「わたし」のはなし
朝目覚めたら「わたし」がいた。
だけどふと考えた。
「わたし」って誰でしょう?
昨日の私と、今の「わたし」は“同じ人”だって、
誰がそんな事を決めたのでしょう?
そもそも、今こうして考えている私は「わたし」なの?
昨日と同じ「わたし」なら。
10年前と同じ「わたし」なら。
子供の頃と同じ「わたし」なら。
「わたし」はずっと、変わっていない?
「わたし」はずっと、動いていない?
でも、私は変わっている。動いている。
子供の頃から、体は変わるし、いる場所は変わる。
考え方も違うし、価値観も違う。感覚も違う。感じ方やものの見方も違う。
じゃあ「わたし」ってなに?
「わたし」として、変わっていないものは何?
体は違う。心も違う。頭の中も違う。
なのに「わたし」って思っている、この私は誰?
それとも「わたし」が変わったんじゃなくて、外側の世界が変わったの?
だって、私の住む場所も、考え方や、感じ方や、価値観は、結局私の外の世界でしょ?
「わたし」が住む世界が変わり続けて、変わらない私がいる。「わたし」はいつも外側ばかり見ているから、世界が変わったことで、まるで自分も変わったように感じていたのかな?
そうなの?
それとも、世界は何も変わっていなくて、「わたし」が変わったの?
世界は毎日変わっている?情報化社会?スピード社会?
うん、そう見えるよね。みんなそう言ってるよね。
でも、世界が変わった変わったって言うのは、過去と今を“比べた”からでしょ?
それは昨日と今日が違うっていう前提で話しているからでしょ?
でも、昨日の世界と、今日の世界が、もしも最初から違うものならどうする?
昨日と今日が、同じ「世界」だなんて、誰が決めたの?
もしも昨日とか過去と、今日が「同じ世界」ではないのだったら、世界は何も変わっていない。変わりようがない。
私の言ってること難しい?
例えばね、あなたが今日「犬」を見て、明日「猫」を見る。それで「ほら、犬は猫に変わったよ」って言ってるようなものなのよ。
変わったんじゃなくて、犬を見て、次の日に猫を見たってだけでしょ?それが事実なの。明日カラスを見ても、明後日シロナガスクジラを見ても、変わったんじゃなくて、別の物を見ているだけよね?
それなのに、その事実じゃなくて、私の「わたし」や、あなたの「わたし」は、昨日と今日の間に、猫とシロナガスクジラの間に時間をくっつけて、「今日は昨日と違うね、だから、昨日から変わったんだよ」って思っているだけかもしれないよ?
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