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論理学:パラドックスは面白い「ライオンのパラドックス」

これは、論理学の中でも有名な問題で「人食いワニのパラドックス」とも呼ばれていて、あるドラマの中では「ライオンのパラドックス」として紹介された。今回はそのドラマにならって紹介したい。問題形式になっていて答えとしての考え方には代表的なものとしては2説あるので、解答としては最低でも2つはある。それでは、問題。

「ある時ジャングルで、探検家が、人食いライオンに捕まった。その探検家は「お願いです、助けて下さい」と人食いライオンに言った。すると人食いライオンは探検家に「では、今俺が考えていることをずばりあてて見せたら、お前を助けてやろう。」と言った。そこで、この探検家は何と答えたか?というのが問題。

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答え:一つ目

『探検家は人食いライオンにこう言った「あなたは私を食べようと思ってますね。」そう言われた人食いライオンは、もしイエスならば心を読まれたわけだから、この探検家を助けなければならない。一方ノーならば、人食いライオンは最初から食べる気がなかったのだから、これも探検家を助けなければならない。いずれにせよ人食いライオンは、この探検家を食べることができず、助けなければならない』                    

もう一つの考え方もこの探検家の言う事は同じで、

答え:二つ目

「あなたはわたしを食べようと思ってますね。」そう言われた人食いライオンは、この探検家を食べてしまうと探検家の言ったことが正しくなるので、探検家を助けなければならない。しかし助けると、今度はこの探検家の言った事が間違いという事になるので、この探検家を食べなければならない。しかしそうすると、この探検家の言った事が正しくなるので、やはり食べられない。                               と言う、無限のループだ。

この二つ、「食べる」「食べない」での捉え方としては、どちらも正解という事になる。

これが、パラドックスで、考えだすと眠れなくなる。という哲学的な要素があると僕は思っているが、そもそもの定義は一般に容認される前提から、反駁しがたい推論によって、一般に容認し難い結論を導く論説を逆理(パラドックスまたは逆説)という。一見正しそうでも、よく考えれば間違った前提や欠陥のある推論を用いている場合は虚偽(と呼ぶべきだが、これも広い意味では逆理に含められる。 日常感覚的に理解し難い事実を導く科学的(数学的)推論もしばしば逆理といわれる。バナッハ-タルスキの逆理はその好例である。このようなものを擬似逆理であるとして、論理的な矛盾を導く二律背反を真性の逆理とする立場がある一方で、二律背反は単に矛盾であって逆理でないという見方もある。つまりは、パラドックス(逆説)とは、正解なんだけども。。。というもので、「一般論の逆をついた解答というべきだろうか。」

最後に、僕自身は、物事の「パラドックス」を考えるのは、考え方やそのプロセスは一つだけではない、という観点からいえば好きな思考方だ。


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