見出し画像

自分史(興味関心の変遷)

2024年2月3日、31歳になった。

思い返してみれば、10代後半から20代前半と比べてみると頑張りたいことや関心のあるものごとがガラリと変わった。誰もそんなこと気にしていないだろうな〜とは思いつつ、いちいち口頭で説明するのが面倒なのでブログとしてまとめておく。

これまでの興味関心

簡単に追うと、こんな感じ。

幼少期〜18歳……ただの「おたく」であった。同人誌を出すわけでもなく、ただ純粋に二次創作が好きだった。

18歳……高校3年生。「キャラクター絵画」の概念と出会い、美大生の投稿を真似るようにアナログで絵を描くようになる。ジト目の記号が当時新鮮だった。

19歳〜21歳くらい……学業を疎かにして(最悪)絵画にのめり込んでいた。ありがたいことに都内でキャラクター表現がコンセプトの展覧会に呼んでいただけるようになる。一方で単位が足りなくなり、毎年留年しかける。

21歳……絵画ではなくイラストレーションの領域に関心を持つようになり、インディーズ系だけではなく商業イラストレーションの実績も少しずつ積み始める。

21〜25歳くらい……なお、私生活はというと新卒で入社した会社はものの4ヶ月で辞めて1年くらいニート生活をしていた。せっかく友人が誘ってくれたアルバイトで大失敗をして退職。イラストだけで食っていけるわけもなく、社会不適合者に一般的なアルバイトなんかできるわけもなく、なんとか編集プロダクションのアシスタントとして拾っていただいた。そこで、なんとなく取材執筆の基礎を叩き込まれ、ローカルの面白さを知る。高校卒業以降、絵画やイラスト以外のものごとに興味関心がいくのははじめてだった。

26歳……お世話になった編集プロダクションを辞める。またアルバイトをしたりなんかしてブラブラする。

雑誌の隅っこのカットイラストを単発で受注したりしていたほか、取材執筆なんかもポロポロやっていた(編プロでライター業務は一通りできるように面倒を見てもらっていたので。感謝してもしきれない)。ただ、収入としてバイトもやらないと食っていけないので、周りからはずいぶん馬鹿にされた。精神的にも不安定で周りにも迷惑をかけまくっていた時期でもあり、いまだこの時の十字架を背負っている。

27歳……容姿がダメな上に喋りも下手だったものの、オーナーが寛大な人だったのでなんとかありったけのコミュ力を使ってダイニングバーで働いていた。そんな中、ダブルワークでまちづくり系のNPO法人の職員になる。ダイニングバーにもずいぶんお世話になったがNPO法人の方を頑張りたくて退職し、まちづくりや都市の見方にすっかりのめり込み、実務と座学で必死に勉強した。

ちなみに、「ウラロジ仙台」を立ち上げたのもこの頃である。「せんだいマチプラ」のキッドが提案してくれて実現した。この頃は「仙台のサブカル〜」的に、ふわっとしたコンセプトで走り出してしまったものの、編集部体制の構築後は「しょうもないことでも真面目にやっている面白い人、場所」を中心にクローズするメディアとなっていった。

29歳……なんやかんや、己の謎のプライドからNPO法人を辞め、ガチでマジのフリーランスになる。青葉通仙台駅前エリアのビジョン検討事務局のお仕事をいただいたのもだいたいこの頃だ。エリアビジョンの仕事には関わってみたかったので、めちゃくちゃ嬉しかったのを覚えている。

ただ、まちづくりやローカルへの取材に対する熱が高くなっていたものの、なかなか絵を辞めることができない。商業イラストもぼちぼち受注しており、NPO法人で勤務していた時にグラフィックデザインを0から学び直して、DTPの腕前も少し上がった。

次第に、他人に自分の人となりを説明できなくなっていった。うまく言えないけれど、損をすることもあった。

30歳……引き続き、ローカルへの関心は持ちつつ、芸術分野に再び関心を持つようになる。

ひょんなことから藝術舎creekに通うことになったためか、「評論」「論考」について考え、読む時間が大幅に増えた。直接絵を描かずとも、文章で表現を読み解いたり、web記事とはまた違うアプローチで都市のことを考えることはできるもんだな……至極当たり前のことが、なぜかこの歳になって自分の中で腑に落ちたのだと思う。

そんなこんなで31歳になりましたが

多分、残りの人生はローカルで何か起こしたり、文章を書くのを頑張りたいのだと思う。絵も描くし、お仕事もお待ちしております状態だが、確実に20代前半とは心持ちが違うのだ。投げ出したわけでも、嫌いになったわけでもなく興味関心の比率が年々変化していった。よく分からないでしょ、まあ自分でもよく分からないから。

2月10日から始まる藝術舎creekの成果展は「東北大学日就寮の暮らし」をテーマに、ミクストメディアで臨む。

東北大学日就寮の近年の暮らしや建物についての見聞録を壁面で制作した。日就寮内の壁は落書きと張り紙で覆われている。クローズドながら、寮生による自治と共同の暮らしの痕跡が蓄積されていく壁。それを商業的な手垢がつきすぎた市民メディアよりもよっぽど純粋な「メディア」だと捉えた。ジャーナリズムの梯子を外した上で、日就寮での壁の使われ方、寮の位置付け、近年の暮らしのありかたを感じていただければと思う。

《日就寮の暮らし 2023-2024》 赤瀬川 沙耶(取材協力:東北大学日就寮 寮生の皆さん)

リサーチ→ミクストメディアによる成果物にしたのは、純粋にこの自治寮の存在に深く衝撃を受けた時に「こういう成果物が良いかも」というビジョンが浮かんだのもあるが、これから文章を書いていく上で絵画をいったん卒業しなくてはならないと思ったから。

「普段何やってるのかよく分からない人」でもいいのだけど、「なんでも屋さん」だと消費されるのは懲り懲りなのである。

Saya Akasegawa

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?