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まだ逃げている

窓の外で、新聞配達とおぼしきスクーターの音がしている。朝だ。また朝になってしまった。お仕事お疲れ様です。

引き続き、自分への言い訳。備忘錄。

数年前まで、5年間ほど娘たちがお世話になった小学校で交通指導員をしていた。毎朝、通り過ぎる子どもたちのキラキラした魂のようなものに浄化される心地を実感できてうれしかった。
私なぞが子どもたちに何かしてあげようなどということはおこがましいと思い、せめて悪い反射を返さないよう心掛けていた。それを浄化し返すというように誤って捉えていた。

そもそも、やるべきことをいろいろ間違えている。
まがりなりにも”指導員”なのだから、指導を心掛けるべきだった。きちんと対処されている先輩方・後任の皆さんのおかげで、狭間でのんきに過ごさせていただいたと、時間が経って気づく。

同時期にパートで勤めていた図書館でも、いろいろ迷惑をかけた。
決してサボってはいないが、指示されたこと以外に気になったことがあると作業が飽和してしまう。
貸し出しのレジ打ちも、勝手に裏技のシフトキーでスピードを優先してよく注意された。要領がどうとかより、確実に作業するために決められた手順だったのに。それが見えていなかった。

そんな私がパートとはいえ公務員に足を踏み入れてしまったのだから、そりゃあ迷惑かけるさ。
足を洗って、お詫び行脚の今日この頃。

いま心掛けているのは、自分がどこを向いているか。(ナルシスト全開か、、、、)

”ブッダは「他に隷属することは、すべて苦なり。あらゆる主権こそ楽なり」(『自説経』)と述べています。”(https://jodo.or.jp/浄土宗サイトより)

今もときどき見守り活動に行くと、登校しぶりなど、子どもたちも親御さんたちも(きっと先生方も)毎日闘っているのを見かける。

”銀の弾などない”(フレデリック・ブルックス)
何か特効薬のような逃げ道はないのかもしれない。それでも主体的に心を自由に生きてほしい。

そういう私は逃げてばっかりだけどね。

あなたなら大丈夫。