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恋するコラム「みづゑに恋する」

美術出版社「みづゑ」2003

僕は天国に関する活動を終えると、放浪の人となります。
ただ、気の赴くままに歩くに限ります。
静かに、かつ透明に、カフェに潜み、公園に潜み、ぼんやりとしています。
そんな中、今まで気にも留めなかった駅前の古本屋さんに入ってみると、入り口で、雑誌「みづゑ」を見つけました。
2003年春号。今から15年前に、僕が初めて取材を受けた本でした。
絵描きの卵を応援するコーナーに、当時、吉祥寺・井の頭公園で似顔絵を描いていた僕を取り上げてくれたのでした。
 
当時は、九州の大学を休学して上京し、自分がどこまでやれるか、挑戦の日々でした。
表参道の路上でパントマイムをやったり、個展をしたり、写真を撮ったり、映像学校に入ったり、恋に落ちた年上の女性には恋人がいて、それが〇〇だったり・・(これはまだ別のコラムで書きます・笑)。
純朴だった薩摩隼人は、江戸の世知辛い風に震えていたのでした。
そんな中、なんとなく描き始めた似顔絵。美大の同級生や先輩には「似顔絵ごとき」と冷笑を浴びながら、ゴザをひいていろんな人を描いていたのです。
 
取材を受けた時は、2年の休学期間が切れて、退学してこのまま東京に残るか、大学に復学して卒業するかで悩んでいたところでした。僕は、自分に実力がまだ足りないこと、自分を見失っていたこと、母や祖母が悲しんでいたこともあり、復学を決めて、九州にもどりました。
挫折感にまみれていました。しかし、本当に必要なものを得るためには、もっと時間をかけなければと思うところがありました。
 
冬。家賃1万円の部屋を借り、飲み屋街の駐車場受付のバイトを決めました。
4学年下の後輩たちと一緒に、単位を取り続けました。(おじさんと言われてました笑)
時間が何倍もゆっくりしているこの環境に慣れるのに必死でした。
 
春。学食からの帰りに、生協の本屋に寄りました。そこで「みづゑ」を見つけたのです。
そこには、文藝春秋に売り込みにいく僕の姿が写っていました。なんだかすごく懐かしくて、嬉しくて、悲しかった。
遠い記憶のかけらが、そこにありました。よし、まだまだ頑張ろうと。
 
そんな2003年春号「みづゑ」の思い出は、15年の時を超えて、近所の古本屋さんで、再びよみがえることになりました。
もちろん、貴重な1冊なので、自宅にも保管はしてあります。しかし、こうやって予期せぬ時に、そして、とても心が疲れているときに、こうやって偶然この本に出会えたことで、じんわりと、励まされているような感覚になりました。
誰かにとって必要のなくなったその本に、再び、自分自身を見つける大切な記憶のかけらを見出したのです。
そして、ふと「はてしない物語」を思い出しだしました。
 
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「はてしない物語」ミヒャエル・エンデ。
主人公バスチアンは、本の世界に入り込み、ファナンタージェンを救った後、なんでも願いが叶う魔法の力を手にいれる。しかし、何かを得るたびに、現実世界の記憶をなくしていく・・。
もはや自分の名前すら忘れてしまったバスチアンが、最後に訪れた「生命の泉」。バスチアンの最後に残った記憶。大切なものとは・・。
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空を見上げたら、無数のクジラ雲が、オレンジ色に輝いていました。
僕にとって大切なものは。
絵を描き続けること。
なぜ絵を描き続けるかって?
それは、秘密。
 
(おわり)
 

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