「変わらないために変わり続ける」

自分の人格はSEKAI NO OWARIでできている、と最近ふと感じる。
10年前にラジオで『眠り姫』をきいたあの日から、何回も何回も、聴き飽きた筈の歌をきき続けているのだ。

学び得たことや大切にしている言葉はもう数え切れないのだが、「変わらないために変わり続ける」もその一つである。
当時小学生の、浅い頭脳しか持っていなかった私は「変わるのか変わらないのかどっちなんだよ」と思っていた。非常に浅はか。
それから私は「変わらないために変わり続ける」の意味を見つけることを、人生の目標としたのである。幸いなことに膝が隠れるくらいには脳が成長し、私なりの考えが幾つか浮かぶようになった。
「意味を見つける」と書いたが、正解のある問いではない。
全て答えではあるが、正解ではない。だからこれからもその時の感情や状況によってその瞬間の自分の答えを見つけていきたいと思っている。

定義付けが好きなので(キモ)前置きが長くなったが、本題は先日参加したFCツアー「Fafrotskies ~The Fan~ 」で見つけた答えである。
(ツアー中にもかかわらず堂々とネタバレをするので、見たくない方はバックでお願いします)

セトリを調べて貰えば分かるだろう、その異常さが。
一言で表すと、ライブで演奏する機会がない楽曲の詰め合わせである。
幕が上がると、セカオワの4人が椅子に縛り付けられている。首には赤い光を放つ首輪。いかにも爆発しそうだ。
ナレーションはライブの主催者であり、彼らを攫った犯人。自称セカオワファン。「お前たちはファンの気持ちが分かっていない!なぜ青い太陽をライブでやらないんだ!2010年のフェスでやったピアノアレンジが見たいんだ!」と主張する彼の指示に従い、ファンプロデュースのライブが始まる、、、とまあこんな設定で、その後も何年ぶりの披露だとか、過去のライブ演出の再現だとか、古参に寄り添った内容だ。
そして本当の本当に最後の曲が『アースチャイルド』(説明しよう!『アースチャイルド』とは、「変わらないために僕らは変わり続けるよ」やバンド名の由来が歌詞に含まれる、まさにファンの大好物の曲である!)。

すごいなあと思って。
この演出で、最後に「変わらないために変わり続ける」と歌うのが。
よくバンドに言われる、昔の方が良かったとか有名になって変わったとか、それらをど正面からぶつけられたと感じた。

そして私の中に一つの答えが生まれた。
「変わらないために変わり続ける」は「本質を変えないために伝え方を変える」ことであると。
伝える方法や媒介する言葉が変わると、外野からは中身が変わったように見えるだろう。
しかし伝えたいことは変わっていない。今伝えたいことが伝わっていないのなら、更に広い範囲に伝えたいのなら、方法を変えるべきである。
自分が大切にしたい本質を変えないためには前向きな変化が必要であると今回感じた。

とにもかくにも、最近きいていない曲をたくさんきくことができてすっっごく嬉しかった!!よくきいていた頃の思い出が甦ったりもして、自分の人生はセカオワと共にあったと実感した。久しぶりにきいたのに完璧に歌詞が浮かぶ自分に気づくと同時に、セカオワの存在の大きさを感じた。
これからもずっと大切にしたいです。ありがとう。


余談だが、タイトルの「The Fan」は「そのファン」、つまり演出上の主催者のことだろうと思ったが、しばしば使われる「典型的な」の「the」としたら昔は良かったと語るファンへの皮肉かなあと思ったりもした。