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伝達

ガザで起きていることは、 無宗教の日本人からは遠い話で
「自分と関係ない」 と遠ざけて良い話と思う。 という投稿

書かれているなにもかもに、 ぞぞっとなる。

国籍や宗教がなんであれ、 これほどの残虐性をもって、 ひとが無差別に無抵抗に殺されているという事態を 宗教戦争というとんちんかんな見方で 日本とは関係ないと切り離せる むしろよく見続けられるその鈍感さが怖いという、 そのひとの感覚に のだめで千秋先輩が宇宙空間に漂うようなはてしない思いになる。

どう思うのも感じるのもそのひとのもので それはもちろん自由で
それでも それでも それでも

それでも それが自分のこころを守るためであっても あきらかなジェノサイドを前にして 無関係と線を引ける きっとその反応が パレスチナへの侵攻だけでなく 国家間や民族間や宗教対立 実際は軍需の必要で行われる 侵略であったり、 代理戦争を 今日のいままで 成り立たせている。

大人として生きてきたとして
自分や自分の周囲に起きていないことは 自分とは関係のないこと
そう思えるのは、 ある意味強さなのか 感性によるものなのか ひたすらの無知なのかはわからない。 わたしこそが、 これまでの歴史、 いま世界で起きていること 全然知らない、 わからないことだらけで 国名を見ても、 その場所ぱっとは浮かばない 物理的や、 感覚的距離だけでなく、 知識としても その国や場所、 ちょっともどこかわからないほど、 遠くても それでも それでも それでも

国もその場所もそんなことはひとの命と関係ない

たくさんのひとの暮らしと命が脅かされ奪われようとしている
しかもこの時代にも関わらず、 ネットは遮断され、 記者やメディアはガザへ入ることできないで、 起きていること可視化されずに、 殺戮と破壊がものすごいスピードで進行している

一分一秒でも早く侵攻を止めないとの思いから 世界中で大規模なデモが行われ 参加者にはユダヤ人もたくさん ストップジェノサイド 心からの声が上がる

そのひとを知らないなら 殺されても知らないにはならない
人類みな兄弟という意味じゃない 自分はそのひとを知らなくても そのひとを知っているひとがいて そのひとの知っているひとの命が奪われたなら、 そのひとが負う喪失の痛みは はかりしれない 奪うこと そうして奪われること そうして受ける衝撃は そのどれも、 あってはならない 最大に不自然なことで

大切なひとの喪失は いま生きているひとすべてにとって 人生でこれ以上ない
痛み、 苦しみ、 悲しみに、 ときに地獄や、 世界の終わりををもたらすもので
なんでとなる死別 それは誰にでも起きうるもので

彼らにとっては、 葡萄の実を狙い撃つみたい そのとき飛び散る果汁を受けたひとの胸 一生消えないあとを残す

認めてはいけない 止めないといけない
無関心や無関係 それはしょうがないの表明になる
しょうがないの表明それは 許可になる

それじゃできることって何か それは行動してこそだけじゃない
意識でも 想いでも つながりあい まとまれる

感じるという、 すべてのひとが 嗅覚や味覚と同じに持つちから
このセンサーは 目にするものより、 聞くものよりも SNSより、 ニュースよりも
膨大な情報が どこにいても、 ネットがなくても その伝達と情報の共有行える
そのときそこには、 距離はない そのつながり合い それは意図しないでいても
無意識でも、 無自覚でも それは起きてて

自分の思いを持つ それだけでも ぜんぜんそれは それだけじゃない

ミサイルのストップを  命を 暮らしを 自由を 尊厳を
それは自分の尊厳を、 守ることになる


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