漢(おとこ)の尊厳
このセリフは、1979年〜86年まで連載された、空軍の傭兵たちのドラマを描いた「エリア88」のワンシーン。
主人公の「シン・カザマ」の親友でもある、「ミッキー・サイモン」というアメリカ人の空軍崩れの凄腕パイロット。
このシーンだ。
初めてエリア88を読んだのは、22、3歳だったと思うけど、このセリフがやけに胸に響いたというか、印象的だった。
「男の尊厳だ」
自分に問う。
「俺に“男の尊厳”なんてものがあるのか?」
いや、それ以前に「そもそも男の尊厳って、一体なんだ?」ってこと。
当時の自分なりに、すごく考えた。男としての誇り(プライド)。意地。信念。
多分、その全部であろうけど、それはとても気高く、孤高とも呼べる、美しいものだった。少なくとも、当時の僕にはそう思えたし、今でもそう思う。
しかし、上のセリフには続きがあって、ミッキーは敵のパイロットと空戦を繰り広げて、見事撃墜。そして無線で敵と会話しながら最後にこのセリフを言うんだけど(確かそうだった。間違ってたらすまん)、相手は、ミッキーに言葉に対して、
「そんなもん持っていたら、疲れるぜ…」
みたいなことを言ったと思う。
そう、男の尊厳。それはこの社会を生きるために、決して必要なものではないかもしれないし、むしろ重荷になったり、面倒なものかもしれない。
なのに、捨てきれないもの。
*
男とはなんぞや?
まあ、昔から定期的にこのテーマで書くんだけど、
(上の記事は、元は有料マガジン記事だったけど、無料公開にしました)
最近また改めて「男」についてよく考えるので、今の気持ちを綴ってみようと思います。
Xで、こんなポストをしました(旧Twitter)
風の時代とか、女性性の時代と言われて久しいし、世の中「ジェンダーフリー」という言葉が一部でもてはやされ、逆に「男」だ「女」だと言うだけで「差別者」のレッテルを貼られかねないというおかしなことになりつつある。
性別は選べる?
いや、はっきり言おう。性別は選べない。ただ、男だけど脳の作りが女性という人はけっこういるし、稀に女だけど中身は男性もいるだろう。だから同性同士の恋人というのもできるのだろう。
でも、生殖器で判断する性別は(それで判断すべきだと思う)は選べない。生殖器というのは、サオと穴のことではなくて、生殖能力だ。性転換手術をしても、子供を産むようになったり、子供を作ることはできないだろう。
そこに何の問題があるのか?
問題を問題にしてるのは誰か?
まあ、今日のテーマはそこではないし、こういうこと書くと感情的に反応する人がいるので、感情論の人と意見を交わす気はない。
男を立てる。昔からある表現だけど、言い得て妙。まさしく「勃つ」から来ているのだけど、まさしく男とはそういうもの。立ってナンボ。
エネルギー感覚で言うなら「縦」の流れ。「直線的」な動きになる。女性性は横の流れで、円の「場」という感覚がします。電気と磁気の関係に似てる。
立つ、というのは、周りからよく見える。みんなが座ってるところに1人立ち上がったら目立つだろう?
立ち上がって意見を言ったり、表現するというのは、その時はどうしても目立ってしまう。
360度、見られるわけだ。中には後ろ指差す輩もいるかもしれない。
人間だもの、どっかしらに欠点があったりする。普段は、着飾ったり、または立ってるふりしてそろっと屈んでいたりして、上手く隠している。
でも、男の尊厳とやらの前では、そんなもの無意味だ。
もし、嘘をついて誤魔化したり、うまく外側に色々貼り付けて見栄えだけ飾ってるのなら、それは「立っていない」わけだし、そんなやつには「男の尊厳」なんてないわけだ。
男の尊厳って、疲れるもんだ。だけどそれでも立ち続けるのが男の尊厳。どっかにボロが出て、笑われたり、やじ飛ばされたり、攻撃をされるかもしれない。だけど折れない。
そんな男はかっこいいと思う。カッコ悪いところを隠したり、取り繕って中途半端に背中を曲げることはなしない。全部晒して立ち続けて生きる男は、かっこいい。逆説的だけど、カッコ悪いところを全部見せてカッコいい。尊厳ある男って、そういうものだと思う。
人は嘘が多い。そもそも、嘘をついてることに気づいてもいない。だから平気で嘘をつく。
感動的なヒューマン・ドラマ観た後はしばらく「おおらかな人」だけど、家族とか上司とかに嫌なこと一つ言われただけで、いつもの「小さな自分」に一瞬で逆戻りだ。一瞬で。こうして嘘つきのいっちょ上がりだ。でも、自分では嘘も本音もわからない分裂症のようなものだ。
真の男は自分の嘘を許せないから、いつも自分に「嘘がないか」と心に向き合っている。
だからこそ「そんなもん持ってると疲れるぜ」って、ミッキーは言われてちゃうんだよな。
しかし、今の世に男は一体いかほどにいるだろう?
ビジネスの世界では「見せ方」が大事で、そこに「ブランディング」というマーケティングの技法があり、それがその人や商品のブランドやキャラクターを決定づけて、その人や商品の個性となっていく。
「もの」が商品ならまだいいけど、「人」を売りにしてる場合は、この「見せ方」が消費者の動向を支配している。とことん、消費者の心理を研究したのがマーケティングなのだから、何も知らない素人は、まんまと踊らされる。
そこでは、あらゆるブランディング力が働いている。失敗談や人間らしい感情的な姿さえも計算されたタイミングで情報として公開される。
でもみんなは「堂々と立っている」と思う。着飾った姿を、本当の姿だと錯覚してしまう。
しかし、そんな時代はそろそろ通用しなくなっているというが肌感だ。もちろん、今はそれで通用しているけど、その方法では必ず行き詰まる。嘘に気付く人が出てきた。
本当の女が、本当の男を求めたら、男の嘘なんて一瞬でバレる。
ということは、真の男の出現の鍵は、真の女なのかもしれない。
しかし、男は自分を立てるので、女が「立ててくれる」のをじっと待つわけじゃない。気合いでおっ立ていくんだ。一人でも。
「そんなもん持ってると疲れるぜ?」
疲れたくないのなら、男なんて立てずに座ってしょんべんしとけ。
こそこそと要領良く立ち回って、良く見せることに人生すり減らして生きればいい。
男なら自分の命を燃やしたいと思う。自分のためにではなく、例えば女のために、例えば家族のために、例えばこの世界のために。
そしてそのまま前のめりに倒れ込みたいと、思っている。男の尊厳と一緒に。
* 女性にも男性性はあるので、「男らしく立ってる女性」もいます。昨今のナヨった男よりよっぽど男らしい。
* 「座ってしょんべん」は比喩です。男の座って小便を、肯定も否定もしない。 え? 俺? 座ってしょんべんなんてしねえけどな(笑)
でもな! 飛沫が飛んでるのはよく知ってるから、必ずペーパーでさっと便器の縁を吹くことは忘れんぜよ!テメエのケツをテメエで拭くのと同じ。
ワークショップのお知らせ
「つながるからだ、つながるこころ」
5月24日 京都
6月8日 東京
歩く、奥高尾 5月2日 (満席)
歩く、稲荷山 5月22日
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