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aiko「時のシルエット」評

時のシルエット
2012年6月20日発売。10作目のオリジナルアルバム。全13曲収録。アルバムリード曲は「くちびる」。

総評
歌唱、曲、詞、アレンジ、曲順、演奏、あらゆる点で高次元にバランスが取れた「完璧な1枚」。アルバム全体を支配する調和が最大の魅力であり、1曲目から最後の曲までをまるで大きな一曲のようにさらっと聴かせてしまう。前作「BABY」の爽快な勢いや次作「泡のような愛だった」のような恐ろしい没入感はここでは影を潜め、徹底的に無駄を排した静謐な世界が歌われる。調和の取れた美しさの点で7作目のアルバム「彼女」を継承しつつ、今作では更なる高みに達している。あるがままの人生、目の前の日常、そして「あなたとあたし」を見つめるのはどこか醒めた、しかし覚悟の漂う眼差し。
枠からはみ出した刺激や面白さを求める向きには、もしかすれば物足りなく感じられるかも知れない。しかし、過酷な現実にどこまでも静かに寄り添うこの「時のシルエット」に出会えた人は間違いなく幸福であると言える。

・サウンド
線の細いヴォーカルとの相性で考え抜かれた、全てのパートが明瞭に聴こえるほど緻密に整理された生音バンドサウンド。デビュー以来、打ち込みを増やしたりエレキギターを左右に振ったり時代に合わせて様々な音作りを試みてきた「aikoサウンド」が、本作で一旦完成を見たようだ。全体に清涼感に満ちた慎ましい響きが特徴で、収録曲にブラス(金管セクション)が一切使われていないaiko唯一のアルバム。

・ヴォーカル
楽曲の内容が前作までに比べて大きくシリアスに傾いているためか、声自体も歌唱と朗読の境目のような、歌詞の言葉に真実味を乗せる「語りの」発声にシフトしている。年齢とともに成熟したaikoの声は重心をしっかり落とし、曲の表情を隅々まで伝えている。今作では地声、裏声ともに高音域は控えめ。主に低音域から中音域で充実した歌唱を聴かせている。

曲評
1 Aka
ト長調、6/8拍子。丸6分を要する、本アルバムの最長曲である。
いきなり最大級の愛を惜しげもなく歌う。「あなたとあたし=世界」であり、それ以外を執拗に排除しようとしてるとも取れる。つまり、言い換えればこの世界を脅かす存在への恐怖の裏返しであろう。
メロディ、コードともに素直でシンプルに作られているが、Bメロで2小節毎にソに帰結しながらも毎度異なるコード進行を与え、「メロディの韻踏み」とも呼べる手法でサビに向かってエネルギーを蓄積させている効果は見事。そもそも音楽的必然に基づかない余計な小手先の技術はaikoの音楽、特に本アルバムには皆無である。
長い後奏は、後述の「自転車」と対になる重要な部分。曲の冒頭のピアノの音形がゆっくりと静かに帰ってくる。窓の外にはるか昔から流れていて、これからも永遠に流れ続ける音楽。私たちは窓を開けてその音に触れ、そしてそっと閉じる。そんな体験をもたらす美しい一曲。この、完結しない後奏の意味はこのアルバムの最後に分かる。

2 くちびる
変ホ長調、4/4拍子。緩やかなスイングを含んだ16ビートが心地よい。この生のドラムでなければ絶対に出せない非常に繊細なグルーヴが曲の魅力の相当な部分を担っており、ドラマー佐野氏の実力を物語っている。
サビの最後のフレーズを取り出して冒頭で歌う手法は、実はaiko曲の中ではありそうで珍しい。この曲の世界においては、1番を聴く前からまず最初に示しておきたかった既成事実、大前提として「あなたのいない世界にはあたしもいない」のであろう。いわゆる前口上、おことわりの類。
明らかにhip-hop系のダンスミュージックのリズムを踏襲しているが、それでいて軽い声質のaikoのヴォーカルとの親和性をここまで実現している秘訣はやはり風通し良く整理された爽やかなバンドサウンドである。果てしなく重い愛を歌う詞と軽やかなサウンドの対比は「ボーイフレンド」以来aikoのお家芸。このタイプの新しい作品を楽しみに待ちたいと思う。

