脳が特別に作用してまで消したいほどストレスフルな事案があったのに、私が忘れてしまった今、真相は闇の中。
 
そうなると今自分が思い出せる記憶の信憑性も疑いたくなるのだが、まるで千と千尋の神隠しのように、こういうことって気付かないだけで案外誰にでもあったりして。


まぁトラウマになるよりはいいよね。
という話でした。


それでは。