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三文字目(愛する/愛をもって接する)

人生の心の友(だと勝手に思っている)Yukikoと夜LINEをしていてこんな話題に。

「Youは『愛をもって接する』がうまいわ、才能よ。」と。

「愛をもって接する」のと「愛する」のは違うということを初めて考えた瞬間だった。

この違いを表現するのは難しいのだが、

・愛を持って接するとは、【自分with愛】(犠牲的な愛/反応的(受け身)な愛)

・愛するとは、【自分=愛】(存在そもそもが、愛)

ということのようだ。

この生きている時間の中で、たくさんの愛を受けて生きることができていると感じている。私自身が「愛をもって接した」結果、愛を受け取ることができていると思うのだが、これは相手が「愛をもって接して」くれたということなんだろう。

では「愛する」とはどういうことなんだろうか?

「愛する」とはは、傷つけ、傷つきあい、傷つけられることによって深まって行く関係なのかもしれない。愛することができている関係は、「信頼関係が壊れる」とか「相手に嫌われる」とか、そんなことを考えることすらない関係なのかもしれない。(考えてしまうこと自体が、「愛する」関係になる以前の関係にいる気がする)


頭で考えずに、心のままに「愛する」ことをイメージして見た。

イメージして思ったのは、愛情表現ってどうしたらいいんだろうってことだった。こんなにも愛している想いを伝えたくて伝えたくて、伝え方がわからなくて。「愛する」ことは苦しさも共にする喜びに溢れた時間なんだろうな。

「愛をもって接する」にも「愛する」にも、相手がいないと(物理的に目の前にいるかとは別の視点で)成り立たないのは、共通している。

心の赴くままに。

ジャッキーの名言じゃないけど「考えるな、感じるだけだ」

to be continue.


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