宝塚歌劇・花組「金色の砂漠」の考察(ネタバレ)

砂漠の架空の王国の物語。
悲しみの、愛憎の物語。
円環と光と影の物語。
名作と呼ばれるいくつかのものと同様に、ループと対比によって構成されている。
この作品もまた例に漏れず名作である。

タイトルにもなっている金色の砂漠は作中でこのように説明される。
「そこでは金の砂が太陽の欠けらのように熱して降りそそぎ、その輝く砂嵐の中で肉体は消え、人は魂だけになる。そこは美しくて苦しい、得も言われぬ場所で、金の砂漠から戻った者は誰もいない」
美しくて苦しい、とは王女タルハーミネとその奴隷ギィの愛憎を表している。幼い頃と物語の結末に探し求める金色の砂漠は二人の愛憎を象徴していて、なおかつ死を表している。
二人の恋愛は“死によって=金色の砂漠で”成就する。
この世では結ばれない悲しみと、歓喜がそこにはある。

最後と冒頭は同じ場面で
それが円環する時間を表現しているように思われる。
円環する時間の中で現在による過去の昇華、過去による現在の昇華が行われる。
それが、はじめから側にあったただ一つの確かなものを、最後に実体を消してなお、もうなくなってしまったが
確かにまだあると実感させる。

そして、この物語には色濃い光と影が効果的に用いられる。
性愛と死が対比としてある。この物語における奴隷制には春琴抄の春琴と佐助の主従関係に通ずるフェティッシュな淫靡さがあり、そして砂漠という舞台設定や王国の過去のとある出来事によって死の気配を色濃くしている。

また、砂漠の国=強力な男権社会を舞台とし、国のしきたりとして王族の女子には男子の奴隷を、王族の男子には女子の奴隷をつけるという設定をすることによって、ギィは男権社会の中にいながら女子の奴隷として仕えることで冒頭の段階で誇りを踏みにじられている。
それによって屈折してしまった誇りとタルハーミネへの恋情が対比になり、激しい愛憎を生んでいる。


宝塚歌劇を最大限に活用した作品のひとつ。
美しさは悲劇を際立たせ、華美は滅びを予感させる。
世にも美しい物語。

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