見出し画像

絵が上手い


体調が良くなってきたので、一ヶ月前にドタキャンしたキュビズム展に行ってきた。

セザンヌやアフリカ彫刻から、ピカソとブラックを中心にどのようにキュビズムが発展して影響していったのかをめぐる展覧会。ボリュームも内容もあってなかなか面白かった。

悪友と2人で回った結果、結局出てきた感想が「絵が上手いな〜」だった。
なんとも雑で最悪な感想だが「絵が上手い」というのはこういうことだ、というのは本当に思う。

産業革命以降、人が自由と自我を手にしてからの美術というのはそれはもう急速な発展と混迷の時期にある。まあ美術に限らず、なんだってそうかもしれない。

間違いなくキュビズムは絵画表現において「革命」そのものだったんだろうと思った。これを理解するには同時期の画家だけでなく、社会、歴史、文化風俗、科学技術全てを網羅的に理解する必要がある。それだけの情報量が一つの絵にある。

近代絵画の起点をマネの『オランピア』とするならば、それ以後音楽も美術も含めて芸術というのは常に「最新鋭」を追い求めるジャンルだ。新たな表現新たな世界。

線による表現を競うように突き詰めていくピカソとブラックの過程は、新たな発見をした人間のエネルギーみたいなものがあって面白かったし、何よりピカソの天才具合というものはやはり違うと思った。

キュビズムが起きてから発展していくまでに短い期間しかない。全ての絵が、たった10年ほどの間に描かれている。その間に大戦が起きて、また少し違う方向に舵を切っていく。

歴史も文化も芸術も激動の時代だ。平和な時代を生きてる私たちがこれを"本当に"理解するには、やっぱり相当体系的に知識を入れていくしかないように思える。

この時代からは考えられないほど資本も科学技術も発展した今、最先端の芸術とはなんなんだろうとぼんやり思った。現代のマネやセザンヌやピカソは果たしてこの先現れるのだろうか。

一緒に行った悪友が「もう今は人間が知覚できる範囲を技術が超えてる」と言って確かになと思った。

人間という動物に対して、科学技術自体がオーバースペック気味になってる、と考えるとそこに追いつこうとする芸術美術が現れたとして、それを本当の意味で私たちは理解できるんだろうか。
資本主義も進んだおかげで、「アート」という言葉も消費つくされている。

こうやって昔の絵画を見て触れるたび「絵が上手い」現代の作家に会う機会を逃してるような気もする。
でも時代による淘汰がされていない分、現代美術の8割はカスだと思っている人間なので、そのせいでなかなか出会い自体も少ないのがよくないとこだなと思った。

そういう意味ではブライアンイーノのインスタレーションはよかったなあ、などと思った。やっぱり金沢の21世紀美術館に定期的にいくしかないのかもしれない。

なんにせよキュビズムをちゃんと理解できた気がしないので、参考文献でも読んでからもう一回リベンジしたいなあ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?