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Interview 鶯谷という街へ、飛び込む。鶯谷ベルエポック 村口 麻衣さん

鶯谷ベルエポック。
山手線最後の秘境「鶯谷」。
色めき建ち並ぶホテルのネオンや生活を感じる民家を隠れ蓑にして、この街には芸術の軌跡が隠されている。「色街」と「文化」を交錯させ、ジャンルや世代を超えて、一過性ではなく街に残り続けるアートを目指すプロジェクトだ。

今回、このプロジェクトを主宰している村口 麻衣さんに、アートライティングスクール一期生の4人がインタビューを行いました。プロジェクトを体験した鑑賞者としての視点から、さまざまなお話をお聞きしました。

取材・文:西見 涼香、大豆生田 智、横山 えりな、大島 有貴 
編集・撮影:大島 有貴


ARTS PROJECT SCHOOLでの
鶯谷との出会い。

──今日はどうぞよろしくお願いします。先日、鶯谷所印めぐりを皆でさせていただきました。とても楽しかったです。村口さんはなぜ「鶯谷」という街にプロジェクトを立ち上げようと思ったのですか。

楽しんでいただけたようで、嬉しいです。私は中村政人さん主宰の、ARTS PROJECT SCHOOLの三期生です。このスクールでの最終発表を鶯谷をテーマに行いました。というのも、当時一緒に動いていたメンバーが鶯谷に縁があったのです。1人は芸大生で、もう1人は鶯谷にシェアアトリエを持っていました。ですので、拠点を決める時に3人の内、2人の拠点近くの鶯谷がちょうどいいんじゃないかなという話になって…。実際に街を歩いてみると、雰囲気もよく、気に入りました。

特にカリキュラムの中で印象的だったのが、3泊4日の京都での実地学習です。これは1日目の夕方に撮った写真なのですが、大問題なんです。何が問題かわかります?

──なんでしょう。人が写ってない?

そう、正解です。建物しか写っていなくて、引率の先生にめっちゃ怒られました(笑)。「とりあえず、街の人に声をかけなよ!」と言われ、翌日から、頑張ってめちゃくちゃ声かけまくりました。声をかけてみると、意外とみなさん答えてくれるんですよね。自分が予想だにしないことを街の人は考えていることを知り、今までになかった新たな視点を得られました。おかげで、人に声をかけるハードルが低くなりました。その時の経験が今のプロジェクトに生きていると感じます。

PC画面見せてる村口さんの写真

鶯谷という街と人が
許容してくれた

そこから実際に街の人たちへ関わりを持ってみると、面白い試みをしている方は多いけれども、横のつながりが薄いことに気づきました。みなさん、「あの人知ってるけど、会ったことないよね」という状態で。そういう人たちをひとまず全員集めて、「私たち、鶯谷でこれからアートプロジェクトをやりたいと思っています」と皆様にご挨拶をさせていただきました。そうしたら、5、60人近くの方が集まってくれました。

──5、60人。すごい数ですね。まさしく「ソーシャルダイブ」ですね。

プロジェクトがスムーズに始まったのも、鶯谷の街の人が私たちを許容してくれたことが大きいです。みなさん下町気質なので、結構厳しいことを突っ込まれました。「結局何がしたいの?」「どういう風にしていきたいの?」と。でも、その割には「こういう人いるから紹介するよ」と別の方に繋げてくれたんです。これは、たぶん好意的な印象をもってくださっているだろうな、と思いました。

さらに、プロジェクトを始めた当初から、鶯谷という街をテーマにしているのに、駅前のホテル街を絡めないのは嘘になると思っていました。そこで、別の方が企画していたイベントで、ホテル界隈の人とも仲良くなる機会を得ました。とあるホテルのオーナーの方が、「やりたいことがあるならやりなよ」と応援してくれたんです。実際に、私たちが動き始めてみると「この人だったら協力してくれるから、今度連れてくるよ!」と各方面に話を通しまくってくれて…。

そこから「これは何か面白いことが、始まりそうだね」という雰囲気のもとプロジェクトが始まっていったのですが、コロナでビエンナーレが1年延期となってしまいました。当初は、海外からのお客様も意識して動いていたのですが、それも難しくなってしまい…。なんとか可能なプランを考えた末に、「鶯谷所印」という形になったんです。

