エヴァに乗ることは人助けを意味する 根拠及び関連する考察メモ(仮題)

もっと良いタイトルが思いついたらそちらに変える。

前提

ここで扱う「エヴァンゲリオン」は、「新世紀~」「新劇場版」「漫画版」の3種類の内容を含む。また、庵野は2018年のサッポロビールのCMで「分かりやすい」物語を作ることを良しとしておらず、あえて分かりにくくすることで視聴者に考察させようとしているように受け取れる内容の発言をしている(サッポロビール『生ビール・黒ラベル』大人エレベーター・58階・分かりやすさ 大人EV 58歳「分かりやすさ」篇 を参照)。よって、「エヴァンゲリオン」は視聴者の想像をかきたてるように作られているが、それが物語の内容を断定しうるものにはならないということ。あくまで、仮説であり、ある種真実かもしれないが事実ではないということ。絶対的に正しいということなんてない。某O氏とか、その辺を分かって発言していない。そのことに関してはここでは触れない。

エヴァに搭乗する意味

物語の冒頭、碇ゲンドウをはじめとしたネルフの人物はシンジに対してエヴァに乗れとしつこく発言するが、エヴァに乗ることは何を意味するのか。
これは、現実世界における「人を助ける」ことに直結する。または、エヴァに搭乗することは人助けのメタファーであるとも言える。
エヴァに乗ることは人助けをしているのと同じである。根拠は以下。それ以外の根拠も、文中で適宜紹介する。
・「シン」で、葛城艦長が「14年前にシンジがエヴァに乗っていなければ人類は既に滅んでいた」という内容の発言をする。
・「シン」で、アスカが第三村の人々と交流しないことに関して「ここは私のいるところじゃない。守るところよ」と発言する。
・当のアスカは、どの作品でも基本的に「自分はエヴァに乗ることでしか人と関われない」「自分にはエヴァ以外何もない」という趣旨のスタンスを貫いている。

私が何でこんなことを考えついたのか

なんか今日(2022年12月3日)の朝シャワー浴びてたら突然、中学1年の時に自分を含むクラスの何名かがいじめられていたことを思い出した。
その時、最初はいじめる側だった連中が、行為がエスカレートするにつれいじめの主犯格を孤立させ、「自分たちは悪くない、いじめられている子を助けなきゃ」みたいなアピールをし始めた。そんな感じだった気がする。よく覚えていない。それを思い出した時に、「ガキが、そんなんならエヴァに乗らないでほしかったわ」と脳内式波大尉が声を荒らげた。
この瞬間、人助けとエヴァに乗ることは同一なのでは? という奇妙な疑いが自分の中に芽生えた。なにこの話。でも自分の中では間違いなくそうだった。自分にも理解できない。できないが、自分の中で起こった思考のプロセスを文におこすとこうなった。

エヴァと自己犠牲

エヴァに乗ることはリスクが伴う。エヴァに乗ることで、搭乗パイロットには良くない影響が表れる。特にその影響を受けたのはアスカ。
・水以外口にできなくなる。
・体が成長及び老化しなくなる。(髪は伸びる)
・搭乗している期間が短ければそれほど影響がないらしい。(アスカはシンジに対して「リリンもどき」と発言する。リリンは人間を指す言葉であり、シンジは人間の域を完全には脱していないと受け取れる。)
これは、人助けをするには自己犠牲がつきものである、ということを指しているのではないか。根拠のない憶測である。

「あなた自身の願いのために!」という発言

「破」におけるこの発言の数年後、「Q」で葛城艦長は「碇シンジ君。あなたはもう、何もしないで」とシンジに対して吐き捨てるように言った。この発言の真意は「シン」で間接的に描かれているが、当時これを聞いたファンの中で彼女に反感を抱いた者は少しくらいはいるのではないかと思われる(「Q」で葛城艦長がD.S.S.チョーカーを作動させなかったあたりで真意の察しはつくが)。

