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「アーティストの定義とは?」伊藤ガビン、渡辺篤インタビュー

「アーティストの定義とは?」
私が一人の写真家を世の中に知ってもらう仕事を始めてから、考え始めたことの一つだ。伊藤ガビンさんと渡辺篤さんはその論点において対極にいるように感じた。

「アーティストと呼ばれることに対してどう思うか?」、そのような質問だったと思う。それに対し、伊藤さんは「周りからアーティストと求められているからそのように存在している」と答えた。あくまでも、自分は一人の人間として存在していて、どう定義されるかは周り次第。そのような柔軟性を感じた。
 
対して渡辺さん。他にも生きる術はあるだろうに…。アーティストとして生きるか、それとも死を選ぶか。どちらかの選択しかないと思いつめた生き方であった。それは、講義の前に読んだ美術手帖の記事にあった
“僕は部屋の外で生きていく上で、漠然と生きることはできない。部屋の外に出るということは、アーティストとして生きるということだから、引きこもっていた7か月半を生産的な時間としないと、それを背負って生きていけない。界隈のアーティストは7か月半分だけ良い作品をつくって、イキイキと生きているわけで......。”
というお話にもよく現れている。実際に、講義でお話を聞いている中においてもその「切迫感」を強く感じた。

世間一般が分かりやすくイメージする「アーティストとは?」に近い人物は後者の渡辺さんであろう。だけども、私たちは「アーティスト」としてお二人を認識している。つまり、アーティストとして存在することを求められている、もしくはそうあることを自分自身が求めている、という状態であれば、誰であれ「アーティスト」なのかもしれない。答えに近づいたような、遠退いたような…そんな講義であった。

私は、お二人にもう一度質問する機会があるのならば「貴方が考えるアーティストの定義とは?」と問いたいと思う。また、受講生の皆にも聞いてみたいと思った。

大島 有貴(文)
櫻井 充(メイン写真提供)

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#伊藤ガビン #渡辺篤 #アーティスト #アートライティングスクール