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【noteはじめました。】-inputとoutput-


こんにちは。あるぱかです。

ふと思い立って「note」という表現ツールを使ってみることにした。

この「note」では、日々の生活で思いついたことを書いていきたいと思う。

私は、大学を卒業したばかりの22歳。今までの人生では、「インプット」ばかりしてきた。「インプット」は、割と得意で、好き。大学受験の時も、世界史を覚えるのは好きだった。センター試験では満点だってとった。英単語も、語源から覚えるのが好きで趣味感覚で勉強していた。

しかし「アウトプット」は、昔から苦手であまりしてこなかった。留学に人生で2回・2年以上いってもなお英語を人前で話すのに怖気付いたり、自分の意見を人に伝えることが苦手である。TOEFLやIELTSなどの英語のテストを受ければlistening, readingよりも、大きくspeaking, writingが低いのが定例だ。英語に限らず日本語でもそうだ。

しかし最近、「アウトプット」の大切さをひしひしと感じている。日本的教育ではとにかく知識を詰め込む「インプット型」の教育がなされてきている。「インプット」はもちろん大事だ。しかし、なんのために「インプット」をするのか。

それは「アウトプット」をするためだ。最近、ルネ=デカルトの「方法序説」を読んだ。デカルトは、あらゆる学問、知識を学び、旅をした。そしてそれを本に書いて世に残した。しかし、もし彼が何も発信していなければ、現代にいる人は誰も彼のことを知らないだろう。

私には、デカルト並みの優れた「アウトプット」はできない。彼のように、人の視座を高めたり、視野を広くさせることはおそらくできないだろう。だけど、何かしらの自分の考えを外に発信してみたくなった。人々の「忘却」に少し抵抗してみたくなった。

現代にはたくさんの「アウトプット」の方法がある。YoutubeやTwitter, Instagramなど様々な方法がある。その中で私は「note」という方法を選択した。

私は、[Instagram]上で求められる「華やかさ」や、[Twitter]上でバズる面白さ、[Youtube]で披露する特別な技術や才能が世間に評価されるよりもよっぽど、私の考え方を評価してくれる人に出会いたい。外的なものよりもっと根幹をみて欲しい。

SNSは、日常生活の「いいところ」だけを切り取ることができる。Instagramは特に美しい部分だけが求められていると思う。「木をみて森を見ず」ではないが、「森」の中の美しい「木」というごく一部の構成部分だけを見せて「この人は美しいな。頭もよくて、この人になりたい。」などと思わせるものであると私は思う。綺麗な「木」だけで、「森」が構成されているように見せるのだ。

しかし「美しい」部分もあり、「汚い、人には見せたくない」部分があるのが、普通の人間なのではないか。

私は太宰治の「人間失格」が好きだ。多分人間の「汚い」部分が描かれている作品だからだと思う。「完璧な人間」よりも「人間くさい人」が好きだ。

だから人間くさいことを書いても許容される「note」で「アウトプット」を続けていきたい。稚拙でも自分の考えを発信していこうと思う。考えがまとまっていなかったり、何かで悩んでいたりそういう「人間くささ」を評価してくれる人と出会えることに期待して、これから色々なことを書き記していきたいと思う。


あるぱか