あなた自身の願いとは何か。これは、使徒に吸収されたレイを助けるという願いである。これはエヴァに乗らなければ不可能である。これも、「エヴァに乗ることは人助けを意味する」根拠となりうる描写である。
しかし、結果としてエヴァ初号機と第10の使徒が接触、インパクトの発生条件が満たされてしまい、「ニアサー」が起こる。(大前提として、エヴァンゲリオンの世界では空から使徒と呼ばれる神様が降ってくるが、それらはそれより前に地球に降ってきた神様と接触したがっている。接触するとインパクトが起きて世界が滅んでしまう。それを防ぐためにエヴァンゲリオンを作った。ただしエヴァは降ってきた神様のコピーである。その中で頑張りましょう。というお話である)
しかもシンジ君はそのあと14年間眠りこけてしまい、体も成長しなかった。そのため自分が覚えていたことは「綾波を助けた」くらいである。
何人かの努力によって世界は完全には滅ばなかったが、シンジのせいで世界が滅茶苦茶になったのは事実であると思っている人が多い(特に沢城みゆきと伊瀬茉莉也のことである)。
他にもエヴァに乗って自分は人助けをしたい、あるいはしていると思っている奴がいる。それは渚カヲルである。
彼は「破」で碇シンジが起こした「ニアサー」をMark.06を用い中断し、「Q」ではシンジを半ばけしかける形とはいえ第13号機にシンジと共に搭乗し槍を使って世界を元に戻せるという判断のもとにそれを実行しようとした(罠ではあったが)。この場合、助けたい相手はシンジ君である。

では、シンジとカヲルの「人助け」とアスカの「人助け」は何が違うのか。それは、その人助けが自分の願いに基づいたものであるかどうかである。

「破」で、綾波がシンジに対して助けてほしかったかはよく分からない。しかし少なくとも、真に助けられたがっていたのは「シンジが頭の中に思い描いている想像上の架空の綾波レイ」である可能性がある。
例えばシンジがレイに直接「助けてほしい…」と言われたとか救難信号があったとか、何らかの要求に基づいてシンジが行動したならそう説明すれば済むが、あの時点でのレイにそんなことはできなかったし、しようとしているようにも見えなかった。つまり、シンジが実際にレイを助ける必要があったかまでは分からず、シンジは「レイを助けたい」という100%自らの願いに基づいた行動を起こしたと言える。そして悲しいことに、当の助けたはずの綾波レイ本人は「Q」に登場しない。そのため、シンジはこの事実を確かめる方法を持っていないし、視聴者もまたそうである。
更に、葛城ミサトは「あなた自身~」発言の前に「誰かのためじゃない!」と前置きしている。これも、エヴァに乗ることは人を助けることそのものであり、同時にレイを助けることは誰かのためにはならないことを示唆していると捉えられる。流石に言いすぎ感はあるが。

カヲルもシンジ君をけしかけた以上、同様である。「Q」でシンジはカヲルによって14年間の出来事を知らされ、カヲルがその解決策を提示した以上カヲルに頼ろうとするのは当然である。しかもカヲルは「シン」で「シンジ君を助けることは自己満足だった」というような主旨の発言をする。最終的に、カヲルは自らの人助けが自分の願いによるものだと気づいた。

真の「人助け」とは

おそらく、「相手がその支援や援助を実際に必要としていて、なおかつその実現には自らを多少犠牲にしなければならない」ということだと私は思っている。少なくとも「Q」以降のアスカがやったこと全てがこれに該当する。特に、
・「Q」で、シンジ(とカヲルが搭乗する第13号機)を止めようとする。その際、自分にとって最も大切なものであるはずの2号機を破棄してまで作戦を遂行しようとする。
・「シン」で、新2号機αと自身を第9の使徒にする。その際、それがいかに危険な行為かをあらゆる描写から読み取ることができる。(余談だが、その際登場する「エンジェルブラッド」は過去に庵野が製作に携わった「安堂ロイド」に登場する「アスラシステム」に似ている。いったい何人のファンがそれに気づいただろうか。)
の2点は、多大な自己犠牲を伴う行為である。さらに、それは第3村に生き残った人々をはじめとする守るべきものが背景に存在することが動機となっており、これはアスカ自身の願いとは関係がない。アスカが守れる立場にあるために守っているに過ぎず、アスカの願いはまた別のことであると「シン」で描写されているので、良く納得できる。

