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【ポケカAdvent Calendar2023】カードゲームにおける技術と技能【20日目】


本記事はいちょーさん主催のポケカアドベントカレンダーの記事になります。
前日の記事はこちらから。

まえがき

カードゲームは上達が難しいゲームである。
その理由の1つにフィードバックが弱いという点があると考えている。
例えば格闘ゲームであれば、「良くない行動」を取ったならばその瞬間にマッチの勝率は50%から10%や20%にまで落ち込むだろう。
しかし、ことカードゲームにおいては「良くないとされる行動」をとっても勝率は49%程度にしかならないということが頻繁に起こる。つまり、良くない行動をとっても勝ったり負けたりしてしまうため、何が良くないプレイなのかプレイヤーは気付くことが難しい。
ここに試行回数の少なさも相まって、カードゲームのプレイにおいてはただ試合をこなすだけでは成長の余地が全く見込めない。
デジタルカードゲームであれば、試行回数が増えるため多少は改善されるだろうが、それでも本質は変わらず上達は非常に難しい。

一方でカードゲームは簡単なゲームである。
それはプレイするのに特別な能力が必要ないためである。
例えば格闘ゲームやシューティングゲームで要求されるキャラコンやエイムといった要素が必要なく、ただカードを出すだけでプレイできる。シャカパチやシャッフルが上手くなっても勝率には影響しない。
簡単に上手いプレイヤーを真似ることができるという要素、さらには上達の難しさに起因していた行動の勝率への寄与度の低さが、今度は逆にどんな上位プレイヤーでもビギナーに負け得るというゲームの簡単さに貢献しているのだ。

簡単でありながら上達が難しい。
そういったカードゲームの奥深さを技術と技能という視点から考える。


技術と技能

まず技術と技能とは何か。
簡単に言えば、ある手法に対して誰でも再現可能であれば技術であり、そうでなければ技能である。
このあたりは特許取得の要件である技術の定義を参照するとわかりやすい。
例えば、ここで示されている「フォークボールの投げ方」は手法としては一般に知られているが、その手法を再現したとして誰でもフォークボールを投げられるわけではない。したがって「フォークボールの投げ方」は技術ではなく技能に分類され、これで特許を取得することはできない。
ゲームの例に当てはめてみれば、キャラコンやエイムは明らかに技能であることがわかるだろう。
一方でカードゲームのプレイには技能が絡まないようにも思える。
例えばカードゲームにおいて重要な情報の一例として「特定のAというカードが盤面にあるときは、手札のBよりもCをプレイした方が良い」という情報は誰でも再現可能であることから技術であることがわかる。思いつく限りのカードゲームにおける能力は圧倒的に技術が多く、カードゲームにおいて技能とは何かという問いは非常に難しい。

しかし、カードゲームにも確かに技能は存在する。
SNSの普及等の要因によりデッキリストや定石が高度に情報が共有されるようになった現在では、技術は多くのプレイヤーが手にすることができる。その中でも明らかに運という次元を超えて勝つプレイヤー・負けるプレイヤーがいるということは、技能の差があるという証明に他ならない。
ではカードゲームにおける技能とは何なのだろうか。

カードゲームにおける技能

カードゲームにおける技能にどういったものがあるだろうか。
簡単な例をいくつか挙げる。

数的感覚

1つに数的感覚という要素は大きく感じる。
カードゲームにおける選択肢を議論する際には、おおむね選択肢の評価を期待値的に計算する、つまり「"得られる報酬 × その報酬が得られる確率"の合計」を選択肢の評価値とすることが多い。
しかし、報酬に関しては議論されることは多いが、確率に関しては議論されることが少ない。
まれに議論されるような「〇〇の方が確率が高い」や「〇〇%以上だからこれが良い」などの結論にはあまり意味がない事の方が多く(詰将棋のようなゲームの終盤でこういった情報を知っておくことには当然価値はある)、例えば「AとBの確率の差は高々n%程度であるから、それ以外の評価値で決めたほうが良い」という認識に厳密な議論を経ずに移行できることが数的感覚である。

Shadowverseで過去にあった「知恵の光」というカードをキープするかの議論
TLでよく見るようなアクロマorパス問題も数的感覚があればだいたい議論の余地は無い

抽出可能な情報量

例えば手札のカードAとBのどちらをプレイするか決定する際にどれだけの情報を利用できるかはプレイヤーによって大きく差が出る部分である。
ポケモンカードの例に置き換えるなら、手札にある博士の研究もしくはナンジャモのどちらをプレイするかを判断する場合において
・このターンにわざを宣言する上でどうしても必要なカードが存在する
・相手の手札枚数
という情報だけから判断するのと、
・自分と相手の盤面にあるドローソース(かがやくゲッコウガ等)
・前ターンの相手のサポート権の使用有無
・nターン後のデッキの枚数
・相手の思考時間
等の情報から判断するのでは、プレイングに大きく差が出る。

