パレスチナウォーク
菅野完さん の呼びかけによる、 ガザでの即時停戦とストップジェノサイドを訴える
平日の東京の街を無言で1時間かけて歩く パレスチナウォーク
配信される動画をじっと見つめては 歩かれているひとの目が、 印象的で
参加しているひとの服装や纏う雰囲気、 みんな其々で、 みごとなくらいばらばらなのに そうして個々の独立性を保ちながら そのみんな、 同じに共通するものが それは、 みんな 目が座っているというか 目に強い意志のやどりを感じる
迫力のようなもの 歩いているだけのようで 歩いているをこえた
踊りや歌、 芸術から感じる表現にも近い でもプロのスポーツ選手の目とはまたちがう 目が声で言葉のような ひどい重たさがあって だから、 かっこいいと感じるのか 涙が出そうになるのか なんしか、 わたしは、 自分ではまだ街へ立てても、 歩けてもいない心苦しさ、 もどかしさあるけれど つよく、 励まされている
楽天堂の 千晶さん が つぶされないで人間性を守る方法を、 メーリングリストと インスタグラム に書かれていて その3つのうちのひとつが 誰かとご飯を食べる
とあった。 わたしは、 それにあたるのが、 「停戦」のプラカードを胸に、 にぎやかな眩しい銀座の街を、 無言で歩く人たちの姿に思った。 その一歩一歩に 目のするどさに 画面越しにも関わらず ともに同じ思いを抱えているのをわかる思いに勝手になっては 歩く人たちはわからない 彼らは知らない、 それを見、 その一歩一歩を受け取るひとへの、 その大きさ その伝わり ひとりじゃない それをわかることの、 大きさ 救いに、 励まし またそれが、 記録として残ることの意味も
彼らのその体をはった発信に、 行動に、 感謝する。 プリントゴッコで、 即時停戦の ワッペン を刷っては、 それを参加されたひとみんなへ、 無料で配られる
圭希さん まり子さん の思い、 いつでもの優しさにも、 温められる。
わたしごとでも、 先日は、 いただいたお代の封筒に、 Peace For Palestina! の言葉と絵が書かれていたり こども達を護りたいの言葉とともに、 noteのサポートをいただいたり つぶやきでも、 織をされるひと、 パレスチナの色で手袋を編まれていたり、 絵や歌、 料理や服装、 言葉での表現 目にするそれぞれの思いの表明に こころ、 強く支えられている。 平和な場所にいる自分ではあっても
叫びたいような衝撃が、 油断をしたら、 見えないミサイルの注ぎをみせるから
そうしてすべての色が消えてしまう、 絶望に飲み込まれないで まだつぶされないで いまを、 息を吸えているのは、 絶望を止めようとする、 ひとりひとりの想いがあることを パソコンの画面からも 現実からも 知ることができるから
ひとりじゃないことを感じるのは ひとりを感じるからで
ひとりを感じさせないよう外にあるもろもろで飽和させ ひとりを感じないときに
ひとりじゃないことを感じることは わからなくなる
ガザ、 パレスチナ、 沖縄、 福島、 大阪、 日本の社会、 世界で起きていることに
深く胸を痛められたり 体調を崩されたり なんなのかと、 どうしたらの思いを抱え 変わらぬままの現状に、 言葉にならない苦しみを、 もたれているとき
でもそれは その苦しみ、 悲しみ、 言葉にならない叫びの思いは それを感じていることが きっと誰かを ひとりじゃなくさせる
千晶さん書かれているみたい 誰かとご飯、 その思いを感じあえること
またそれが、 串団子みたい 東京のパレスチナウォークみたい かたまりとなり
思いもよらぬ、 誰かへと 思いの伝わり、 起こるかもしれない
そのかたまりは ひとりからも いまからも どのときからも 生じうる
自分ができること 一歩を。
パレスチナウォーク 励まされ そして問われる思いになる。
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