見出し画像

雨にも負けず! 第九回すがも鴨台花まつり&種子地蔵 の当日レポ!!

 5月14日、第九回すがも鴨台花まつりが開催されました。今回もコロナ禍の影響で縮小開催となりましたが、例年とは異なり種子地蔵(たねじぞう)の開眼式が同日に行われ、雨にも関わらず多くの方々がご来場されていました。今回の記事では、コロナ禍を踏まえた上で、当日の各催しの様子やその催しを担当した方々へのインタビューをまとめました。

すがも鴨台花まつりとは?

 花まつりは正式名称を灌仏会(かんぶつえ)と言います。華やかな花御堂(はなみどう)に安置された仏様に甘茶を注ぐことで供養をし、子どもたちの健康を祈る行事です。今年本学にて開催された「すがも鴨台花まつり」では、本学関係者の他にも地域の方などにご参列いただき、法要を行いました。本学の教授であり、導師である塩入先生を先頭に仏教学部の学生が列をなして歩いていきます。さざえ堂を前に横一列になった僧侶たちと参列者が合わせて般若心経を唱和し、仏様を誕生をお祝いしました。

厳かな雰囲気で進んでゆく法要
仏教学部の学生も参加していました


花まつり担当者インタビュー(魅力化推進部 福島晴夏さん)

 今回の「第九回すがも鴨台花まつり」開催にあたって、担当職員である福島晴夏(ふくしまはるか)さんにお話を伺いました。

 初めは花まつりについての概要を教わりつつ、話は大正大学における花まつりの詳細へと移っていきます。

 そもそも「すがも鴨台花まつり」の初回開催は2014年ですが、それ以前の2010年にも花まつり自体は開催されていたのだとか。当時、大正大学が支援するNPO法人でもくらしぃの運営するコミュニティスペース大正さろんで大正大学宗教学会が主催で花まつりを開催したのだそうです。大正さろんは2005年から西巣鴨にて運営され、地域のコミュニティづくりを目指し様々な活動が行われていたようです。2010年、2011年、2012年の花まつりでは学生も参加し、甘茶とお菓子の接待をしていたのだと話され、2011年以降は花まつりと同時に東日本大震災の被災地支援や震災物故者供養を行ったとのことでした。

 大正大学地域創生学部出身である福島さんは、学生時代に「すがも鴨台花まつり」を体験したとのことでした。福島さんが参加していた2017年当時は、大正大学と巣鴨の商店街が協働で設立した一般社団法人コンソーシアムすがも花街道が運営する座・ガモールの特産物を南門で出張販売をしていたことで、多くの人でにぎわっていたのだとか。女学生が袴をはいて仏教学部の学生に続いてお練りをしたのだそうです。福島さん自身もチラシを配りつつ真性寺まで練り歩いたことが強く印象に残っていらっしゃるご様子でした。そういったこともあり、当時から近隣住民の方からの認知が高いイベントだと語ってくれました。

 これからこの「すがも鴨台花まつり」をどうしていきたいかという問いに対して、前述したお練りを復活したいと強く発言されていました。袴を着るというなかなかできない体験を通して、他学部が仏教行事に参加する数少ない機会を作りたいとのことでした。最後には「にぎわっていた時期に行っていた花まつりの形にまで戻せて行けたらないいな」と今後の「すがも鴨台花まつり」についての意思を露わにしていました。

インタビュー後の福島さん


種子地蔵開眼式の様子

 同日に種子地蔵の開眼式も行われました。制作に携わった本学の教授、榎本了壱(えのもとりょういち)先生やその他来賓の方々を迎えつつ、こちらも多くの方にご参加いただきました。植木鉢を抱えている種子地蔵に小松菜の種を植える種子植えや、普段見ることのないお地蔵様の開眼式を会場中にいる全員が息をのんで見守りました。また、塩入先生や榎本先生から、大正大学周辺を通る種屋街道について、また種子地蔵の成り立ちについてのお話などがありました(詳しくは後日投稿予定の榎本先生直撃インタビューにて!投稿までしばしお待ちください!)。開始直後まで雨の降っていましたが徐々に天気が好転し、最後は晴れのなか和やかに式典が終了しました。

種子地蔵開眼式での様子
種子地蔵の持つ鉢植えに小松菜の種を植えました
当日はたくさんの方がこの様子を見守っていました


開眼式開催関係者インタビュー(キャンパス農園班OB 山本空洋さん)

 今回の「種子地蔵開眼式」開催にあたって、種子地蔵設置に貢献したキャンパス農園班OBの山本空洋(やまもとそら)さんにお話を伺いました。

 そもそも何故種子地蔵を設置するに至ったかのか、それは種子屋街道という名前をもっと発信していくという目的が根本としてあったのだ、というお話からこのインタビューは始まりました。種子屋街道を盛り上げるために、2年前からキャンパス農園班は活動していたのだそうです。盛り上げるにあたって、21年度半ばに観光庁の事業に対して、種子屋街道復活について応募しアピールしたところ、採択され資金が下りたとのことでした。今年初めになり、種子屋街道復活に際して、何ができるかを話し合ったところシンボルとして種地蔵の設置という案に至ったとのだとか。これからも種子屋街道のさらなる発展や発信をしていければと語っていました。

メディア班(画像手前)の質問に対して回答をする山本さん(画像奥)


ーーいかがでしたでしょうか。傍から見ればよくあるイベントのひとつかもしれません。しかし、そのイベントには上記のような熱意をもって活気づけようとしている人がいるのです。大正大学では、今後もこういったイベントを開催していきますので、是非足を運んでいただければと思います!!


---------- 
撮影・ライタープロフィール

大正大学心理社会学部人間科学科 2年 
高橋 萌(たかはし もえ) 
--------

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?