パターン化

抽出可能な情報量が増えると、今度はその情報を短い時間で適切に処理するのが難しいという課題に直面する。
この処理をスムーズに行うための手段の一つがパターン化である。
例えば、各対面のサイドプランであったりいくつかの数値計算を予めすませて置いてメモ化しておくといったものがパターン化の例である。
ただしここで言うパターン化の技能とはこれらを暗記することではなく、パターンを生成するという能力である。
暗記するだけなら誰にでもできるが、過不足無く適切にパターン化するということは実は非常に難しい。
どんな状況にでも使える一般化しすぎたパターンは結局使うときに相応のコストがかかるし、逆に限定的すぎるパターンは覚えることが多くなりすぎたり応用が効かないということが多発する。
多くの場合は良いパターンは技術情報となり共有されていくが、メタの入れ替わりが激しいカードゲームにおいてすべて網羅することは難しく、自分だけが知るパターンがあればあるほど優位に立つことができる。

Shadowverseの歴史上でも最も難しかったデッキの1つである「ロキサス算」の公式
DCGは持ち時間制のため試合中の演算量を減らすだけで他の択の検討に時間が回せる

状況判断能力

簡単に言えば自分が今有利か不利かを判断する能力である。
ポケモンカードでいうと単純にはサイド差を基準に考えがちだが、そう簡単な問題ではない。
そもそも(少なくとも)現在のポケモンカードではサイド差がそのまま状況を反映することはほとんどなく、盤面でしか判断されないことがほとんどである
盤面の情報と言ってもベンチのポケモンの種類や空き、エネルギーの付き方、トラッシュやロストゾーンのカード、ダメカンの乗り方など多くの情報から判断されるものであるし、その上で手札のカードの差1枚でひっくり返ることもある極めて複雑な要素である。
さらには対戦相手のプレイにも最も依存する要素であり、最も言語化が難しく能力の差がでる技能の1つであると言えるだろう。
もし読者のみなさまが、上位プレイヤーのプレイを見て自分の理解の範疇を超えたプレイ(≠理解できるが再現できないプレイ)を見た経験があったとすれば、それはほとんどの場合においてこの技能の差によるものだと思う。

他のゲームの技能と比較して

前章で挙げた例を改めて見ると、これらの多くは他のゲームでも必要な技能であることがわかると思う。
MOBAであれば、いわゆるマクロの技術はかなりこれに親しいものがあるだろう。
実際に筆者がポケモンユナイトをプレイしていた時期に、一緒に遊ぶ上手いカードゲーマーたちはマクロが優れており、逆に他のゲームが上手いプレイヤーたちは軒並みミクロの技術が優れていると感じることが多かった。

カードゲームの上達の難しさを改めて考える

結論から言ってしまえば、カードゲームの上達が難しい理由の1つは技能が集約されていることにあると考えている。
他のゲームであれば、マクロが得意でなくても(もちろん下手でも良いというわけではない)ミクロが得意であればある程度の苦手をカバーできるということもある。
しかし、ことカードゲームにおいては技能の絶対数が少ないためカバーをするのが非常に難しい
さらに技能の数が少ないということは、それらの技能を高い練度の中で競う必要があるということである。カードゲームの技能に限らず、人の能力及びその上達速度は対数関数的であることが多いため、高い練度で競うということは相手の一歩上に立つためにより多くの努力が必要ということに他ならない。
しかし、一歩上に立ったとしてもそれは微々たる差でしか無く、運という要素によってひっくり返されることも少なくない
こういった要素がカードゲームをより運への依存を高めている要因の1つにもなっているのだろう。

まとめ

  • 技能とは仕組みを知っていたとしても誰もが再現できない能力である

  • カードゲームに必要な技能は他のゲームより少ない

  • 技能の数が少ないということは、最上位プレイヤーでなくても高い能力を持っている可能性が高い

  • 能力は高ければ高いほど差が出にくくなるので、元々持つ運の要素もあいまってカードゲームは実力差が出にくい

  • カードゲームの上達が難しい理由は、実戦でのフィードバックが弱いことに加えて要求される能力が高いことにも起因する

おわりに

今回はカードゲームとその他のゲームの違いを技術と技能という視点で考察してみた。
当然、違う見方をすればカードゲームはもっと簡単、あるいは難しいゲームとして定義できるということもあるだろう。
大事なのはどう捉えるかではなく、捉えた上で自分がどう向き合うかである。
個人的にはカードゲームにおける技術と技能の境目が非常に曖昧であると考えていて、将来的にカードゲームは完全に技術だけでほぼ攻略できる可能性もあると予測している。そうなったときに、最終的に残る技能とは何なのかを考察するのも自分のカードゲームの楽しみ方の一つとなっている。
読者のみなさまにも、カードゲームに対して競技的な楽しみ方以外に、ゲームの本質を考察という楽しみ方を本記事で提供できたのなら幸いである。

明日の記事はコルクさんの「CSP制度あれこれについて」です。
残り5日間楽しみましょう。


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