第三者の安寧

被害者・加害者・第三者
3つの立場について、触れたいことがそれぞれあるのだけれど

今回は第三者についての話。


真の第三者ってあるのか。
第三者ってどんな人だろう。
真の第三者はどこにあるんだろう。


例えばイジメの話。
イジメが起きているクラスがあるとする。
でも、別にイジメてもハブってもない人がクラスに半数いる場合。

先ず、イジメてる人とイジメられてる人は、勿論当事者。第三者ではない。
他のクラスメートは、第三者か。確かにイジメは何もしていないけれど、直接見て知ってても、状況を変える力があっても第三者なのか?
「傍観もイジメです」ってのは、クラスメートを第三者じゃなくする言葉だよね。

イジメの場面を目撃した近隣住民は。噂に聞いた人は。校長先生の責任はどうだろ、校長先生は第三者か?
隣のクラスの何も知らない人ってどうだろう。それがイジメの主犯格の親友だったら?
イジメをニュースで知った人は、どうだろう。


そもそも社会に「イジメがあるよ」という問題が持ち上がっていて、未だきちんとした指針や解決策を示す術を持っていない、イジメられっ子を確実に救う手だてを未だに誰も考えていない、我々(多分ほぼ皆人生のどこかでイジメに関わったことがあるだろう)が、【無関係の第三者】に、なりえるのか?


第三者って逆に誰だ。どうやって決めるんだ。


ゆみちゃんの言う通り、立場は自分で選び取れる。
クラスメートたちはどうとでもいえる。
「傍観はイジメ。状況を変える力があるのに何もしない我々は加害者だ」
「何故直接何もしていないのに問題に関わっていると言えるのか。第三者だろう」
「むしろクラスの治安が悪くて迷惑を被っているんだ。とばっちりの被害者だ」
あとはどうやって自分の選択を正当化するかだ。

第三者になると、つまり「私には関係がない」だったり
「私には状況を変える力がない」だったりするわけで、
『何もしない』が堂々と許される状態になるのだと思う。
だからすごく魅力的なんだろうなって思う。あらゆる問題は面倒くさいもの。

だから、「他人が第三者であること」を広く広く赦していくことで、自分も第三者の立場を獲得しやすくなる。
イジメを知っているけれど行動を起こすのが怖いクラスメートの皆が、クラスの外の人々が、それを暗黙の了解で行ってる。

「イジメても、イジメられてもいないから、私は第三者。だから何も出来なくても仕方ない。私に責任はない。そう思いたいから、君のことも咎めない。」
そういう仲間たちになる。そういう社会だ。


でも真の第三者って実は物凄く到達しにくいポジションの筈だ。
痴漢ひとつとったって
されたことなくても、女性はされた側に共感し
したことがなくても、男性は当事者の冤罪を慮ったりする。
自分の立場を考えたり、当事者の誰かと共鳴してしまう時点で、真の第三者の持ちうる筈の客観性というものは我々の手にはない。

共感の介在・事象の身近さ・過去の経験・社会の一員としての自己
色んなものを通して、責任を感じることが出来る。
『何もしない』をしない、理由を感じることが出来るのだ。
それが出来た時点で厳密には第三者じゃないし、つまり客観的でもないのだと思う。
それでも第三者ぶりたいのだ。どうやって目を逸らそうか考えている。


例えば、当事者や問題の中心から離れすぎれば
「当事者でもないのにお前に何が分かるんだ 憶測で喋るな」って問題がある。


それでも
日本にいるって時点で、イジメだって痴漢だって、我々の問題だ。
社会に属している時点で、地球に生きている時点で、全て、気にしなきゃいけない問題だ。
「本件の当事者ではないから厳密には分からない」っていう誠実さだって大切だけれど、関わらないことは不可能だ。

だってイジメの無視はイジメっ子を野放しにすることだし、痴漢を無視するコミュニティは痴漢にとって絶好の狩場だ。【無関係の第三者】ぶることで、実は加害者の味方をしてしまう。


だから真の第三者なんてあり得ない。
(若しくは、「第三者になることで社会的責任から逃れることは不可能である。」)

多分、
問題の核心に近ければ近いほど当事者(加害者/被害者)であって
遠くなるごとに第三者レベルが上がっていくんじゃないかな。
100%第三者ってほぼあり得ないもの。


で、どのくらい第三者レベルが上がったら
『何もしない』自分を正当化できるかって話じゃないかな。

今の私はその問題に対してどの位置関係にいるんだろう
クラスメートなのか、ニュースでイジメの報道を見た他県の社会人なのか。
どちらにせよ責任も問題意識も感じてる。



Black Lives Matter

当事者と、部外者の間で揺れている。
あの肌の色の人々の苦しみも嘆きも怒りも分かるわけじゃない。
「共感する」なんて安易に言い募る傲慢を自分に許せない。
だけど絶対に他人ごとじゃない。差別も不当も目にしている。
なにができるかわからなくて、何が正解か分からなくて
若しくは間違いを恐れるあまり、分からないふりをして、

『何もしない』自分を、必死で許したがっている。


Black Lives Matter


香港の時もそうだった
人権や尊厳の冒涜を、外の国から胸を痛めて眺めている。

私は
今度は何に言い訳して、【無関係の第三者】ぶるのだろう。
【無関係の第三者】ぶるフリをして、その実何に加担するんだろう。
そうしない為に、私は私の立場で、一体何が出来るんだろう。
(何も出来ない無力さこそ、私の問題の本質の一部かもしれないけれど)



by さつき

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