村口さんお話し中写真01

クリエイターたちが繋がれる場所を
作りたいという想い。

──やはり、コロナの影響でプランを変更せざるを得なかったのですね。

当初構想していたプランの実現が難しくなり、すでに知り合っていたLANDABOUTさんに相談しました。LANDABOUTさんの「街と旅人の交差点になる」というビジョンが、私のプロジェクトと通ずるところが多く、快く協力していただけました。鶯谷は近くの谷根千の商店街と比べると、観光の仕方が分からないというお客さんも多いようで、街を巡ることのできるこのプロジェクトはとても良いとLANDABOUTさんから評価をいただいています。また、他のスポットで所印の設置交渉をする時に、LANDABOUTさんからご紹介していただくこともありました。

──ひとつひとつの所印のデザインが凝っていて可愛いなと思いました。

ありがとうございます。1スポットにつき、1イラストレーターの方につくってもらっています。大事にしているのは、そのスポットにいる方たちの声や雰囲気をイラストに落とし込むことです。イラストレーターさんたちには、取材からインスピレーションを得ていただき、制作をお願いしました。取材日に一緒に来てもらったり、取材した内容を音声で共有させて頂いたりして、その場所の空気感をイラストレーターの方に伝わるようにしました。

また、色んなクリエイターと面白いコラボをしたいというのが一番の根本にあります。私の本業はアートディレクターで、お仕事で色んなクリエイターと会うのですが、仕事だと内容によって頼めるクリエイターに限界があります。もっと多くのクリエイターとコラボができる場所があったらといいな、と思って始めたところが大きいです。このテーマについてはこれからも取り組み続けていきたいと思ってます。

所印 写真

自分なりの鶯谷の街の
楽しみ方を見つけて欲しい。

──鶯谷ベル・エポックというタイトルも、とても印象的ですよね。

鶯谷って、映画の「ムーラン・ルージュ」に出てくるベル・エポックの時代にすごく似ているなと思うのです。この地域は明治時代、すごく風流で、文人墨客がこぞって集って創作活動に勤しんでいたそうです。それってフランスのベル・エポックの時代に似ているなと思ったんです。そこで「鶯谷ベル・エポック」と名付けました。

鶯谷に何年も通っていて思うのは、この街って一言で表現しきれない街だなということです。例えば、渋谷はスタートアップやIT企業の街、田園調布は高級住宅街などとわかりやすく語ることができると思うのですが、鶯谷は一つの強いイメージをつけづらい。そこに来る人の視点によって切り口がとても多い街だなと思うのです。それは「色街」かもしれないし、「文化の街」かもしれないし、はたまた「日常の街」なのかもしれない。「こういう街ですよ、こう楽しんでください」という一方的なスタンスではなく、この街に訪れる人なりの楽しみ方を見つけて欲しいと思い、プロジェクトを運営しています。

村口さん お話中写真02

──私たちもまだまだ鶯谷で巡り切れていない場所がたくさんあるので、巡っていこうと思います! 村口さんは、これからどんな活動をしていきたいとお考えですか。

ありがたいことにメディアで取り上げられるなど、注目を集める機会をいただいたため、私は「まちおこしの人」として認知されつつあります。ですが、誤解を恐れずに言えば、そこに力点をおいて活動しているわけではありません。クリエイターとクリエイターを繋げ、新たな創作活動の場を求めてプロジェクトを立ち上げた結果、懐の深い街、鶯谷に出会うことができた。

本業のデザインの現場で日々感じていることなのですが、才能を活かしきれていない魅力的なクリエイターたちが、この国にはたくさんいます。その人たちの力をちゃんと経済が回る形で活かしていくにはどうしたらいいのか。いつも考えています。そのためには一旦私自身が海外に出て、クリエイティブの仕事をしてみることも必要なのかなと。日本と海外のクリエイティブの考え方の違いや、面白いことを評価してくれる社会の土壌を肌で感じたいと思っています。そして、日本に戻ってきて、なんらかの形にしたい。発表の場所であれ、会社であれ、グループであれ、新しい場をつくっていきたいですね。

鶯谷風景 写真_2

画像提供::村口麻衣さん


街の人を巻き込みながらプロジェクトを立ち上げ、一本筋を通して運営していくことの難しさ。
「街の人が許容してくれた」と謙遜しながらも、芯を持って乗り越えていく村口さんの姿がとても印象的でした。
これからも、村口さんが立ち上げるプロジェクトに注目していきたいです。お話、ありがとうございました。


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