そして、シンジも真の「人助け」がどういうものかを最終的に完全に理解する。「シン」で「僕よりも、アスカやみんなを助けたい。」と発言し、自らの命と引き換えに他主要登場人物全員に対して「エヴァンゲリオン」の舞台から退場させる「ネオンジェネシス」を行おうとする(舞台から退場させるというと特殊な言い回しに聞こえるが、アニメ映像はまさにその様を表している)。これは、エヴァに乗ることでしか実現できない。そのため、エヴァに搭乗することは人助けそのものであると言える。自らの命を犠牲にしなければならないという点も、これまでアスカがやってきた行為よりよっぽど本質的な自己犠牲を表現している。

真希波マリについて

彼女はなぜエヴァに乗ったのか。これは非常に判断しづらい。
判断するための材料が少ないと言える。分かっていることは以下。
・シンジの母、ユイには最終的に好意を寄せる。
・ゲンドウや冬月の関係者である。おそらく、エヴァンゲリオンが開発されたころ以前から面識はあり、「シン」の描写からしてある程度仲は良い。
・シンジのことを「いいにおいがする」と思っている。

ユイに依頼されたのかまでは分からないが、自分の願いとは関係なくシンジを守るべきものだと思っていて、それが彼女のエヴァに乗る動機である、とは解釈できる。また「シン」では、シンジが最後生存していた場合にシンジを回収するという役目もあったため、それができるのが彼女しかいなかったと考えると、与えられた役目を遂行するという彼女個人の意思とは無関係な必達の目的もある。以上から、真希波マリのエヴァに乗る動機はシンジやカヲルと異なり、少なくとも個人の願望を叶えるためではないことが分かる。ではマリの願いは何だったのか。少なくとも「シン」では、アスカやカヲル、レイ、ゲンドウのような感じで対話していないため分からない。

葛城艦長と加持さんについて

エヴァには乗っていないが、自己犠牲を伴う人助けを決行した人物。特に、葛城艦長はヴンダーからすいかの種子が含まれる「種子保管ユニット」を射出したり、自分以外の乗組員を退避させたのちにたったひとりで槍をシンジのもとに届けた(槍は何だかよく分からないけど、エヴァと槍があると世界が変わるらしいくらいの認識で問題ないと思われる)。この際にヴンダーを使い捨てたので死んでしまうが、他全員の乗組員と「種子」を守ったので人助けをしているといえる。
さらに加持さんは、シンジの起こした「ニアサー」を止めるのに犠牲になっていることが艦長の口から語られるので、これも間違いなく人助けである。逆に言えばカヲルは自分だけの力ではシンジを守れていなかったと言える。その点に関しては「リョウちゃんには助けられた」とカヲルが礼を言っているシーンがあるので、多分2人は何かを協力して行ったのだろう。加持さんが槍を用意したのかなあ。分かりません。今度のブルーレイの特典で明らかになると信じています。

この理屈で行くと、冬月も自己犠牲を伴う人助けをしているかもしれない。
・レイのようなクローン人間ではなく、ゲンドウのように人を捨てた訳でもない完全な人の身でありながら、戦艦3隻を一度に操っている。
・しかもそこは汚染された宇宙空間である。(L結界密度が高いというらしいが、その辺の考察をしたい訳ではないので省略する)
・その過酷な環境を「気合で耐えている」と解釈できる発言をする。
・最終的に液状(L.C.L.)化して死ぬ。
しかし、この行為によって助けられている対象はゲンドウである。ゲンドウのエゴと呼んで差し支えない(劇中でも伊瀬にエゴと言われていた)行動を助けていたが、ゲンドウの願望は間違いなく私情100%のものだったので、広い意味で人助けとはいえない。

また、ユイも自己犠牲したかもしれない。シンジに成り代わって犠牲となったため。まあ、エヴァの研究段階で犠牲になっていると考えると、人助けのために犠牲になった人物第一号で間違いない。

