探し物をついに見つけた話

※話が重いかもしれません。そして、曲の布教もありません。


こんばんは。Aru=Rです。書きたいときに書くスタイルになってきました。今回は、自分語り100%でお送りいたします。そして、サークルや知り合いが特定されるような話を避けるために抽象的な部分が多いです。ご了承ください。

昨日、僕が所属している演劇サークルの本番がありました。初舞台だし、二日にかけて行われるし、三回目には親が来るし、前日体調崩した(3時間くらいで治したけど、その後もめっちゃ寝た。)し、不安要素がいっぱいあるうえで、初日を迎えました。不安な要素が結構あった割には舞台はうまくいったし、楽しかった。しかし、二日目、covid-19とかいう許せないもののせいで、公演ができない可能性が出てきたのです。そのことに関するミーティングで、僕は自然と泣いてしまった。なぜ泣いているのか。そこに悲しみ以外の感情を見出した時、僕は過去を振り返りながらとても複雑な感情になった。


昔の話をします。僕は中学3年間、そして高校での約1年間と、計4年程度吹奏楽部でチューバを吹いていました。最初は運動部を避け、音楽系の部活に入りたかったというだけの理由で入部したけれど、どうやらとても性に合っていたらしく、中学2年になるころには俗にいう部活バカになっていました。そのまま高校でも吹奏楽部に入り、部活ときどき勉強くらいで過ごしていたけれど、そんな日々は長続きしませんでした。12月後半の寒い日、おそらく練習での過度な負荷や体系が原因で、肺気胸になってしまいました。つまり、肺を破ったのです。ここでしばらく楽器から離れ、高校の部活の問題点が見えたり、様々な考え方が変わりました。それでも部活に対する思いは消えず、7月のコンクールへ向けて必死に練習しました。しかし、体の不調も無視して、必死にやりすぎた。六月末、放課後の練習中に倒れ、それと同時に心も折れてしまい、ろくに友達に相談もせずに部活を辞めてしまいました。倒れた二日後のことです。正直言って、この時に友達に相談をほとんどしなかったことを今でも後悔しています。本題じゃないし長いしで省略するけど、体調不良を口実にして、全部員から恨まれても文句が言えない辞め方をしている(と思っている)。けど、それを許してくれた吹部の友達とは今でも仲がいい人が多くて、本当に感謝している。ありがとう。しかし、部活を辞めたことで、友達のありがたさや、自分にとって吹部がどのようなものかを思い知りました。僕にとっての吹部は、生きがいよりも重要で、構成要素の大半を占めていたのです。それをなくした僕は病み、数々の奇行(この言葉が適切かわからない)によって多くの人を傷つけてしまいました。そして、恋をしても、大学に合格しても完全には治らなかったのです。(noteでは語りませんが、この時期の恋愛「も」散々です。)


ここまで長々と吹部を辞めたことに関して書いて、結局どういう話に持っていきたいのかというと、心の支えだった吹部に代わる何かをずっと探していたということです。そして、本番中止の可能性が高くなって涙が流れた時、演劇がその支えになっているということに気づいたので、悲しいような嬉しいような複雑な気持ちになったということです。

結局、二日目の本番は様々な人の配慮によって、感染対策を厳重にするという条件付きで実施されました。感謝。そしてうまくいきました。親にちゃんとした姿を見せられました。アンケートを見るに、お客さんも楽しめたようだし、僕らも楽しめた。かけがえのない一日だった。


今、僕は昔の自分が捨ててしまい、ずっと探していたものをついに見つけた。それは、生き甲斐だなんていう陳腐な言葉ではなく、そう!いうなれば「...」


以上。これからも大切にします。

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