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アートと社会が交差するところ〜MUCA展に行って思ったこと

先日、森アーツセンターギャラリーで開催されているMUCA展に行ってきました。

結構久しぶりに展示を見に行く機会となって、改めて、アートって楽しいな〜良いな、そして、自分がアート・芸術のどこに惹かれてるのかを再実感する感覚がありました。

そこで、今回は、その経験から思ったことをただ綴ってみたいと思います。

MUCA展ってなんだ?

MUCAとは、Museum of Urban and Contemporary Artの略で、2016年にクリスチャンとステファニー・ウッツによって設立されたドイツ初のアーバン・アートと現代アートに特化した美術館のこと。ヨーロッパでは、この分野においては作品収集の第一人者的存在の機関であるそう。今回は彼らの貯蔵コレクションの中から、いくつかの話題作品が日本にやってきたということでした。

ちなみに、現代アート(コンテンポラリーアート)は、20世紀以降特に1960年代以降に盛んになってきた、今までの芸術に囚われない新たな発想・視野・媒体から表現された作品群を指し、文化的・社会的・技術的背景も大きく反映しながら常に変化し続けています。そして、アーバンアートとは、当展示の公式ホームページにこのように説明されていました。

アーバンアートとは、現代の都市空間で発達した視覚芸術を指し、一般的には、壁や建物、道路や橋などの公共の場所にアートを描くことを言う。アーバン・アートには、様々な種類があり、グラフィティ・アート、ストリート・アート、ポスター・アート、ステンシル・アート、モザイク・アートなどが挙げられる。これらのアートは、都市の景観を変え、そこで生活する人々の心へ訴えかける。また、アーバン・アートは時に政治的、社会的なメッセージを伝える。

MUCA展公式ホームページ https://www.mucaexhibition.jp

美術館でよく展示されるような単体の芸術作品だけではなく、街中の壁や電柱、環境の中に置かれているからこそ成立するアートも多数あることから、その作品がある環境の雰囲気をそのまま再現したような展示方法になっているのも、臨場感があってとてもよかったです。

MUCA展にて

心に刺さったポイント

展示の公式ホームページでも説明されているように、アイコニックな作品の他にも、コレクションには、芸術という媒体を通じて、反戦やレイシズムへの問題提議、政治や社会のあり方への疑問をモチーフにしたものが多くありました。

MUCA展にて
MUCA展にて

それは、パトロンやスポンサーありきで絵を描いていた従来の古典芸術の様子とは大分趣が異なります。

作品の多くが、盲目的に世間に流されるまま生きる私たちを皮肉ったような捻りを効かせていたり、憤りや怒り、悲しみなど様々な感情を含んでおり、それを受け取る(作品を見る)側は、何かしらの感情を刺激されないわけにはいきません。

そもそも、ストリートという誰もが手に届く位置に置かれることを前提に創作された芸術作品(むしろヴァンダリズム・違法行為)を、六本木の高級ブランドが並ぶショッピングエリアに位置するとてもおしゃれな、しかも東京を一望する非現実的な空間の美術館で展示されている、という現実が、とても矛盾しています。展示のエントランスに入るまでの世界と、展示が見せたい世界にズレがある。そこに体感のバグが生まれている感覚がどうしても出てきます。

展示を進むにつれ少しずつ大きくなるそのバグ。それをじんわり抱えながら、バンクシーエリアへと進んでいきます。

MUCA展にて

バンクシーの有名作たちを一通り見た後、MUCA展の最後に展示されていたのはバンクシーの超話題作《風船と少女》と、《風船が無い少女》。

オークションで入札が決定したまさにその瞬間に、額に仕掛けられたシュレッダーに切られてしまった《風船と少女》の絵は、当時ニュースを聞いた多くの人に驚きを与えたそうです。しかし、その後、その行為・歴史自体が作品として尚更評価され、さらに価値が上がり、今では、半分シュレッダーにかけられた状態のものが、《風船が無い少女》となり作品として残されています。