「シンジ、エヴァに乗れ」の真の意味

ここまで「エヴァに乗ることは人助けと同義」と主張してきたが、それは最初のうちはシンジの能動的な意思によるところではなかった。複数名がシンジに対してエヴァへの搭乗を要求したが、その複数名の主張を人助けの理屈に当てはめるとこうなるかもしれない。
・ミサトやリツコは、「このままでは使徒の侵略を受けインパクトが発生し世界が滅んでしまう。私たちを助けるために、乗ってほしい。」
・ゲンドウは、「自らの目的の実現のために必要なシナリオの一部である。私の目的を助けるために、乗ってほしい。」(なお、「序」の時点ではゲンドウの目的は一切明かされない)
・レイは怪我を負って登場する。直接の発言はないが、この状態でエヴァに乗ることは厳しい。代わりにシンジが乗ることが望ましい。
という状況の中、最も有名な科白のひとつである「逃げちゃだめだ」を自分に言い聞かせて、ようやく搭乗を決意する。
このようにして見ると、関係者の複雑な思惑が絡んで状況的に仕方なくシンジはエヴァに乗ったことが一層分かる。シンジはこれを予備知識なしで行ったので、かなり頑張った方である。
少なくともこの時点の「エヴァに乗れ」は、人助けのことを意識して発言されたものではなく、シンジもそもそもそれをあまり意識していない。
なお、「シンジ、エヴァに乗れ」なんていう科白は存在しない。便宜上、シンジがエヴァに搭乗してほしいと思う人の発言を要約してそう表記したが、そんな言い回しではない。ゲンドウの場合「乗るなら早くしろ。でなければ帰れ!」が正しいセリフである。リツコは「あなたが乗るのよ」とかミサトは「乗りなさい」とか言っているが、エヴァに乗れなんて科白はやっぱり見当たらない。一応「Q」でそれっぽい科白が見られるが名前を呼んでいない。おそらくこの科白を捏造(?)したのは、とあるお笑い芸人である。

「新世紀」では人助けできていたか

怪しい。ケンスケとトウジを助けたことと、ミサトがシンジに第3新東京市の全景を見せた時に「あなたが守った街よ」というようなことを伝えたことくらいしか明確にそれらしいシーンがない。(最も、私が「新世紀」を最後に見たのは高校2年の時であるから、正確に言えばよく覚えていないということになる。)
最終的にアスカは廃人化し、レイは自爆、シンジはとりあえずエヴァに乗っていなかったので、全員が人助けしているのか良く分からない。俗に旧劇場版と言われているアレは、主題に人助けなんて置いていない。インパクトで世界を滅ぼし、その再構築がシンジの自由意思に任された際「他人とのつながりがあってもいいかな」みたいな自分の考えのみに基づいた軽い気持ちでインパクトが終わるので、人のことなんて考えていない。アスカに気持ち悪いと言われて当然である(この科白にも裏話があるのは知っているが、いちいち触れない)。
漫画版では、シンジが自分の強い意志を表明し、もう一度やり直そう、もう一度頑張ってみようという決断をしてインパクトが終わっているので、かなりマシな結末である。ただし、誰もその時起こったことを覚えていないようで、アスカもシンジを見て新手のナンパだと思っているし、シンジもアスカのことをはっきり思い出せない。ある意味、とても虚しい。

終わりに

物語を作るときは、何か一つ主題を置いた方がいい。
「新世紀」では「人とのつながり」が主題だったように見えるが、それではテーマが広すぎて曖昧な終わり方になってしまったように思える。
そのため「新劇場版」では人とのつながりからテーマを絞って「人助け」にしたのではないか、と妄想すると非常にしっくりくる。
ただこの結論も、推測を根拠にしているからその推測よりも取るに足らない想像でしかない。少なくとも言えるのは、人助けには犠牲がつきものであるというメッセージを私は勝手に受け取った、ということのみである。

余談

エヴァの続きが観たいと思っている奴は、エヴァの物語の本質を理解していない。
「ドラゴンボール」のように、物語を続ければある程度儲かるからとだらだら続けられてはそのメッセージ性がどんどん薄れていき、内容も質も評価できないものになることは目に見えている。
だからエヴァを8年かけて完結させたのである。完結させるだけであれば、8年かけなくても可能ではある。その8年の重みを認識しておく必要がある。
ただ、業界の売り上げによる儲けを必要とする構造上、どうしてもエヴァの続きが必要になった時のために14年という空白期間を設けたのではないかと考えると、なんだかそういう気になってくる。14年は空白にするにしては長すぎる。ブルーレイの特典映像はその辺の描写が入ることがタイトルから想像されるので、この辺りも意識していたと思われる。
エヴァの物語は、商売ではない。商売ではないが、「プロフェッショナル」という例の番組で庵野が取材を受けた理由を「もうけようと思ったから」と発言していたので、業界構造上多少商売しないとやっていけない、というのもまた事実である。

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