漫画原作《アマノジャク》

その昔、人里離れた山奥にはアマノジャクが棲んでいたという。
アマノジャクは麓でいたずらや悪さを働くために嫌われていた。
ある時、高名な僧との住処を賭けた勝負に負けたことによりその地を追われることとなる。
その後の詳細は語られていない。

アマノジャクは各地を転々とするうちいつしか鬼を捨て、人と交わり、山の守役として穏やかに暮らすようになっていた。

天呼邪無(アマヨバリジャム)はその子孫である。
旅の果てに祖先が追われた地に戻って来ていた。
山は奥深く、険しく、そして豊かだったから、邪無は嬉々として山を駆け巡り動植物や風や光と戯れあった。

鬼を捨てたからと言って継がれた血に残る性質は簡単に消せるものではない。
けれど、それはそもそも純粋な本能であったから、本来は必ずしも否定されるべきものでもなかった。
時に動植物との意思疎通が可能であり、人間離れした怪力と跳躍力を持ち、天候さえ操る力は世代を超えて邪無にも引き継がれていたのだ。
里で悪さを働くことは無くなっていたから、邪無は姿を見られることもなく山での暮らしを謳歌した。
そうして暮らすうち、邪無はすでにかなりの高齢となっていた。
人の血を受け継ぐ者の宿命だ。
それでも人間と比較すれば想像を絶する高齢でもある。
にも関わらず体力はいつまでも若々しく子供のような心を持っていた。

ある時、都会に疲れて山奥を訪ねる若者に出会った。
山の草木を眺めながら歩く若者の足取りは力なく、時々ふと空を見上げる瞳は虚ろだった。

久しぶりに人の姿を見た邪無は嬉しくなった。
そっと近づいて急に姿を見せて驚かそうと閃いた。
そんなちょっとしたいたずら心にはまだアマノジャクの本能が生きているのかもしれない。
邪無は痩せて汚れた老人に見える。
人気のない山中で突然出くわしたら平常心ではいられないはずだ。

天呼邪無(アマヨバリジャム)

しかし、彼は驚かなかった。
「とうとう見えるようになったか。」とつぶやいて少し嬉しそうにすら見える。

動揺しない彼を見て邪無は言った。
「死ぬのか?」

一瞬、彼はたじろいだように見えたが、すぐに気を取り直したようだ。
「死なないよ…今はまだ。」
そしてかすかに微笑んだ。

「なんだ。つまらんな。手伝おうと思ったのに。」
邪無は心底つまらないと思った。
ただ純粋に人の役に立つことが喜びなのだ。

若者は自分に言い聞かせるように言った。
「ちょっと疲れてるだけだよ。」

それを聞いた邪無は笑顔になって言った。
「なら、ここらを案内しようか。」
もう長いこと駆け回っている山のことは熟知している。

「ああ、それならお願いしようかな。」
若者が答えると邪無はとても幸せな気持ちになって彼を先導した。
すると突然、山の木々のざわめく音、鳥たちのさえずり、瑞々しい木の葉や咲き乱れる花、舞う蝶、今まで気づかなかった山の様子が鮮明に感じられるようになった。
風に感じる山の匂いは若者の肺を満たし、清浄な空気が毛細血管の隅々まで行き渡るのを感じた。

邪無が何でもなく走り回る山は体力のない若者にはかなり厳しかった。
とても老人の持つ体力ではないと呆れてしまうほどだ。
時折姿を見失いながらも行方を追う。

「もう無理だ…もう帰ろう…」
若者がそう思うと邪無は背後にいて背中を押す。
「そうか。もう無理か。」
言ってることとやってることが真逆だ。

汗を滴らせ、息を切らしながら山道を歩きやがて辿り着いた場所は樹間にぽっかりと空が見える場所だった。

見たことのない花が咲き、蝶が舞っている。
若者はとうとうその場にへたり込んだ。

「なんだ。もう疲れたのか。」
邪無はそう言って満面の笑顔を見せた。

「時々、疲れた人がやってくる。たいてい歩けないほど大きな荷物をずっしり背負っているんだ。」

山の音は聞こえているのに静かだった。
鮮やかな緑の木々や花はゆっくりと揺れて別世界のようだった。

「背負いきれない荷物は全部置いていけばいい。楽になって山を下りたらまたおいで。」

いつのまにか若者は気を失うように眠ってしまった。
大の字になって眠る若者を山は優しく見守っているようだった。

若者が眠ってしまったので邪無は退屈になってしまったようだ。
しばらくして目覚めた若者は邪無の姿が見えなくなっていることに気がついた。
気持ちはすっかり軽くなっている。
長いことぼんやり霞がかかったようだった意識もスッキリ鮮明になっている。

人か妖怪か…はたまた夢か…そんなことに大した意味はないのだ。

「また会えるかな。また来るよ。」
若者の足取りは軽く日没を追いかけるように山を下りるのだった。


アマノジャクv1.0
2022.12.12

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