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アートアーバニズムの始まりに寄せて


–そもそもアーバニズムとは何か?

中島直人 東京大学大学院工学系研究科准教授

「アートアーバニズム」は造語である。カタカナ表記はおろか、"art urbanism"という英語の綴りでgoogleで検索してみても、用例はほとんど出てこない、「アート」と「アーバニズム」を組み合わせた言葉である。
「アート」はそのまま芸術を指している。計算的、合理的領域に対して、創造的、感性的領域一般を指す広義の芸術である。アーティストや芸術家、あるいは芸術肌と呼ばれるような人たちの立ち振る舞いがイメージされるという意味では、数年前からバズワードとなっているアートシンキングのアートに近いものがある。
さて、しかし問題はもう一方の「アーバニズム」である。時々耳にすることはあり、その語感がもたらす意味については一定の共通理解があるように思えるが、「アーバニズムとは何か」と正面から問われると、返答に窮するのではないだろうか。

アメリカを中心とした英語圏諸国では、2000年頃よりアーバニズムという言葉が都市計画や都市デザインの分野で様々な機会に用いられるようになった。発端は、1990年代にアメリカで始まったニューアーバニズム運動である。ニューアーバニズム運動は脱自動車依存社会を目指し、自家用車の爆発的普及以前、あるいは自家用車普及初期のころの、人びとが徒歩や公共交通で暮らしを営む、中心にコミュニティの核となるヒューマンスケールを重視したパブリックスペースと、個々の個性よりも全体の調和を意識した建物が街並みをつくる生き生きとした通りからなる近隣地区を一つのイメージの核としながら、現代の郊外住宅地の刷新、さらには衰退した中心市街地の再生、そして気候変動に伴う地球環境問題に寄与する都市構造への転換等の実践となった。ニューアーバニズム運動は現代の都市計画、都市デザインのメインストリームをかたちづくった。
ここで、アーバニズムはかつての近隣、都市の物的環境に留まらない、生活も含めて全体のありかたのことを指していて、その全体を現代の文脈にフィットさせて更新するという意図で、ニューアーバニズムと名乗ったことに注目したい。近代主義の都市計画や都市デザインに対する包括的な批判のために用いられたのがアーバニズムという言葉であった。

以降、都市計画や都市デザイン、あるいは都市のありかたそのものに対する新たなアプローチは、アーバニズムに様々な名詞や形容詞を付加した言葉(〇〇アーバニズム)で表現されるようになった。増加、拡散したアーバニズムの中には、単にヘッドラインとして使用されたものも多かったが、それでもランドスケープアーバニズム、エブリデイアーバニズム、タクティカルアーバニズムのように、都市への既存の介入の仕方についての批判的検討と新しい明確な概念、そして実践的な運動体を備えたものも少なくなく、この20年、都市論は実践面でも思想面でも活況を呈することになった。ニューアーバニズム運動自体は極端な自動車依存社会であるアメリカで始まった運動であるが、その後のアーバニズムは、アメリカ国内に留まらず、グローバルに広がっていった。

こうした状況を踏まえて、批判的検討と明確な概念、そして運動体を伴うアーバニズムとして立ち上がるアートアーバニズムにおいて、改めてアーバニズムという言葉の意味がどのように捉えられるのか、なぜ、アーバニズムという言葉を使うのかを説明しないといけないだろう。筆者は昨年11月に『アーバニスト 魅力ある都市の創生者たち』という共編著を出した。この小書の中で、アーバニズムという言葉の二つの起源と現代のアーバニズムの構想的ビジョンについて説明した。

アーバニスト 魅力ある都市の創生者たち(ちくま新書)

詳しくはそちらを参照してほしいのだが、端的に言えば、アーバニズムは、20世紀初頭のシカゴ派都市社会学に端を発する都市での生活様式という事実概念としての側面と、19世紀末から20世紀初頭にかけての欧州でのユルバニスムに端を発する望ましい都市居住を実現するための技術・思考の体系(その一つが都市計画である)という規範概念としての側面を併せ持ち、その二つの側面の間を自由に移ろっている。
つまり、暮らし手とつくり手の双方から都市を語れるのがアーバニズムである。アーバニズムとは、計画と生活を自由に移ろいながら両者を包含する、都市生活そのものと都市づくりの方法の実践的探究である。

