私は今日も働いてくる!

私はいわゆる‘仕事ができない人’なんだろうと自覚している。
物覚えが悪く体力もなくメンタル激弱で、
できるようになるまえにリタイアしてしまう、というのが正しいけれど。


3回目の転職でいよいよ大きく体調を崩して、もう頑張れないと思った。でも無職でいると社会から隔絶されたような、なんともさみしい気持ちで焦っていた。もう正社員にはこだわっている場合でもない。
短時間でもこの社会の中でなんとか居場所をください・・・

そんな切実な願いでパートに応募したら私を採用してくれる会社があった。週3で1日6時間。

できるだけ気配を消してひっそりと働いていた。私のポジションは今までずっと空席だったから、何を狙って会社が採用してくれたのかもよくわからず、用事以外一言も発しない日もあった。たぶんみんな、私のことがよくわからず、そっとしておいてくれたんだと思う。

そんな私は、今その会社で正社員として働いている。
理由はただ一つ、今まで経済的に頼っていた夫が働けなくなり、生きるために稼がないといけなかった。

扶養を抜け出し、社会保険に加入する。
家族を扶養に入れることもできる。
正社員だから安心という時代ではないだろうけれども、
組織に属している安心感は大きかった。

雇ってもらっているからには仕事で結果を出す。
ごく自然にモチベーションがわいてきた。
その雰囲気はなんとなく周りにも伝わっているようで、
1人で解決できないとき、スッと手を差し伸べてくれる人が少しずつ増えていった。

新しい仕組み作りをすることになって、
他部署を巻き込んでいかないといけないとき、
また違う壁にぶつかった。

それが収益をアップさせることであったり、
相手のためになることであっても、
目の前の仕事が増えることを嫌う人は多い。
みんな今ある仕事でせいいっぱいで、新しい方法を浸透させるには時間がかかる。

私はなるべく現場をみて、私の出来る範囲のことは120%する。

その上で、相手に変えて欲しいことはお願いする。
それが正しいやり方なのかはわからない。
でも、真っ先に動く人になって、その波が少しずつ周りに広がっていくような人でありたい。

仕事がつらいと思うことはたくさんある。
でも、「あ、伝わっているな」と思える瞬間も必ずあるからやめられない。

お金を稼ぐ手段と割り切ることは難しく、
やるなら誰かのためになりたい。

それが理想論だとしても、小娘の甘ったれた仕事観だとしても、どんな風にありたいか、自分への希望は絶対に捨てない。

この仕事がなんの役に立つんだろうとか、無力感とか感じることがあるとしても、お金をもらっている以上は、きっと誰かの役に立っているからこそ対価をもらえている。
そこからさらに工夫して効率アップや、さらに喜んでもらう方法を考えていけば、きっと「させられている」のではなく、
「私が働いている」という感覚が増していく。

“嫌な仕事”に人生の大半を捧げるのか、
“私が出来ることで、相手のためにもなる”と思って過ごすのか、
どっちがいいかと言えば私は後者がいい。

今日も何かしら理不尽なことがあるかもしれない。
でも、私は今日も働いてくる!

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