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土と影

苦手な言葉 長いこと一位をキープしているのは 映え
アカウントはつくったけれど、 見るだけで使い方わからないままのインスタグラム 映えというのは、 そこでの投稿行為からうまれた言葉に思うも SNSの中だけでなく 商業施設や飲食店、 イベントごとに、 お化粧から食料品、 ときにわんやにゃんまで、 華やかおしゃれに引き立てられた、 ものやひとやことが街にはあふれて
蛍光色のCGアニメーションみたい、 眩しさと、 情報量の多さに目が疲れ、 長くは見れずに 初期のルパンやディズニー、 懐かしい、 フィルムのアニメが恋しくなるような 華やかおしゃれがきらきらでなく、 ぎらぎらに見えるようになってから
ものでも、 空間でも 色数の少ないものを、 好むようになった。

いつかは、 ソフィアコッポラの、 ガーリーな色調と、 ドリーミーな選曲にあこがれて
それがいまは、 アマゾンプライムで少しづつ観ている 『山のトムさん
ねずみに猫に山羊にニワトリ、 畑に縁側 嘘っぽさと、 自然と田舎のまさにのリアリティーが、 おにぎりみたいひとつになって 情報量は、 極めて少ないようでいて
とれたて野菜とお味噌汁 映像からの、 シンプルな、 でもスペシャルな味わいに
目とこころがやすらぐ 豊かさとはを、 その消失を 土の少なさを、 じっと思う

これは、 昭和回帰に近いのだと思う。 恋を思うパン屋さんは、 とくにその傾向があり、 ご夫婦で営まれているような、 個人経営のお店にしかゆかなくなった。
喫茶でお茶を飲むならちゃぶ台が一番あんしんするし、 音楽がないほうがいまという時間を忘れて、 いまこの瞬間だけの時間にもどることができる。
それでゆくとモクセイは、 わたしにとってやっぱりずっとの生きてゆける場所で
最近にゆくようになったどの場所も、 やっぱりなにかしらの時代から外れたものがいまなお保たれ、 それがあたりまえに生きて営まれているのを感じることができる
そのしんからのほっとを得られることが その独立したときの流れる空間のなかにいて いつも奇跡のように感じる。

わたしはどうだろう
願うのは、 なるべくに刺激がない 絵ならば、 コップや野菜の影みたい
あっても誰の目にもとまらない それでも何か描いてるなくらいの
だらか、 透明を目指しているのか  なにもなければ 風みたい なにもないけど
ふっとしたそのなにか 残るものなく 届けることが きっとできる。


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