予備試験を越えて①(合格率1%や3%なんて唯の記号の羅列だ)

昨夕、予備試験の最終合格を知った。
正直なところ、論文合格からひと月が経ち、口述合格から一日が経ち、周りの反響に比して自分は落ちつきを取り戻している。
どんなに辛いことも、どんなに嬉しいことも、時が過ぎてしまえば、熱は冷めて大したことではなくなる。
時の経過により、出来事から歴史に変わる。判断対象から判断基準の1構成要素に変わるとも言えようか。
いずれにせよ、時の経過により、今回の合格も今までの不合格も相対化される。

合格という既成事実は、対外的には大きな意味を待つが、個人的には合格に至ったプロセスやそこで培った能力の方が遥かに意味がある。
自分の場合、合格するにあたり、次の能力を開発する必要があった。

コスパタイパを意識する戦略的思考
やり抜く力(GRIT)
自分を信じる力


予備の合格率は3%とか、40代前半の合格率や会社員合格率は1%とかいうが、そんなのは唯の記号の羅列に過ぎない。
自分という個が、どういう人間でどういう風に試験会場で振る舞うかの方が、遥かに本質的だ。
あえてKPIを持ち出すなら、定量的に言うとアシ別(短パフェや合格セレでも良い)の問題を確信もって正答できる率、70分あたりの文字量、正確に使いこなせる(※1)論証の数等だろう。
定性的に言うなら、要件事実的に思考ができるか、全科目で条文から思考できているか、分かり易い日本語を書けているか、問いに答えることを意識しているか、読める字を書いているか等だろうか。
※1 論証を短くもフルスケールでも問題文に応じて書き分けられることが、ここで言う「使いこなせる」である。

仮に数字が意味を持つとしたら、1.7万人弱の代表として、司法試験という知的格闘技の全国試合に挑むため、気合が入る点だろう。
2017年に村田諒太選手がエンダム選手を倒し、WBCの世界チャンピオンになった際、インタビューで次のように語った。
「エンダムは友人です。初めてできた友人だと彼も言ってくれますし、僕もそう思っています。これは高校の恩師が言っていたことですけど、ボクシングで試合に勝つということは相手を踏みにじって、その上に自分が立つということ。勝つ人間には責任が伴うんだ…と言っていました。だから彼の分の責任を伴って、これからも戦いたいと思います。」

ボクシングの世界チャンピオン(しかもミドル級)とたかが予備合格(しかも論文200番台)を同じ文脈で語るのは烏滸がましいが、自分の合格は有効に活かす道義的責任があると思っている。
また、俺の合格で勇気を覚えてくれた方、喜んでくれている関係者諸氏を想うと、恥ずかしい振る舞いはできない。
ノブレス・オブリージュとは違う、ストリート育ちの雑草故の責任感(使命感)を感じている。

7月の司法試験には必ず受かりにいく。
ださい言い訳なんかしたくないから、ビリでもいいので受かりに行く。
この試験は油断すると普通に落ちる試験だと俺は見ている。
問題の難易度が予備とは比べ物にならないからだ。

明日から、基礎基本を大切にし、平常運転で答案を書きまくり、過去問を検討し続けることとする。

行くぞ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?