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同じ

父とサンさんの命日。

ふたり体を離れたその日、 そのとき強く思ったことは
ひとつは なにも変わらないこと
父もサンさんも 変わらずにいるということ
もうひとつは いままであたりまえでしかなかった幸せは
もう二度と、 これからの人生にないということ

これ以上失うものはなくなったぶん これ以上の幸せもなくなった
それでも 父もサンさんも変わらずにいることは はっきりわかる

そうでしかない その認識が
8年経って、 猫仙人のお店でコーヒーを飲んでいたとき
絶対的に思っていた、そのひとつ 違うことをわかった

猫仙人の淹れるコーヒーと、 サクサクのピザトーストの美味しさに
この世で一番のコーヒーと、 ピザトーストであると思って
そしたら いまそんなふうないまにいること
もう二度とないと思っていた幸せを わたしはいま感じていること

父もサンさんもいるとわかっていながら 体がないことで もう会えない
姿が見えない 声を通して話せないことで もう同じ幸せはないのだと
そう思ったそれは かたちからの予測であって ほんとうは 違うかった

いま この今日の瞬間の幸せは それは
変わらずに父にサンさん 存在を感じては 不思議にも、 また現実的にも
変わらずにわたしは助けられ続けてきて そうしての いまがあり
それはほんとう 何も変わらない 体はなくても 何も変わっていない
同じにどのときも わたしには幸せがあった それを今日、 猫仙人のお店
母といつか来れますようにと願いながら ピザトーストを食べてたら
はっとわかった

真のほんとうを見えなくするのは 違うように見ようとするのは
事象ではなく自分

離別というかたちを、 そうでしかないものとして見るか
同時にある 自分の何よりものほんとうからあるか

そのふたつが長く当然のごとく自分の認識に同居していたのは
内にわかるほんとうと、 現実への否認と拒絶が その折衷案として
同じ幸せはもう二度とないと思うことで 調停を結ぶみたい
成り立っていたのだと

実際は そのふたつはおにぎりとサンドイッチくらい違うものなのに
その二つ両方入ったお弁当を食べている違和感は、 どこかにあっても
それはしょうがないものとして思っていたのは しょうがないのじゃなく
ただ自分がそのふたつをお弁当箱に詰めていたのだと

それならわたしは 命日を過ごすならと来た、 猫仙人のお店
そこでいま 食べたいものを食べているように
そこで最大のしあわせを感じているみたい
そのときを 目の前のいまを 大切に味わうことが 唯一わたしが
いま父にできることに そう思った

過去をじゃない これからでもない いまはいましかない
いまあるものしか 伝えられない 届けられない そうならば
このいまを どれだけよろこびからあるか いまの真のほんとうからあるか
それが父、 サンさん、 ララにナッツにつらら また会えることを願ってい
るみんなへと いまわたしが伝えられる いちばんの感謝に そう思った

もう あたりまえの受け取りを 自分に課すことはしない

イタチに対して ぎゃーっとなるか ぞっとなるか
えーってなるか ゴゴゴとなるか ほっこりするか ごめんとなるかが
自分にわからなかったのは 当然の反応を 自分に課そうとしていたからで

当然でなく イタチに対してのほんとうを 胸に見たなら
答えは、 自由で   わたしにも イタチにも 自由を見ることで

自由にする それは 尊重と同じ

差別となると それはまったく別の話であるけれど
(差別は許容しちゃいけない)

とうぜんとする反応を、 自分に強いるより
自分の真のほんとうからいまをあるなら
自分が自分をわかるよう 相手にあるものをわかる

イタチはわたしがいるにも関わらず、猫めくりを突き破ってまで
部屋に入ってこようとしたのは またマフィンを食べたい、
そのいっしんからであったと 破れかけた猫めくりを見て思った

そのマフィンとワッフルは わたしが足しげく通っているパン屋さん
朝の8時前には売り切れてしまう、 二つとも人気の商品で
その美味しさ イタチも同じに、 はっとなって そうしての強行だったと

イタチとよろこびをわかりあう まったく予期せぬかたちで起きた事態に
こころの受け止め 混乱したけど もしもイタチが猫だったらとか
さらに思いは混乱を深めたけど そういうことじゃ きっとなかった

人間とイタチ 住人と侵入者 清潔と不衛生 取った取られた
その思いを持ち込まないでわかったことは
どっちがどっちでもない 互い それぞれのいまがあること

わたしが自由でいるように
イタチにも自由がある

そこに差別は 存在し得ない


うまく言葉にしきれないけど

生きているか ここにいないかも
性別も 右か左かも 国籍も 肌の色も 信念も 価値観も
その形や型が なんであっても そこじゃない

それを見ている自分の胸を そこにあるほんとうを
ただまっすぐに 見つづける

ひともイタチも よろこびを求めてる

生きているひとも 体から出たひとも
同じに笑顔を しあわせを 思ってる

そのところから わたしはわたしの 世界をつくる

そのための 自分ができうる最大を尽くせるよう
そこにひねりやひずみをもたらす "とうぜん” からの反応を
もうどのときも 私は自分に 持ち込まない

正しさでなく 正直を
その自由を   自分に  すべてに



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