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飲んでもいないのに

バッテリー交換しつつおよそ6年半つかい倒したスマートフォンがいよいよ異常な動作をするようになったので渋々買い替えいたしました。薄い食パンを半分に切ったくらいの愛機は手によく馴染んだので、近い大きさの機種が希望だったのですが探す余裕がなく、想定外に1.5倍ほどもあろう最新機種を持つことに。

初めの数日は違和感と不安ばかりでしたが、なんとなく掌での据わりを見出しかけながら一週間たちました。

前回の機種変更ではアドレス帳くらいしか持ち越せなかったのに、画像四桁枚まるごと引き継げたしすぐログインできたアプリも幾つもありデータの移行は驚くほど充分。

ひと通りデータ移行の確認をしたつもりになれたお次は引退したスマホを初期化して郵便で下取りに出す作業。

これまではショップのカウンターでアドレスを移して貰うだけで新しいスマホと引き換えに置いてきたのに、自分で初期化するとなると不思議に躊躇いを感じてしまう。

支障なくデータ移行された若く健康な、なんなら自分には不相応なオーバースペックのスマートフォンが手元に来たのに、突然通信が不能になるもはや通信機器の用を成さなくなった旧式スマートフォンをまだまだ使いたかった貧乏性。

なんの役にも立たない未練に呆れながらいよいよ初期化の操作。黒と白の画面に切り替わり削除されていくデータ。保護カバーもフィルムも外したiPhone5的SEは本当に小さくて。

令和参年の秋から与年の春までは、なんども全力疾走したことが思い出されました。転職してから朝が早くなったぶん月に何度か15時半退勤という禁断の果実を得てしまい、その微妙な時間に望みを賭け寄席夜の部16時台の二ツ目さんを聴くために走りました。四半世紀中断し半ばリセット状態から再開してしまった落語沼。何もかもの周回遅れを埋めるように夕方の新宿を浅草を必死に走りました。新型コロナ禍の余波で高座うかがう機会が少なかったなか寄席にあがられる姿をどうしても見たくて。いい大人のはずなのに寄席のために息を切らす自分を笑いながら呆れながら。その時にあと何分、もう始まる、と乗り換え案内や時間を睨み走りながら握りしめていたスマートフォン。

せっかく走っても初めから見られる事の方が少なくて、よくて序盤、たいがい半ば、運悪く乗り継ぎしくじれば手前の駅で時間切れ。そのぶん出囃子が聴けた時はその音を耳が喜ぶあまり鳥肌が立つほどでした。

あれから一年や半年以上が経って、随分と落語の会が増え、以前は蜘蛛の糸のように一本垂らされては飛びついていたと思えないほど。しがない労働者ですのでリソース乏しく、一度も見逃せない、という気持ちの勢いが叶った時期は過ぎたのでした。

選択肢が増えて、走らなくても良くなって、新しいスマートフォンがあって

それでもあの全力疾走したことはなんだか大事に思えてならないし、握りしめていたスマートフォンは相棒だった気がします。

記憶を消され電源を切られた小さなスマートフォンは亡骸にも見えるし、一緒に走ってくれたその小さな相棒を自ら手にかけたような感覚に陥って悲しくなってしまったし。

白白とした照明のショップカウンターでさばさば別れていれば良かったのにね。

以上


毎朝玄関を出て富士山と見交わしては木花咲耶姫さまにお願い申し上げております。いくはしらにもご挨拶のたびお願い申し上げております。健やかに安全に佳いお高座が重ねられますように。良いお客様あたらしいお客様とご縁がありますように。たくさん笑顔が咲きますように。