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"有言実行"という息苦しいものに囚われないで。発言のデザイン

"有言実行"にこだわるのってそんな素敵だとは思わない。

なぜなら、"言ったからやらないと"という義務感は、そもそもその人、もう"ワクワクしてないじゃん“と思うから。
義務になってる。

言葉にせよ絵にせよ行動にせよ、
表現する上で大事なことって、

本人のウチから出るものかどうか

だと思ってて、
ワクワクしてないものにはもうエネルギーは薄れたものしか出てこないと思う。

とはいえ、"言ったのにやらない"はウソになってしまうので、じゃあどうしたらいいのか?について考えました。

"言って、やらない"も、あり

結論から言うと、自己責任なので、
言ったのにやらないがいいかどうかは、周りが決めることじゃなくて、自分が決めること。

そして特に、"それができるかどうか"はやってみないとわからないし

同時に、何かを成す時って、自分を奮い立たせないといけなかったりもする。

自分を奮い立たせるために"言う"をして、
やってみようとしたけど、

やってみようてきて初めて、実は別にやりたくなかったに気付いたりすることってあると思います。

だから、"言ったのに、やらない"は別に、あり。

それで迷惑をかけたり、信頼を失ったら、
その迷惑をかけた分取り返せばいいし、

取り返せないなら、それはその人の実力なので精進する。

ただ、’一度信頼失ったら終わり'という考え方が、今の不倫騒動とかで失墜してる芸能人を、

必要以上に追い詰めているこの空気感にも繋がってるので

"そんなに厳しくしないでもよくない?"
と織田は思います。生き苦しいわ!!!

そもそもみんなそんなに興味ない

有名人にはつくづくなりたくないな、とおもうのが、

有名人のことなんて、本当はどうでも良くないですか?知り合いでもないし。

さらには、facebookとかsnsの友達ですら、
その人がどうなろうと、
根っこの根っこで、"めっちゃ心配"って思える人なんて、
数十人もいないと思うんです。

しかも、みんながみんな発言できちゃう現代。

誰がどんな発言をしたか、なんて、誰もそんなに覚えちゃいないし、
もし覚えてる人がいたとしたら

それはむしろ’大事なデータ量を僕に割いてくれてありがとう'だし、そういう人とはむしろ、建設的な関係を結べばいいから、

そういう人には、信頼しあえる関係を続ければいいし

そうでない人は、本当、どうでもいいと思うんですよ!
というか、どうでもいいと思う方が楽だし、
どうでも良くないと思ってたら、勘違いだと思うんです。

人間は、未完成

あと、そもそも大前提として、人間は不完全で未完成です。
ミスを冒す生き物です。

だから失言なんてして当たり前でしょ!

失言しちゃダメ
いい人でないとダメ

それがおかしいですよね。

現代の先生は大変だな〜と良く思うのが、
"教育者は、立派で正しい人じゃないといけない"みたいな空気感を感じるからです。

でも実際はそうじゃなくて

織田みたいに欠損だらけで、その欠損を明確に開示してる方が、こどもたちは求めてるんです。

完璧な人なんて求めてなくて、完璧な人なんて面白くないし、むしろプレッシャーなんだと思うんです。

完璧なんで目指さず、弱みを把握して、弱みを見せ、強みでみんなのために何か貢献すればいいと思います。

Twitterの投稿の発酵度合い

そして、これがどうTwitterに繋がるかというと、

Twitterの使い方次第ですが、

織田にとってはTwitterでされてる発言って、どうしても質が低いと思うからです。

ちゃんと煮詰まった、発酵された思想が構造上少ない。

tweetというのはつぶやき。

ぽっと出の、発酵されてない情報が多い。

織田は有言実行が大事だとは思わないからこそ、織田みたいな人もたくさんいるだろうし、

だから、情報がすごく薄いし、むしろ本人がウソだと思ってるかどうかとは別に、
ウソも多いと思います。

だから59ゼタバイト時代にそんな情報まで拾ってたら、ゴミクズの山になる。

そこから金塊が出る可能性もなくはないけど

織田は辞めちゃって、
その時間を、自分の情報を発酵させたり、美術館に行ったりする方がいいんじゃないかな、と思うんです。

発酵を止めるともったいない。発言する側も、情報のエネルギーが落ちる

そして、Twitterの情報を受け取る側ではなく、

発信する側としても。

自分が"やりたい!"と思ったことって、
一度口にしたりすると、

それがある種の現実になってしまい、
未来が見えてしまい、
やる気が失われることってありますよね!

Twitterを通して、発酵してない段階で発言しちゃうと、そこで発酵が止まる。

言わない方がやりたくなる

なんてことはよくあると思うし、
だから織田はTwitterは、
受信するのも、発言するのも嫌です。

言挙(ことあげ)という考え方

神道に、言挙という考え方があります。

何度も発言をすることで、それが現実味を帯びすぎて、面白みがなくなり、


それを表現する人のエネルギーが落ちるし、
それを無理くり表現したところで、
面白くないものが出来上がる。

そんな中、
"言挙"は

重要なことを、神聖な場で1度だけ言う

と言う考え方。

エネルギーも残せて、現実に向けて走り出せる。

"発言する“と言う行為から、重要度をあげ、
そこからが表現のスタートになる。

僕はこの考え方すごく好きで、

現代の表現者は、
こう言うところも、
SNSの使い方含め、見直してみても良いかもしれませんね!

アート、教育、探究、子育て、生き方。アーティストとして、スクール長として、本音しか書きません!