MUCA展にて
MUCA展にて

バンクシーがシュレッダーにかけたその意図は、はっきりとは公表されていないものの、オークションで作品を高値で取引する芸術業界、もしくは、資本主義の社会的強者が蹂躙する世の中を嘲るようなメッセージがあったのではないか、と言われていたり、むしろ、それをネタに、社会を巻き込んで実験した(社会彫刻)作品を表現したのでは、という意見も。真相は分からずじまいも、だからこそ、考える余地・余韻を含んだまま、展示を後にすることになります。

この現物作品が最後に展示されているMUCA展。そして、展示を出た先に広がっている東京の都市を一面に見渡せる洗練されたおしゃれな空間。これには、ボディブローのようなパンチを喰らった感覚になった自分がいました。それは、それまで見てきた人間臭い、社会に対する強いメッセージを様々込めたアーティストたちの作品をただの思い出に消し去ってくれてしまうぐらい、非現実的に乖離した素敵な空間で、「さて、この後のディナーはどこに食べに行こうか」とか考え始めている自分に気づいた瞬間に起きました。

創作物が伝えたいメッセージの「他人事感」に気づいた瞬間に引き起こされるなんとも言えない、罪悪感のような気持ち。

「紙切れをありがたく拝んでるよりも、本当は世の中いろんなことに目を向ける必要あるんじゃないの?」とバンクシーが言ってる気がした、そんな感覚になった自分。

多分、六本木でなくても、美術館があるようなエリアは大体人工的に整備されていて非現実的で地価価値が高くて綺麗な場所が多いでしょう。

もし、そういう場所の展示に来る人たちのことも想定しながらこのような作品を作っているのであれば、バンクシーは本当に何者なの?何もかも、推測でしかないものの、こんな情動体験をさせられるアートは、やっぱり面白い!そんなことを思ったのでした。

アートで社会へ問題定義する

歴史的に、アート・創作活動は、社会に大きな影響力を与えています。アメリカでは、1960年代のフェミニズム、70年代の世界平和(ベトナム反戦)、それ以降も、性的マイノリティLGBTQコミュニティ、ブラックライブズマターBLMなど。これらの活動において使われた芸術(絵画だけでなく、音楽や演劇も含め多岐にわたるクリエイティブアーツ)の多くは、現在でも彼らの活動を象徴し、なおかつ共同使命感や彼らの活動への支持を示すアイコンとして彼らをまとめるための機能をしています。分かりやすいものでは、平和活動から生まれたヒッピーカルチャーや、LGBTQコミュニティといえば誰もが思い浮かぶレインボーフラッグなどが例に挙げられるでしょう。

日本でも、前衛芸術、または昭和アバンギャルド、と呼ばれる活動が日本の高度経済成長の時期に盛んになりました。そこでは、当時の若者たちの、敗戦後の何もない日本を経験し新しいものを吸収したい意欲と、戦後大きく転換した日本の欧米化への抵抗も背景に強くあったようです。一見はちゃめちゃに見えるような表現媒体の中に、その動機となった情動や歴史背景を知ると、気持ちをズーンと震わされる感覚になる作品は実に多くあります。

おわりに

社会の歪み、その中で生きる苦しみや怒りを原動力に創作活動をしていくことは、フロイトのいう昇華という心の防衛機能の一つともいえて、人の強みでもあります。そして、誰かの強い思いが反映した創作物を他者が見て、共感して、新たなムーブメントが起きていく、というのは、共同体を生きる人間だからこそ経験する一体感と安心感を作り出してくれます。そしてその一連の動力に生まれる癒しの効果は、アートセラピーの側面の一つとしても知られています。

MUCA展の展示作品には、一瞬ドキっとさせられる感覚や、いわゆる「AHA!(アハ)」体験を見る者に引き起こさせるメッセージ性を持ったものが多かったように思います。そこにやっぱり、不意をついてくるような、頭を刺激されるような感覚になるというか…、芸術の魅力をひしひしと感じるんだな…!

今回は、MUCA展に行ってみて感じたことから、色々思った自分の気持ちをまとめるつもりで、ただ書いてみました。展示を見に行った皆さんは、どんなことを感じたでしょうか?

参照:


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