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BRIDGE2020#4 Fコード海峡の死者たちへ

若いときにギターに挑戦したものの挫折をした、という人がこの世の中には沢山います。あなたもそのひとりですね?そう、世の中は人それぞれ。挫折した理由も人それぞれ。かと思いきや、ギター演奏という大海におきましては、例外的にそうではなく、なんと実に94%(当社調べ)の理由が「Fコードが押さえられなかった」であることは、よく知られている事実であります。

Fコードの押さえ方は実に難しく、人差し指一本をベタ置きして、横一列の弦を6本全部いっぺんに押さえなくてはなりません。このFコードにたどり着くまでは、指一本につき1本の弦を1箇所だけ押さえていれば良かったのに、ここでコペルニクス的転回が初心者を待ち受けているのです。そして多くの心清らかな青少年たちが、この“Fコードの海峡”で面喰らい、そのまま静かに沈没してゆきました。なので、毎年11月11日の昼11時には、彼らへの鎮魂として、生き残ったギター演奏家たちがプロフェッショナル/アマチュア問わず、彼らに黙祷を捧げるのが習わしとなっています。それは彼らはあるいは自分であったかもしれないのだ、と改めて再確認するためにも。

(嘘です)

さて僕は、人様に誇れるような数字あるいはエビデンスのある達成を何も持ってはいないのですが、この“Fコードの海峡”という難所をくぐり抜けて生き残った、そして今でもFコードを弾ける、ということだけは、完璧に誇ることができます。なんといっても上位6%(当社調べ)なのですから。誰でも簡単に到達できるとはちょっと思えない数字ですよね。えへん。ではなぜ僕は生き残ることができたのか?あれだけ激しい潮の流れの難所を、どうやってくぐり抜けたのか?

もちろん僕だって初めからスッと弾けたわけではありません。同じようにその突然のコペルニクス的転回に面喰らい、絶望し、死の接近に息を呑み、船が沈んでゆく体感に涙も出ませんでした。でも僕はどうしても諦めきれませんでした。その海底に今も沈んだままの死者たちは、おそらく、諦めたのでしょう。ギターなんか弾けなくても他にも生きる道はある、と。まったくその通りです。

でも他に生きる道があるはずもなく諦められない僕は、当時はインターネッツも無かったので、ひたすら本屋さんで何冊ものギタァの教則本を片っ端から、Fコードの押さえ方について言及のあるところを読み、記憶し、家に帰ってはそれを試す、ということを繰り返しました。それでもなかなかうまくいかず、また別の本屋さんの別の教則本に当たったり、何か読み落としているところはないかと同じものを読み返したりもしました。それぐらい難しいのです。それだけはわかってください。本当に難しいのです。しかしある日、ついにその日が来たのです。

その日手にとった本には、サラッとこう書かれてありました。「人差し指の腹ではなく、人差し指の親指側の硬い骨の部分を利用して押さえれば良い。そのためには親指の位置を前方へ押し出すようにしてネックを握れば、自然と人差し指は横へ寝る」と。それを読んだとき、僕の脳内で全てのイメージが繋がり、雷が背骨をヒットしました。膝の力が抜け、両足が宙に浮き、これだと。もう絶対にこれだと。これしかないと。そして僕は家に帰り、書いてあった通りにFコードを押さえました。ジャラ〜ン。

こうして僕は生き残ったのです。なぜこんな文章を書こうと思ったのかわかりませんが、たぶん、諦めなければ絶対にできるようになるし、諦めないためには絶対に好きでなければいけない、ということが言いたかった、あるいは今一度確認しておきたかった、と思います。まあ実際はそんな簡単なことばかりではないですけれども。それでもあるいはこれを読んだ“Fコード海峡”の死者たちは今ごろ息を吹き返して、蘇っているやらもしれませんね。やったね。おかえり。ギターを弾こう。

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