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冬の思い出から、「生命」を想う。(無料記事)

いよいよ、目前です!

1月16日(日)17時〜。「LIVE!Meditation music」

音とエネルギーの渦で、共鳴し合うものがある。

ピアノ「大塚あやこ」さん、パーカション「セコサンチェス」さん。本日のスタジオリハーサル後の一枚。

会場視聴A席 オンラインチケット、オンラインチケットグッズ付き、応援チケット、打ち上げの「直会(なおらい)」参加のS席チケット(1席)チケットはこちらのリンクから

各種チケット

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僕は北海道の出身で、しかも日本海側だったせいか、僕にとっての「冬空」は、イメージは「曇り空」だ。冬の空はいつもどんよりと曇っていて、雪がちらついていた。

毎日の雪かきは日課だ。雪をかかないと玄関から道路や歩道に出れない日もあるのだ。だから北海道の男たちは子供の頃から、雪かきのおかげで随分と体を鍛えさせられる。

大人になっても、生まれ育った家の風景というのはよく覚えているもので、寝ている時の「夢」の中でも実家はしょっちゅう出てくる。昨年取り壊しになって、今ではマンションがその土地には建ち、見知らぬ人々がそこで暮らしている。つまり、現実には「実家」はないが、僕の夢の中、心の中には残っている。

玄関は、冬になると灯油の匂いがした。僕の家は商売をやっていて、玄関が広く、土間になっていたて、そこに灯油のポリタンクを並べていた。

今でもどこかでふと、灯油の匂いを嗅ぐと家の玄関を思い出す。とても良い香とは言えないあの独特の臭いが、僕には「家」の象徴でもあった。

幼い頃、寒い雪の中から帰ってきて、真っ先に僕の鼻につくのは灯油の匂いだった。

僕は雪遊びが好きで、何時間も雪の中で一人で遊んでいた。しかし手の指が「しもやけ」になりやすかった。

だから母はいつもほっぺを真っ赤した僕の顔や、手指をさすって温めてくれた。幼い日の思い出だ。急に熱いお湯で温めると良くないから、ぬるま湯で指を温めながら、揉みほぐしてくれた。今でも、その時のぬるま湯の不思議な感触を覚えている。冷えた手には、人肌よりぬるいお湯なのに、やけに熱く感じられた。

そんな僕が中学生の頃、玄関のドアの立て付けが悪くなった時期があった。古い家だったのだ。そのせいで雪がドアレールのわずかな隙間から入り込み、それが内側が溶けて、さらに深夜に凍りつき、朝になると開戸タイプの玄関ドアの下部分が完全に氷の塊になり、開けれなくなることがしょっちゅうあった。日中は開け閉めがあるからいいが、深夜から明け方はドアを開けることがないので凍ってしまうのだ。

僕はいつも朝はぎりぎりまで寝ている生活だったので、いつも学校に行く時間はドタバタしていた。ただでさえ玄関前くらいは雪かきをしないとならないのに、さらに玄関のドアが開かないと非常に困る。親父が朝に出かける時は親父がそれをやるが、大半は僕が玄関にお湯をかける役だった。

とりあえず急いでヤカンにお湯を沸かして、熱湯を凍ったドアレールの隙間に流しこみ、凍りついたドアの氷を溶かす。ぬるま湯だと効果が遅い。だから熱湯で急速に溶かす。と言っても、日によっては氷も分厚く、なかなか時間のかかる作業だった。

今思うと「一体なにやってたんだ?」という奇妙な不便さがあるが、当時はそれが我が家の当たり前だった。文句タラタラだったが、家庭環境が一番ひどい時期で、玄関ドアを直すお金すらなかったのことは理解していた。そして凍ってさえいなければ普通に開け閉めできた。

と、そんな北海道での暮らしを突然思い出し、懐かしんだのだけど、それにはちょっとしたきっかけがある。

先日、実は個人的な用事があり福岡へ行っていた。サークル「探求クラブ」のメンバーとオフ会を行い、あとは自身の学びのために。

その4泊ほど、ずっと同じホテルに滞在していた。

ホテルの中は、部屋の暖房を設定しなくても、建物は一定の温度に保たれている。4日間もいるので、そこそこ良いクラスのホテルにしたこともあったのだけど、常に暖かい環境だった。

当然、夜寝る時も室温は暖かいのだけど、そこに違和感があった。おかげで体温調節がうまくできなかったのか、毎晩、深夜に暑くて目を覚まし、寝汗をかいていたので、着替えないとならなかった。

普段、東京の我が家では寝室はとても寒い。和室に布団を敷いて寝ているのだけど、その和室は完全に寝室で、普段は出入りがないので、暖房はつけない。

寝具はタオルケットと羽毛布団をかける。敷き布団も夏場と変わらない。以前は敷き毛布とか、温かい布地のシーツを使っていたが、今は薄手の綿のシーツ一枚。ちなみに、マットレスの類は、柔らかい布団が嫌いなので使ったことがない。(旅行に行って、和室だとマットレスに布団が敷かれているが、いつもそれを外して眠る)

