人はいつ死ぬのか
皆さんおはようございます!AIに「サイバーシティでコマネチをしている女の人」
をかいてもらおうと指示しているのですが、全然コマネチしてくれずコマっています。。。織田です。
それでカード作りたいけど、コマネチのポーズを指示しても、
写真を読み込ませて「これ!」ってやっても、手が腰に行きがち、、、
どうすれば、、、
■作品と死生観
自分が生きてる間は、
織田は割となんでもどうでもいい人間ですが、
でも、どうでも良くないことはどうでも良くないなーと思います!
つい感情で反応してしまうようなことはきっとどうでも良くないんだと思います!
でも、人生丸っとみたら、宇宙138億年の中で織田の人生100年とかは、
本当にチリ以下で、
時間以外でも、空間的にみても、宇宙空間から見たら織田なんてチリにもならない。
と思うとやっぱり、どーでもいいなーと思ったりします!
これはありがたいことで、生きてると楽しいし、なんかよくわからないプレッシャーとかもあるかもですが、
それらも宇宙の空間と時間からしたら、チリ以下で
でも意味がないわけじゃなくて、その巨大なスケールの中の一部として、
チリ以下なりにも、何かはしてるんですよね!
■人はいつ死ぬか
あと、人は
・本人の魂が無くなった時
・忘れ去られた時
の2回死ぬと思っていまして、
現代では、AIによって2つめの死はかなり変わってきて、
AI小林幸子みたいなのがもっと一般的になって
死んだおばあちゃんの見た目、声、思考のAIと話せると思うのですが
それ以前でも、
人の歴史で見ても、名前が残る人なんてそうそういなくて、
でも、意外と、
家族だと、それが残ったりする。
近い人であればあるほど、
長く生き残り続けられると思っています!
メジャーじゃなくてもいいから、
濃い関係や仲間、家族などがやはり、死んでから覚えられる確率としてはまだ高いなーと思います!
■作品として生きる
あと、作品も自分が長生き(魂の後の、忘れ去られるまでの人生)するための仕組みになり得るなーと思います!
ゴッホはまさにそうで、生きている間は2つしか作品が売れていないのに、
今はもうめちゃくちゃ売れていますね!
そんなメジャーでなくても、
壁にかけてもらっていたら、ふとした瞬間に思い出してもらえる、
そういう意味で作品を受け取ってもらえるというのは、
自分の体の一部を置かせてもらっている感覚もあり、
それを気に入ってくれているとなると、
何とも言えない、ものすごいありがたさを感じますし、
そういう、ローカルだったり、ファミリーだけど、濃く、残り、
生き続ける、
そういうのもすごく素敵だなーと思っていて、
生きる、死ぬを考える上でもすごく、現代の膨張に対して、
心のよりどころになりえる考え方になりえるなーと思っています!
最近は絵は描いてないですが、コマネチをしていて、
それで今カードを作ろうとしていて、
それも、なんというか大事にとっておいてもらえたりしたら、
作品と同じ効力を持てたら面白そうと思っていて、
そうやって、作品として生き残る、というテーマは引き続き探究していきたいなーと思います!
あー、途中で書くのやめて途中から描いたので、何書きたかったか忘れてしまいましたが、笑
今日も素敵な一日を!^^
アート、教育、探究、子育て、生き方。アーティストとして、スクール長として、本音しか書きません!