無題

「人は何かを演じて生きている」

  ★自分の人生は自分にしか変えられない。人間関係に悩んでいる方へ。(人によっては重い内容です)

  ☆執筆にご協力頂いた精神科医のS氏に感謝致します。

 私は、人付き合い、つまり人間関係をうまく構築する事が得意ではない。就職して、組織に属してから、その事に気がついた。学生時代の仲の良い友人達と過ごすのとは、どうも何かが違うのだ。私の人間性にも問題があるのだろうが、どうもチーム内で孤立してしまうのだ。自分のスキルを上げつつ、転職を繰り返した。だが、何処でも、何処に行っても人間関係が原因で会社を辞めてしまう。そうして、世界中放浪の旅にでたり、一時は引き籠りのような常態になり、日々、パソコン,インターネットとお決まりのコースにのめり込んでいった。(現在の私が構築されていったのは、その時期があったからだ。)その後私は、遊びも仕事も本気で楽しんでやっていける本当の仲間を探した。そうしている中で私はある一つの事に気が付いた。それが今回のテーマである「人は何かを演じて生きている」を書くきっかけとなった。

 映画や演劇などを見るのは好きでも、演じることは「無理だ。自分にはそういう才能はない」という人がほとんどではないかと思う。しかし、人間というものはいつでも一定の役割を「演じて」生きているものなのである。

 考えてみて頂きたい。家庭、学校、職場、いろいろな場所で、そして、家族とくつろいでいる時、大事な仕事上の会合、友人と会っている時、といったいろいろな状況で、どんな時も全く同じ態度をとり、同じような話し方をする人間などいない。家庭にあっては父親とか、母親とか、職場では上司とか部下とか、学校では生徒とか教師とか、場面場面によって、人間は自分の取るべき「役割」を演じて生きている。(それが出来なかったのが前述の時代の私だ)そして、その役割をそれなりにこなしきれていれば問題はないのだが、不幸の役割、弱い役割から抜けだせなくなることがしばしば起こる。

(※表面上では仲良くしていても、他では陰口、悪口を言ってみたり・・・。たとえ自分とは無関係な事でも、そういう事を聞いたり知ってしまった時はとてもショックで悲しいものだ。)

 自分はその時の立場によって、その決まった役割を、とはいっても、そういうことを普通は意識していない。それゆえに、自分の役割が損で不幸なものであっても、それに気づいて変えることは大変難しい。例えばの話、姑からいびられても何も言い返せない嫁とか、勉強もせず夜遅くまで遊び歩いて悪い友人とつきあいのある息子や娘に、厳しく意見することができないでいる父親とか、上司のセクハラ、パワハラに黙って耐えているだけのサラリーマンやOLとか・・・。

 人間というものはもっと自分の置かれた状況を良い方向に変えられるはずなのに、長年の間に作り上げてしまった自分の役割から、気づかずに抜け出せなくなっていることがある。誰でも自分の行動は自由であり、自分に責任があるはずなのだが、現実には、心理的に自由のきかないがんじがらめの状況に、自分で自分を追いやっている人がたくさんいるのだ。人間関係は相互作用であり、誰が100%正しいとか、100%間違っているということはありえない。自分の人間関係の取り方はどこに問題があるのか、相手のどこに怒りや不安を感じているのか、自分を客観視して少しずつ気づきながら修正していかなくてはならない。

 そして、最終的には人生において自分に割り当てられてしまった、不幸な役割から自由になることである。それは急にはなかなかできないが・・・。そして、自分の人生は自分で変えていけたら、と思います。

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