そんな布団の中に入っても、とにかく入った直後はむしろ「ひやっ」とするくらい中は冷たい。当然体はなかなか温まらない。しかも頭の上に窓があるので、なんとなくスースーして、顔が冷たい。

しかし、それでもやがて、自分の体温でぬくぬくと温まり、ぐっすり眠れる。個人的には、グルテンフリーを始めてから、極めて寝つきが良くなり、睡眠の質は向上した。

と、基本的にそんな寒い部屋の薄い布団でも毎晩ぬくぬくと快眠だが、いつだか「湯たんぽ」を使った時は違った。温かい湯たんぽがあるのに、逆に体が温まらなかったという体験がある。もちろん湯たんぽの部分は温かいけど、全体とか、手足の末端が温まらないのだ。

(一体どういうことだ?)

と思ったが、やはり人間というのは、何かに「頼る」と、そこに依存してしまい、自発的にできなくなるらしい。

この例で言うと、本来は自分の力で、寒い中で体を温めて、全身に血流を送る生命力があるのに、湯たんぽがあるせいで、生命は自身の生命エネルギーを使う機会を奪われ、沈黙してしまった。

これは“冷え”の話だけど、人生全般においてそうだと思う。

人間は「生命」があり、自分の力でかなりのことがやれるにも関わらず、便利な生活のおかげで、生命はその出番を失い、結果として、生命力そのものが無くなっていく。

温かい室温のホテルの一室で、夜中に目を覚まして、汗を拭いて再び布団に潜ってから、「寒い時に寒いってのは大事だなぁ」と、とことん思った。冬は寒い。それでいい。むしろいい。寒いからいいのだ。

ホテルでは散々“サウナ”に入り、水風呂三昧した。サウナで「調う」、これはここ数年、世間的にもブームだ。サウナの真骨頂は「水風呂」にありき、なんだけど、やはり「冷やす」ということで、生命力が活性化するのだ。

人は生きていく上で、厳しさや、緊張感や、キリッと引き締める時がないと、どんどん生命力が損なわれてしまうのだ。

と、そんな数日間の中で、やけに寝ている時の“夢”の中で実家の風景がたくさん出てきた。それで北海道の暮らしを思い出し、そして「生命」を思った。

当時は子供だったし、若かったからという理由が大きいけど、寒さ知らずだったと思う。なぜか僕たちは「薄着」が男らしい、と思う風潮があり、冬でもかなり薄着だったけど、いつも平気だった。生命に溢れていたのだ。

なぜか?不器用で、バカでおっちょこちょいで、スケベで自分勝手なガキだったけど、精一杯、世界を味わおうと、必死だったのだ。世界に向けて、僕は自分から開いて行った。

そしてそれは「純粋」だった。純真であり、同時にキレッキレの感度を持っていた。それが生命力を呼び込んでいた。

大人になるとそれらは忘れ去られていく。なぜかというと、ずっとそんなキレッキレの状態では、傷つきやすいし、疲れるからかもしれない。だからついつい守りに入りたくなる。感覚を閉じて、今ある材料と情報の中で、こ馴れた動作と考え方と、経験と知識だけでやりくりする。

そこに「生命」はあるか?

今一度、自分自身に問う。

僕は、自身の生命をもっと知りたい。宇宙の生命の神秘を感じたい。そう思う。そのためには、全身全霊で、この世界に出会い、ぶつかり、味わい、触れ合おうと思うのだ。

寒空に白い息を吐くのは、息が熱いからだ。生命を、感じよう。生きてることを、味わおう。

それにしも東京の冬は晴れの日が多い。乾いた風と、澄んだ青空。生まれ故郷とは随分違う風景。いまだに、冬という気がしない。僕の冬は、雪が降って、曇り空の冬。子供の頃のイメージって強烈だ。

あなたが生命に溢れていた頃の風景、覚えていますか?案外そこには、あなたが失ったものがたくさんあるかもしれません。

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冒頭にも書きましたが、今日は16日のライブに向けてリハーサルでした。

ここにインディアンフルート奏者の「真砂秀明」さんも加わります。

色々とアンサンブルした結果、「メディテーション・ミュージック」のテーマとなるような楽曲は、「即興」の要素を強めたいので、ほとんど合わせませんでした。作り上げてしまうことで、損なわれるものがあるということを、みんなわかっているので、あえて「ぶっつけ本番」の流れに身を委ねることに。

ぜひ、会場視聴はもちろん、オンラインでも、音の向こうにある感性を分かち合いましょう。


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オオシマ ケンスケ
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