従って、アートアーバニズムとは、アートがその暮らし手にもつくり手にも浸透する状況のことである。「アートのあるまちづくり」や「アートによるまちの活性化」とやや位相を異にするのは、アートは都市に置かれる作品(オブジェクト)やコンテンツというだけでなく、アーバニズムそのものに立ち入り、組み合い、抱き合うということであろう。冒頭で述べたように、アーティストや芸術家、あるいは芸術肌と呼ばれるような人たちの立ち振る舞いから考えると、アートアーバニズムの実践とは、その地域や都市での人々の生活様式の中に創造的で共感をベースにした営みが確かに見出されること、そして、都市づくりの方法において、従来からの客観的、科学的、工学的な課題解決アプローチに加えて、より共感的、感性的、工作的な価値創造アプローチが並走すること、となるだろう。都市づくりの根幹、哲学にアートが参画し、まちの日常の場面にアーティストたちがいる、これが、ビジネス街や商業地、住宅地などそれぞれの地域の文脈に応じて展開されることで、具体的なアートアーバニズムが立ち現れることになる。
今回、特にグローバルな都市間競争のプレイヤー、あるいは日本経済の牽引者としての役割を担う大企業が集うビジネス街においてアートアーバニズムが提起されたということは、従来的な都市開発の限界点への問題意識とともに、日本的企業経営に関する都市の側からの問題提起が含まれていると言えるだろう。

ところで、筆者はこのようなアートアーバニズムの発想、構想は、決して新しいものとは考えていない、ということも付け加えておきたい。およそ100年前の1925年10月、関東大震災で大きな被害を受けた東京において、都市美研究会という民間団体が設立された。その設立趣意書には

今や帝都復興を控えて、都市の事業界彌々他事なる秋、タウン・プランナーやシビック・アーティストは勿論、建築家も美術家も、その他いやしくも都市改良家、都市研究家として都市問題に興味と熱意を有せらるる士は漫然書斎や画室に閉じこもっているべきではあるまい

「都市美研究会の設立」『建築雑誌』、477号、1925年

と書かれていた。

実際に集ったのも都市計画や建築の専門家のみならず、ジャーナリスト、美術家、文筆家、哲学者、法学者、統計家などである。翌、1926年10月には実践団体としての体制を整えて、都市美協会に改称した。その都市美協会の機関誌創刊号には、都市美運動は

近代の都市美運動は実にかのタウンプランニングと相俟って市民に対しその揺籃地を約束する切実重要なるシヴィックアートでなければならぬ。

阪谷芳郎「都市美創刊に際して」『都市美』、1号、1931年

とある。
都市美運動の実績や顛末については、拙著『都市美運動 シヴィックアートの都市計画史』に譲りたいが、シヴィックアート=都市芸術が1919年の都市計画法の制定によって導入されたばかりのタウンプランニング(都市計画)と並置され、その担い手として都市に対する美的感性を持ち合わせた多様なバックグランドの人びとが想定されていた。

都市美運動 シヴィックアートの都市計画史(東京大学出版会)

彼らの発想、構想にアートアーバニズムの素形が自然なかたちで見出されるのは、都市計画自体も始まったばかりであった当時において、そもそも都市づくりを誰がどのような発想で行うのか、について、定まった見解がなかったことを意味している。都市づくりの常識(ひいては都市生活、つまりビジネス街で言えば、働き方や企業のふるまい方)が強固に確立されてしまっている現代において、アートアーバニズムが提起される意義は、関東大震災後の復興の局面と同じくらいに、いやそれよりも大きなものがあるようにも思う。何れにせよ、都市生活や都市づくりは、本来、もっと自由で、多様であっていいのである。

都市美研究会の最初の会合が開催されたのは、麹町区有楽町一丁目一番地、有楽町駅の駅前にあった有楽ビルの一室であった。100年後の今回のアートアーバニズムも、同じ地点から始まろうとしている。
個人的には、アートアーバニズムは、新しい都市の幸せを生み出す現代の都市美運動(new civic art movement)であると考えている。


中島直人 
東京大学大学院工学系研究科准教授
博士(工学)。東京大学大学院助手、助教、慶應義塾大学専任講師、准教授を経て、2015年4月より現職。専門は都市デザイン、都市論、都市計画史。
「アート×エリアマネジメント検討会」有識者メンバー。

参考文献
・中島直人『都市美運動 シヴィックアートの都市計画史』、東京大学出版会、2009年
・中島直人『都市計画の思想と場所 日本近現代都市計画史ノート』、東京大学出版会、2018年
・中島直人+一般社団法人アーバニスト『アーバニスト 魅力ある都市の創生者たち』、ちくま新書、2021年

thumbnail © Taisuke Koyama

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