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20歳になったんだけどさ、

成人式に行くかどうか悩んでいる。

「成人式に行かなかった人間」として自らレッテルを貼り、劣等感を抱えて生きてねばならない人生は嫌だ。しかし、そんな劣等感を抱えなくてもいいくらいに今の人生が楽しい。

成人式に行く意味ってなんだ。最初に思いつくものは「中学時代の友人に再会できる」というもの。しかし、自分が中学時代の友人と再会して、楽しく会話をしている画が想像できない。絶対にあり得ない。中学時代に友達が全くいなかった訳ではないが、今では一人しか関係を維持していない。卒業後自主的に連絡を取らないような関係性の人間と再開したところで何が楽しいんだ。

中学時代は自己嫌悪に塗れていた。クラスの明るい人間のことがうっすらと嫌いだった。仲良くしてくれる人ともクラスが変わってすぐに縁が切れ、順調だと思っていた人間関係が所詮希薄なものであったことを実感させられるその瞬間がひどく虚しかった。異性にチヤホヤされると嬉しくて、一言の会話で一喜一憂していた。そんな自分を俯瞰で見て、その滑稽さに我に返り気分が沈んだ。

不思議なことに、その頃大事に育てた自己嫌悪のおかげで、今の楽しい人生がある。自己嫌悪を昇華してくれるロックンロールに出会うことができたからだ。物事には順序があって、まず自分を嫌いになることが僕の人生には必要不可欠であった。だから中学時代に抱いたクソみたいな感情全てに今は感謝している。

だからと言って、何食わぬ顔で成人式に行けるほど僕はまだ大人ではない。僕の奥底ではいまだに、ぎこちなく愛想笑いを浮かべる化け物が存在する。ライブハウスやヘッドホンで爆音と共に思い返す以外の中学時代なんて、最低でしかない。大好きな音楽で拳を握る自分のかっこよさに心底惚れていて、だからこそ音楽を浴びている時以外の自分が醜いことを十分理解している。

僕は僕が大好きで大嫌いだ。だから成人式には行かない。同窓会に行かず歌詞を書くロックバンドに人生を救われたから。

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