幻覚落語

落語はよく分からないけど楽しい。

圧倒的に勘が鈍いので、リズムが合っている合っていないが分からない。だから落語が好きとか面白いとか本当は公言してはいけない気もする。

小さい頃は笑点の圓蔵さん歌丸さん三木助さん小朝さんが笑っているのを見るのが好きなだけだったけど既に好感があったのは今思えば不思議な気もする。あとは元日に「早いもので今年もあと364日になりました。」というのを聞くのが好きだった。最初にちゃんと聴いたのは図書館の貸出テープで仁鶴さんを見つけて「生活笑百科の人だ!」と嬉しくなった中学生の時。『青菜』だった。水打たれ濡れる松をくぐる夏風に頰を撫でられた気がした。

高校の同級生に引っ張られて深川江戸資料館に落語のピンを見に行った。忘れていたけどこんな詰まった期間と内容だったのか。

落語のピン(フジテレビ)放送リスト
http://www.asahi-net.or.jp/~ee4y-nsn/rakugodata/zzz_pin.htm

落語で最初に見た強烈な幻覚は小朝さんだった。小朝さんを見ていたのに小朝さんが消えて綺麗な女の人がいて、何もかも終わるとまた小朝さんが座っていた。幻覚というか催眠? その体験を皮切りに溺れてしまった。落語を聴いているうちに人物や景色が浮かんでくる快感。時々飲み込まれる圧巻。演者さんも景色も変わらないけど、その方がいらっしゃると風が吹いたり、花が咲いたりも…しますよね?勝手な印象でしかないけどそう感じてしまう。春風涼風冬の火鉢の炭の匂い。高座に咲く花々、その時々に合わせ丹精された菊、牡丹に似た芍薬、有無を言わせぬ百日紅、こぼれ咲く無数の野の花。

ある師匠方の高座について「噺を抱いて(まぐわって)いるようだった」とか「噺と旧友のように戯れていた」という表現を拝し、なるほどなぁと思いました。

ある方の高座は落語の世界の住民達と「今日は笠碁するぜ‼️」「今日は加賀の千代な‼️」と原っぱ缶蹴りの勢いで遊んでいるように感じるし、ある方は先達や高座の神様への奉納に見えたりもしてしまう。

噺と人が高座で織り成すなにかを拝しに、ついつい足が向いてしまいます。

今日は反対俥や強情灸だとポップアップ絵本のように人物が飛び出す噺家さんの会へ参ります。

雨が強くなりませんように☔️