3 白い道
変ホ長調(ハ短調)4/4拍子。アップテンポの16ビート。ジャンルとしてはピアノロックが近いか。
ここまで、「Aka」「くちびる」「白い道」と徐々にテンポを上げて一気呵成に聴かせ、次の「ずっと」で突き落とす。完璧な構成である。
裏拍でコードを変えていくいびつな和声リズムが、詞に歌われる不安な心を煽る。長調と短調をせわしなく行き来する進行は、冬の寒さと熱に浮かされた焦燥感のメタファー(暗喩)であろう。この辺りは計算というよりは並外れた作曲センスの賜物だと思われる。
より踏み込んで見てみると、Aメロとサビに関しては実は短調部分の割合の方が多く、むしろ強引に長調でメロディを終わらせることでギリギリ形を保っているようにすら取れる。そしてBメロは全編短調である。つまり、「milk」のような短調としての安定感も欠いている形骸化された調性の妙。ぜひ味わって欲しい。

4 ずっと
変ロ長調、4/4拍子。シングル曲。
冒頭、1小節目に唐突に打ち鳴らされるピアノの、なんのリズムもない丸裸のコードは、低音を強調した重苦しい響きにより、無慈悲で残酷な運命の鐘を思わせる。ブレスのあと、ため息のように歌いだされるヴォーカルと合わさったとき「ずっとそばにいるから」という割と普通の言葉が物凄い深刻さを帯びる。
1番ではサンプリングドラムによる、無機質なビートが印象的。この血の通わないリズムの意味するところは、やはり詞に歌われる通り絶望感であろう。2番以降も、Aメロとサビの熱量の落差が妙にリアルで、爆発的な感情の起伏こそこの曲の世界だと言える。
歌唱面では、語りの要素よりあくまでメロディを聴かせる歌にウエイトを置くことで、重い言葉の連続が食傷状態を起こすことをスマートに避けている。本アルバムに一貫して流れるコンセプト「やりすぎない」を体現した一曲。

5 向かい合わせ
ハ長調→変ホ長調、4/4拍子。シングル曲。ミディアムテンポの16ビート。
とても素直なメロディとコードだが、サビまでの流れでいつの間にかハ長調から変ホ長調に連れて行かれる。音楽用語で言うと、ハ長調の同主短調(ハ短調)の平行調(変ホ長調)という仕組み。サビの後は何事もなかったかのようにハ長調に戻る。半音進行を軸にしたほどよいお洒落感がむしろ懐かしさを添えており、平成ポップスの王道を行くコード進行。数々の手練手管を尽くしてきたaikoがリラックスして素朴な音楽を楽しむ様が感慨深い。この時点で12年のキャリアから来る余裕を見せている。圧倒的実力で「上質なポップス」を完成させたことを実感させてくれる大切な作品。
間奏直後のサビでさりげなく使われているサンプリングドラムも実は聴きどころ。生のドラムが重なってくる瞬間の高揚感に耳を傾けたい。

6 冷たい嘘
ハ短調、4/4拍子。ややスイング感のある16ビートロック。
「向かい合わせ」から全く同じテンポで全く違う内容が歌われる。同一人物の表と裏が突きつけられるかのような恐ろしい演出である。
ハモリパートがほぼ全面的に張り巡らされている点は注目しても良いだろう。当然声を重ねても響きが散漫にならないような配慮はしつつ、詞に歌われる錯綜した感情にリンクした表現を作っている。聴き手の頭の中でこだまする声のように執拗に張り付くハモリがこの曲の絶妙なスパイスになっていることは間違いない。
ピアノに次いでエレキギターに比重を置いたサウンドはしっかりとaikoのロックシンガー的側面を支えている。前曲「向かい合わせ」の縦刻みのビートとはっきり違うスイング感が印象的で、清冽なポップスと毒々しいロックの違いを明確に演奏で描き分けているのがよくわかる。言葉の抑揚からはみ出した上下の激しいヴォーカルライン、きついシンコペーションのリズムが目まぐるしく交錯する。

7 運命
ハ長調、4/4拍子。アップテンポな8ビートのパンクロック。
一見若々しいハードなロックだが、詞の内容の示す投げやりさ、躁状態をメタ視点で捉えるかのような冷静さが見え隠れする、「型としてのロック」。崩壊ギリギリの強引なコード進行を使いながら、品位を保った音楽としてまとめている点も作曲家aikoのしたたかさであろう。いかにもライブ映えしそうなこのタイプの曲ですら一筋縄ではいかない影を孕んでるのが、aikoの音楽の魅力であると言える。
Aメロの強烈な半音進行に耳が奪われがちだが、その後に続く部分は実は前述「向かい合わせ」のAメロと全く同じコード進行であることは興味深い(キーもハ長調で同じ)。サビで特筆すべきは、aiko曲では滅多に聴くことのない超王道の4536進行である。この剥き出しの単純さがむしろ混沌を引き立てており、聴き手は何度でもこの曲に翻弄される。

