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探求文庫 5〜8

2021年の8月から始めたnoteサークル(現在はメンバーシップという名称に変更されたけど、サークル(輪)という言葉が気に入っている)、「探求クラブ」内での「探求文庫」。

探求クラブ内でも、「過去記事が全部掲示板をスクロールしてさかのぼるので読みづらいとご指摘をいただき、マガジンにまとめることにしました。

過去のもので、途中まではメンバーでない方も読めるようになっています。もしご興味ある方は、掲示板を読める「探求読書コース」もあります。

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探求文庫 5 愛で生きる

流行りのスピリチュアルのいくつかでは「神とつながる」とか「龍とつながる」という言葉がもてはやされています。神社とつながる、宇宙とつながる、天使とつながる…。

そもそも「つながる」ってなに?ということになるわけですが、案外多くのスピリチュアルパネラーの言ってる事の大前提として、「人が下」「神が上」という構造がベースにあります。弱くて何もできない人間が、特別な力を持った尊い存在の庇護を受け、諸々都合の良いように配慮してもらう。

その考え方が良い悪いではなく、そういうようなことも、確かにあります。
高次の存在と一口に言っても、実に色々ありますから。人間のボディを構成する物質よりも、密度が薄い存在すべてを高次の存在と呼ぶこともできます。人間を化かす狐や狸も高次の存在です。ただ、本当の高次の存在になればなるほど、人間の自我の相手はしてないというのも事実です。

人の成長段階として「依存」の状態ってあります。だから、そういう依存的なスピリチュアルや宗教にはまり、救いを求めたり、楽をして得をしようとする人たちは必ず存在します。そしてそういう人たちが求め、懇願する「依存対象」を提供するビジネスが生まれるのもしかるべきです。

しかし探求を重ねると、必ず依存から「自立」へと成長していくのは必然です。どんな動物だって育てば親から離れ、自活するのが普通です。だから自立していない人を責めるのは、成長期の子供のミスや過ちに対して裁くのと同じです。

さて、自立した人の精神やスピリチュアル(霊性)における在り方は、「〇〇とつながる」という表現より「自分自身が神となる」という意識に近いかもしれません。
確かに「つながる」とも言えますが、それは『こちら、あちら』ではなく、『上と下』でもなく、重なり合うという意味合いの“つながる”です。

「自分自神」と言ってもいいですし、自分の『神格化』とも言えます。ただし、自分が神格化するということは、同時にすべての人が神格化し、「あなた自神」になるわけなので、そこに特別性はないのです。

やはりすべては「内側」にあります。自分の外にいる「特別な存在」を崇拝したり、まして依存的になるのではなく、自分が拠り所であり、悩めるときも苦しい時も共に在る、もっとも信頼できるパートナーです。

しかし、もちろん我々は「人」でもあります。「あなたは神です」と言われても、すんなり受け入れることはなかなかできません。
だから探求するのです。探求とは継続です。意識的になることです。

「常に神たる自分」として生きることです。

「神」という表現がなんだか重苦しいのなら『愛』でも構いません。愛は神と同義です。神は愛で、愛は神です。

なので「常に愛の自分」として生きる、ということです。

それは具体的に「愛ならそれをどうするだろうか?」と、常に自分に問い続けることです。

嫌なことがあったり、困った人が現れたり、困難が出来事が起きた時、「愛ならばどうする?」です。

嬉しいことや楽しいことも同じです。「愛ならどうする?」です。もちろん、素直に受け取り、全身で喜びを表現するのも愛ですが、場合によっては「愛ならば謙虚に振る舞う」こともあるかもしれません。また、“勝って兜の帯を締める”という、慢心しない心構えが愛かもしれません。

もちろん、時には人間の感情に飲まれてしまうことがあります。そして誰かを傷つけてしまったり、自分自身を冒涜するようなことをするかもしれない。

しかし、それは後で気づけばいいのです。そして「許す」のです。
なぜなら、愛ならすべてを許すからです。あなたは真っ先に、あなたを許すのです。

それから、愛なら「同じ過ちはしない」と、自分や周りの人のために努力もするのでは?

あなたは愛です。あなたの愛の選択を、日々の中で意識してみてください。


探求文庫 6 神様

「いない」という人たちにはそれはいないのだろうけど、「いる」と思う人には「神様」がいます。

今回の探求文庫では、僕が負担使う「神」とは違うものです。僕が言う「神」は、「愛」であり「宇宙」であり、「すべて」のことを挿します。

しかし、ここでの「神様」は、もっと個別の存在という前提で話を進めます。

日本人には馴染み深い神様が「神社の神様」ではないでしょうか?もしくは「仏教の神様」も、お寺に行くと「~菩薩」とか「~如来」「~天」とか色々おりますね。
教会だと、本当は神は「GOD」なんですが、日本人的な感覚だと「イエス」や「マリア」も神様の分類に入りますね。

これらの「神様」ってなんなのでしょうか?たくさん「神社参拝~」のような書籍が出ているように、人間の願いを叶えてくれる、そんな都合の良いものなのでしょうか?

冒頭に書いた通り「いる」と思えばいるし、「いない」と思えばいないので、全人類に
共通する普遍的な答えなんてないのですが、神様とはなんなのか?

僕の見解を述べると、二つあります。

一つは「霊」と呼ばれるエネルギー体です。

エネルギー体というのは、我々はエネルギー体と肉体を持っていますが、肉体を持たないエネルギーだけの存在です。

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