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準「鎌倉」アイデンティティー

 机の上に白い紙を広げて、何も見ずに地図を書く。家、バス停、うさぎ公園、ごみ処理場、池…竹林の坂を下り小学校、トンネルを抜けて…。

私が面として鮮明に認識している範囲は、滑川から長谷、笠間を結んだ範囲くらい。実は、ごみ処理場と墓地の裏山を歩いて越えるとすぐ横浜市にたどり着く。それでも、その山を越えることはほとんどないから、私のなかの地図では北東部がえぐれている。
藤沢や横浜はぽつんぽつんと、点としてすこし知っている。

 鎌倉市は、大まかに分けて旧鎌倉地区と大船地区、腰越、深沢、玉縄になる。鎌倉市外の人の思う「鎌倉」は、旧鎌倉であろう。たしかに鎌倉の観光資源は旧鎌倉にあり、歴史資料として取り上げられるのは旧鎌倉のことばかり。(残念ながら)大船地区に住む私は、旧鎌倉の外の人間である。内心、大船の商業地の雰囲気と実家周辺の雰囲気のあまりの差に、大船地区であることを認めたくない気持ちもある。
 とはいえ、旧鎌倉へ行くときはどれほど距離が近くても、山を越えるという感覚が私を観光気分にさせる。それでもなお、「鎌倉出身」と言うのは偽り半分誇り半分。
 大船地区が必ずしも旧鎌倉に負けているかというとそうではない。大船と旧鎌倉は違うものであり、両立するものなのだ。商業地としての大船、観光地としての旧鎌倉。
 直線距離でいえば旧鎌倉の方が近い場所に住む私も、生活圏は大船地区である。それは、あの住宅地からの出口は大船地区にしか繋がっていないから。(厳密には細い急坂道あれど不便)バスルートは、自然と私たちを大船地区へ送る。
 神奈川4区という選挙区は、横浜市栄区、鎌倉、逗子、三浦からなる。行政上のくくりでは栄区が浮いているような感覚。それでも、多少大げさにいえば、大船を利用しているのがこの区域の人間なのだろう。大船は半分横浜市である。


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