8 恋のスーパーボール
イ長調、4/4拍子。裏打ちの8ビート。シングル曲。
軽快なダンスチューン。ダブリングされたヴォーカルがむしろ新しく、確信犯的にしっかり曲の見せ方が方向づけされてるのがわかり面白い。
もともと倍音を多く含まないaikoの細い声質はバンドのソロシンガーそのものであり、この曲ではシンセを強調した打ち込み風のポップな音、そしてそれを想定したヴォーカルとしてのaikoの役作りにストイックな歌手としての姿勢を垣間見るのである。順当なコード進行で明るく歌われるものの、ヴォーカルの音使いはほとんど楽器の旋律のようであり、平気で分散和音的に上下する。その辺りもやはり打ち込み音楽(機械同期音楽)への挑戦の見ることができるように思う。

9 クラスメイト
ヘ長調、4/4拍子。8ビート主体。
テンポの遅い序奏が置かれる構成は比較的珍しく、7作目のアルバム「彼女」より1曲目「シャッター」を彷彿とさせる。詞の内容もリンクしているがここでは深く触れない。
メジャーセブンスを多用したお洒落なポップス。ピアノを中心とした生バンドサウンドとの相性は抜群。ゆっくりと語りかけるようなヴォーカルは順次進行(隣り合った音への進行)で流れるように紡がれていく。機械風のサウンドと跳躍進行を多用した「恋のスーパーボール」とは対照的である。水を得た魚のように良質な歌唱と演奏を聴かせるaikoとバンドメンバー。得意分野で堂々と真正面から勝利する姿は実に頼もしい。aikoチームの面目躍如たる一曲。

10 雨は止む
変ホ短調、4/4拍子。縦刻み16ビート。珍しい調性。
抽象的な歌詞がディストーションギターの響きと相まって幽玄な世界を作っている。変ホ短調という、音階の7音中6音にフラットが付く非常に曇った響きの、しかも短調がこの曲で用いられていることは決して偶然ではないだろう。ひたすら暗い音に終始する。間奏の混沌としたコードは出口の見えないトンネルの様に不安を掻き立てる。そして、Cメロ後の大サビで珍しく半音転調し、ホ短調になった時に曇った響きの要因であった全てのフラットが取り除かれる。つまり文字通り「雨が止む」ことを暗示するのである。このからくりはまさに天才の証であろう。なお、恋愛を扱わないほぼ唯一のaiko曲。

11 ドレミ
ハ長調、6/8拍子。ワルツ調のスローバラード。
フレットノイズを含んだアコースティックギターの音がセピア色のようなノスタルジーを呼び起こす。ドラムを右チャンネルに寄せた不思議な音場。aikoの歌唱は今一度「語り」に重きを置いた表現に立ち返っている。
歌詞には言葉としての「ドレミ」は出てこないものの、メロディの音にさりげなく使われている。例えば歌い出しのフレーズは、
「すき きらい すき きらい」
がそれぞれ、
「ド ド レ ミ」
の音に対応する。
そしてハ長調というシャープやフラットの無い一番シンプルなキーは、ピアノで言えば白鍵で奏される。つまりここに白というイメージが、ピアノに精通したaikoの中で結びついていたとしてもおかしくはないだろう。子どもらしい素朴さを引き立てているのは、純心、白い響きであると言える。

12 ホーム
ロ長調→変ロ長調、4/4拍子。8ビート主体。シングル曲。
サティの「ジムノペディ」を思わせる、メジャーセブンスコードの応酬。フランス音楽の様な洒脱なコードに爽やかな8ビート、そしてどんな音楽もJ-popのラブソングの文脈に落とし込んでしまうaikoの恐るべき手腕。なんの矛盾もなく様々な要素が同居する、本アルバム屈指の完璧な作品。
ロ長調で始まり、サビでなんと半音「下がる」。しかし違和感は一切無い。相当特異な例であるにもかかわらず、である。ヴォーカルにブルーノートが織り交ぜられていることで自然と全体に下向きのベクトルが働いているのが要因なのであろうか。
普遍的なシティポップをaikoの語法で昇華した、ある意味名刺的な一曲になっている。

13 自転車
ニ長調、4/4拍子。穏やかなバラード。
「時のシルエット」というアルバムの表紙と背表紙のように対になる、「Aka」と「自転車」。かつて永遠を示していた、「Aka」の完結しない長い後奏は、紆余曲折を経てやっとここで眠りにつく。そして、この曲の最後に鳴らされる主和音のDというコードは、「Aka」の調性であるト長調への指向性をもつ音である。つまり、「自転車」から再び「Aka」を繋ぐ大きなリングが形成されているというのがこのアルバムの最後の落とし所となる。「Aka」が夢見た永遠は、ついにここで思わぬ形で実現されることとなった。この曲で歌われる前向きな別れのワンシーンは、消えることのない心への安心感とともに、安らかに最後のページを閉じるのである。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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