考えはじめるかんがえる美術モデル

仕事を聞かれ美術モデルだと言えば
「裸をみられると興奮するの?」
「エロについてはどう思うの?」
「脱ぐんだよね。給料いくらぐらい?払えば脱いでくれるの?絵描くの好きなんだよねー。」
と散々、セクハラ発言をしたあとに
「でも、芸術だもんね。」
と8割くらいに言われ、
どうやら脱ぐ仕事をする人間を下にみる奴が多いらしいとわかり
舐められないために知識や教養が必要だ、と勉強とより思考することをはじめた。悔しかったし、自分より明らかに頭の悪い奴らに馬鹿にされるのは耐えられなかった。

だけれど、勉強をはじめてわりとすぐにそんな気持ちは消えた。

それすらも馬鹿馬鹿しくなるような
知の世界がそこにはあった。
教養とは、知識とは厳密には
情報や人を負かす為のものではない。
知るほどに無力で無知であることがわかり、それと同時に自由になる。無力で無知で苦しい、でもだから知りたいし考えたい。
それは名著を遺した達人たちですら
おそらくは感じていた。

彼らがその時点までで考えつくしたものを読ませてもらえる。
思考に橋をかけてもらえる。
それからまた考える。
自分の足でその橋を渡って、次に進む道を自分で選び歩かなければ
それはただの情報やうんちくに成り下がるだろう。
そういう危険を孕みながら歩いているし、これからも身の程を知って歩いていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?