無色という色
鈴木羽那さんに関して思ったことを書いたただの日記です。ポエムというのもおこがましいです。
以下、アイドルマスター シャイニーカラーズに登場する、鈴木羽那に関するネタバレ(主に2023/12/11に実装されたW.I.N.G.編)を含みます。
ぶっちゃけこんなnote読んでないで、あなた自身が鈴木羽那というアイドルに会って、聞ける限り彼女自身の言葉を聞いてきてください。それが私の望みです。
はじめに: 自己紹介
まず、この記事を読んでいるあなた自身の、自己紹介をしてみてほしい。
名前、年齢、出身地、好きな食べ物、趣味、特技、夢、などなど。
すんなりと出てきただろうか?
すんなりと出てきたなら、それぞれに対して、なぜ、それを選んだのか、もしくは選ばざるを得なかった理由についてはすらすらと話せるだろうか?
どうして、はじめにこんなことを聞いたのか。
それは、このnoteが「私たちは思っているほど自分自身について知らないのではないか」ということを前提においているからである。(と思ったが、最後まで書いたらそうでもない気もしてきた)
さて、鈴木羽那というアイドルの話をしよう。
鈴木羽那について
鈴木羽那、18歳。血液型はO型。出身地は岡山県。
趣味は散歩。特技はおいしそうに食べること。これについては「友達にそう言われたから」と言及があった。
以下からは、私が鈴木羽那というアイドルを見て感じたことを挙げていく。
人当たりが良い。会話の話題は当たり障りのないものが多い。自己に対する関心が低い。自分の内を理由として何かを選び取る印象が薄い。
反面、他者に対する関心が高い。他人を巻き込むことも厭わず行動するほどに(ex: 突発性フォロワーの一幕)。
しかし、自己に対する関心が低いと言っても自暴自棄というわけではない。
赤点を取らないためにも、普通程度は勉学に励む。
それに、自身が傷付いたときにそれをきちんと相手に伝えることもできる。
また、コミュニケーションにおいて、通じること、伝わるかどうかを大切にしている。
ただ、芋栗かぼちゃのどれが一番好きかはわからない。
芯の見えない鈴木羽那が、アイドルになるということ
ストーリー中でプロデューサーも苦悩している通り、アイドルになって芸能界に入るということは(きっと)特殊なことで、進学する、一般の職に就職く、といった道では味わうことのなかった苦しみを受けたり、見ることのなかった汚れたものを目の当たりにするかもしれない。
そんななか、芯の見えないとされている鈴木羽那が、折れずにいられる、何か。それが見えないのが、人々を不安にさせているのかもしれない。
だが、本当に鈴木羽那に芯は、自我はないのだろうか。
一見つかみどころのなく見える、会話に当たり障りのない話題を選ぶというのも「共通の話題で、通じ合うことが大事」という芯からではないのだろうか?
目の前にいる人に笑っていてほしいという気持ちは、自我たり得ないのだろうか?
私たちはきっと、思っているほど自分のことを知らない。
ただ、そんな己の芯に、自我に、無自覚なだけなのではないか。
もし本当に、鈴木羽那が目の前にいる人たちが喜んでくれることに喜びを得られるだけの、そんな人間だったとしたら。
それに対して「自分がない」と切り捨てられるのは、そしてそう言いながら彼女のことを見る人の顔が少なくとも喜びの表情でないことは、きっと、苦しいことだろう。
おわりに
綺麗なままであってほしいという期待、それはさぞ辛かろうという哀れみ、どちらも相手に対してイメージを持つことに違いはない。
そして、単に目の前にいる人たちが喜んでくれることに喜びを得られる人間なのでは、というのもまた、勝手なイメージに過ぎない。
綺麗なままであることが苦痛だったとして、その期待をかけられ続けたら。
綺麗なままであることが望み通りだったとして、それに哀れみを向けられたら。
目の前の人に喜んでもらえることが嬉しいというのが自身の望みだったとして、それを自己がないと切り捨てられたら。
人と人が関わる以上、人が他人にはなれない以上、わからない部分は観測者のイメージで置き換えられるしかない。そして、アイドルという職業はとても多くの他人から目を向けられる職業だ。
それが自身と、向けられるイメージの不一致を生まないはずがないし、それが苦痛を生まないわけがない、と思う。
でも、得られるものがあるならば、そのまま進んでいって欲しい。ただ、アイドルという道を進むうちに、もしそれが割に合わなくなって、ステージを降りることになったなら。
それまで見てきたものの何かが、また新しい道を作っていることを願いたい。ただただ、そう願うことしかできない。
何にしろ、信じて、そばにいて、いざという時に支えることくらいしかできないのだ。私たちは他人であって、溶け合うことはないのだから。
とはいえ、信じて、そばにいて、いざという時に支えることはできるのだ。私たちは他人であるがゆえに、共倒れにならないようにできるのだから。
そんなことを考えた後、「並走して触れ合うテリトリーの中で"手を繋げたならいいね"」そう伸びやかに歌う彼女の声に勝手に感じた気持ちが、イメージが、彼女の苦痛に繋がらなければいいな、と、そう思ったのでした。
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